明日は父の命日です。
最近メールで娘がじいちゃんが会いにきた、会えたよっていう。
本当なら私が会いたい。
ははさまは、天国にいて幸せで思い残すことがないと会いにもきて
くれないとぼやいていたかなぁ。
娘には感じるものがあるのかもしれない。
明日が法要だけど、私にはまだ辛いなぁ。
昨日のことのようにまだ蘇る光景。
たまたま会社の人のお母さんが昨日亡くなったと。50代というから
若いなぁって。
人はどういう人生で、いつまで生きるのかは検討つかない。
だからこそ日々命があることを大事にしないといけないのだけど
命に限りがあることをすぐ忘れてしまう。
父のそばにいつか逝く日まで大切に生きたいと思うようになった。
娘の成人式の着物が今日実家に届いたみたい。
明日、父に報告しなきゃ。
娘が結婚して、その式にもでてくれて、ひ孫を面倒みてくれるのでは
ないかと、長生きしてくれると信じていたころもあった。
たった一年半の間の闘病生活であっけなく逝ってしまった父。
いつになると彼を思わずにすむのかって思う。
日々の暮らしでは忘れていることも多くなってきて、薄情なのだけど
日々思い出すのではつらくて生きていけない。
大事な人との別れは必ずあるとは思うけれど。
父とはもっと一緒にいろいろ話をしたかったなと。
結婚も、離婚も、娘を産むことも、息子を手放すことも。
すべて何もせめなかった父。
許してくれていたかどうかはわからないけど、私をいつも心配して
くれていた。
一生懸命頑張ってきたけど、こんな年になってもまだ働くのだと
そんな人生だとは思わなかったなぁとも言ってた。
無駄使いなどせず、食事が楽しみだった父。
趣味もなかったし、ものを書き遺すこともなかった。
父の日のプレゼントは、一回も履いてもらえず新品のままの靴下。
母も父に洋服を買っていたが、退院できず、新しいままで。
細くなって、小さくなってしまった父と対面した去年の夏。
お盆は毎年、夏休みの中で特に自分でどうって日でもなかった。
父が亡くなった日になり、一生忘れられない日になった。
去年ぬけがらのようになってしまい、何につけても心が沈んでしまい
悲しかったなぁ。
支えてくれる人がいて、そして私がいま存在してる。
いつも思いだすのは、私がいまはほっておけないからと、母の制止を
振り切り、毎日自転車で私のぼろアパートへ通ってくれてた父。
自分で自分の体を傷つけていて、心も体もぼろぼろだった私の部屋に
い続けてくれた。
そんな体でも面接に行き、道中の車にも一緒に乗ってくてくれた。
面接が終わると体が弱ってる私はやっとのことで家へ帰りつく。
運転こそしてはくれないが、心細かった自分に何よりのはげましだった。
精神科の先生も、私には冷たい言葉しか投げかけなかった気がする。
父はだめな私を愛してささえてくれた。
母の愛もまたさることながら、父の愛は甘やかしすぎだろうとまわりに
言われる愛だったのかもなぁ。
そんな父に、娘がバイト先からフルーツゼリーを買ってきたよと
メールがきた。
涙出るよ。
いい娘だと思う。私が育ててないからだけど、父はいつも娘を気にかけて
いた。
娘を大事に、一番にしてあげなさいってさとしてた。
ちっとも言うこときかなかった。
それでもしかるってことはなく、いつも話を聞いてくれてた。
またおいでなって実家から私を見送ってくれていた父はもういなくて。
家になる果物や、野菜も父の喜ぶものだっただけに、明日みたら
泣くだろうな。
涙腺弱すぎ。
おとうちゃんって。
また読んだら、振り返ったら、出てきてくれたらいいなぁ。
おばけでいいから。
たまには、私のところへでてきてください。
また会いたいです。
明日会いにいくから。
夢でもいいから出てきてください。
大好きなおとうちゃんへ。
だめ娘より。
最近メールで娘がじいちゃんが会いにきた、会えたよっていう。
本当なら私が会いたい。
ははさまは、天国にいて幸せで思い残すことがないと会いにもきて
くれないとぼやいていたかなぁ。
娘には感じるものがあるのかもしれない。
明日が法要だけど、私にはまだ辛いなぁ。
昨日のことのようにまだ蘇る光景。
たまたま会社の人のお母さんが昨日亡くなったと。50代というから
若いなぁって。
人はどういう人生で、いつまで生きるのかは検討つかない。
だからこそ日々命があることを大事にしないといけないのだけど
命に限りがあることをすぐ忘れてしまう。
父のそばにいつか逝く日まで大切に生きたいと思うようになった。
娘の成人式の着物が今日実家に届いたみたい。
明日、父に報告しなきゃ。
娘が結婚して、その式にもでてくれて、ひ孫を面倒みてくれるのでは
ないかと、長生きしてくれると信じていたころもあった。
たった一年半の間の闘病生活であっけなく逝ってしまった父。
いつになると彼を思わずにすむのかって思う。
日々の暮らしでは忘れていることも多くなってきて、薄情なのだけど
日々思い出すのではつらくて生きていけない。
大事な人との別れは必ずあるとは思うけれど。
父とはもっと一緒にいろいろ話をしたかったなと。
結婚も、離婚も、娘を産むことも、息子を手放すことも。
すべて何もせめなかった父。
許してくれていたかどうかはわからないけど、私をいつも心配して
くれていた。
一生懸命頑張ってきたけど、こんな年になってもまだ働くのだと
そんな人生だとは思わなかったなぁとも言ってた。
無駄使いなどせず、食事が楽しみだった父。
趣味もなかったし、ものを書き遺すこともなかった。
父の日のプレゼントは、一回も履いてもらえず新品のままの靴下。
母も父に洋服を買っていたが、退院できず、新しいままで。
細くなって、小さくなってしまった父と対面した去年の夏。
お盆は毎年、夏休みの中で特に自分でどうって日でもなかった。
父が亡くなった日になり、一生忘れられない日になった。
去年ぬけがらのようになってしまい、何につけても心が沈んでしまい
悲しかったなぁ。
支えてくれる人がいて、そして私がいま存在してる。
いつも思いだすのは、私がいまはほっておけないからと、母の制止を
振り切り、毎日自転車で私のぼろアパートへ通ってくれてた父。
自分で自分の体を傷つけていて、心も体もぼろぼろだった私の部屋に
い続けてくれた。
そんな体でも面接に行き、道中の車にも一緒に乗ってくてくれた。
面接が終わると体が弱ってる私はやっとのことで家へ帰りつく。
運転こそしてはくれないが、心細かった自分に何よりのはげましだった。
精神科の先生も、私には冷たい言葉しか投げかけなかった気がする。
父はだめな私を愛してささえてくれた。
母の愛もまたさることながら、父の愛は甘やかしすぎだろうとまわりに
言われる愛だったのかもなぁ。
そんな父に、娘がバイト先からフルーツゼリーを買ってきたよと
メールがきた。
涙出るよ。
いい娘だと思う。私が育ててないからだけど、父はいつも娘を気にかけて
いた。
娘を大事に、一番にしてあげなさいってさとしてた。
ちっとも言うこときかなかった。
それでもしかるってことはなく、いつも話を聞いてくれてた。
またおいでなって実家から私を見送ってくれていた父はもういなくて。
家になる果物や、野菜も父の喜ぶものだっただけに、明日みたら
泣くだろうな。
涙腺弱すぎ。
おとうちゃんって。
また読んだら、振り返ったら、出てきてくれたらいいなぁ。
おばけでいいから。
たまには、私のところへでてきてください。
また会いたいです。
明日会いにいくから。
夢でもいいから出てきてください。
大好きなおとうちゃんへ。
だめ娘より。