きょうは!

思いつくまま

ちゃお

2015-11-02 | ちゃおたん

 

 

   

 

 

 

     あれから、

     パパが出勤するとき、おかあさんも一緒にでかけるよ。

     朝6時半家を出て、

     歩くのが苦手になってからは、

     ちゃおはバッグ、公園まで来たら歩いて

     お店を開けたばっかりのスタバで泡、

     パパは10分くらい休んで関内駅へ。

     それからふたりですこしゆっくりしてから、

     帰りはおかあさん、坂がきついからとタクシーで帰った。

     今は、ちゃんと歩いて帰ってるよ、すごいでしょ。

 

     ずっとお世話になったジョーカーさんからも、

     お花が届いたよ、

     「いつも可愛いちゃおちゃん、

      長いことありがとう。」 って。

     次のトリミングの予約キャンセルしてちゃおの死を告げたら、

     電話口の向こうで泣いてくれたってパパが言ってた。

 

     堀井先生も、ちゃおちゃん、小さい体で長いことよく頑張ったって。

 

     ももちゃんや、じんくん、スキップくん、べるちゃんのママたちも

     みんなちゃおを撫でてくれたよ。

 

     お世話になったペットシッターさんたちも、

     かわいいお花持ってきてくれて、最後のちゃおをみつめてくれた。

     ひとりで寂しい思いすることの少なかったちゃおちゃんは、

     とっても幸せだったと思いますよって、言ってた。

 

     おかあさんは、あいかわらず、

     家族の予定表をみては、あ、今度の土曜日、パパ、ゴルフだから私は一日ちゃおと一緒。

     その次の日曜は、パパお休みだから、出かけて用事を済まして来よう、なんて頭が考える。

     長年の習慣だったからね。

     まだまだ、ぴょいと家を出かけることができない。

 

         

     ちゃおと一緒に行かなかった場所でも、どこ行っても、思い出しちゃうんだよ。

     ここの用事済まして、ちょっとぶらぶらしていこうかな、

     いや、ちゃおが待ってるから早く帰らなくっちゃ、とか考えた自分を。 

     その度、もう待っててくれるちゃおはいないんだって。

 

     バスに乗ってたり、ぼんやり歩いていても、ふっと浮かんでくる。

     おかあさんは慌てて、体のどこかにグンと爪をたてたり、ひねったりして

     涙があふれてくるのをこらえる。

 

 

     ちゃおのばか!

     ばか!   なんで食べなかったんだよ!!

 

 

 

       

 

 

     死の一日前、池の周りを歩いた写真。

 

 

    

     

 

      夜だって、

      いつものように枕元にきて。

 

     ちゃおがてんかん起こすようになってから、

     すぐわかるようにいつだってそばで寝てた。

     よく、

     ちゃおがお布団のど真ん中占領してすやすや寝てて、

     おかあさんは布団からはみ出て、   

     くしゅっとなって寝てた。

 

 

 

 

     きょうまた仙台のおばあちゃんのところに行ってくる。

     もういつ何が起きてもおかしくないみたいだ。

     仙台の陽ママが言うんだよ、

     「実は、ちゃおが亡くなった日の朝、夢をみたの。

                 茨城のお父さんと仙台の母が、二人でしゃべりながら歩いていて

      そのすぐ前を、ちゃおが後ろを振り向きながら

      わんわんわん!って元気にほえて小走りに。」

     ちゃおは、時期を見計らってくれたのかな。

     でも、おかあさんうれしかったよ。

     ちゃおが、元気に走ってたってきいて。  

 

 

    

 

          

     茨城のおじいちゃん、ちゃお、仙台の母を考えるとね、

     死は苦しみからの解放なのかな、とも思ったりする。

     でも、絶対それだけじゃないはずだ。

     義父は95歳の時に、「私、95歳、老齢者です。

               すべて止めます。」 と書き置いて

     見事な芯の通った生き方と死に方をした。

     あんなに美人でしっかりした母は、数年前から常軌を逸した状態になり、

     姉たち夫婦が必死で支えた。

     それもひとつの生。

     ちゃおも、数か月前から薬でよくならない気管虚脱を抱えながらよく耐えた。  

     前の日、ご飯粒をおいしそうに食べたこと、

     スタバの泡を美味しそうに何度もなめたこと、

     あれ、ひょっとして「ありがとう」って言ってくれたのかな。

     そして、誰にも迷惑かけず静かに逝った。

 

         

     死ぬって、生きた時間も含め、後に残った大切な人たちに、

     言葉では表せない大きなものを残してくれることなのかな。

 

 

 

 

     昨日、金太郎ちゃんがお花持ってきてくれたよ。

     「わんわん、いない。」って何度も言って、

     で、何度もちゃおの写真をじっとみてた。

 

     

 

 

      帰る時、ちゃおの写真をなでていたよ、金太郎ちゃん。 

 

 

 

 

     ちゃお、

     これからおかあさん、頑張っていっぱい歩くようにする。

     ちゃおが歩きたくても歩けなかった分まで。

     みててね、ちゃお、

     おかあさん、まだ気持ちが集中できなくて手につかないけれど、

     ペットシッターさんたちにちゃおをお願いして続けたフランス語、

     もっと頑張るよ、

     もっとしゃべれるようにする。

     

     15年間、ありがとう、ちゃお。

     いっぱいいっぱいありがとう。

     いつも一緒だったちゃお。

     おかあさんは、きみのおかげで、

     暖かい心を持てた、

     そしてちょっとだけ広い人間になれた気がする。

     ありがとう、ちゃお。

 

 

 

 

          暖かい言葉、メール、お花、ありがとうございました。

          読む度、戴く度、暖かさに大泣きしました。

          皆さまの思いやりに、悲しさが包まれていくように思います。

          一度、あんこちゃんが私と留守番しているときに、

          大泣きしてしまったことがあって。

          そしたらあんこちゃん、不思議な顔でじっと黙ってみていて。

          これではだめだと、涙を拭いたら、

          手に持っていたおもちゃをひとつづつ、私に渡すのです。

 

          戴いたお花、メールにいまだお礼ができず、

          無礼を働いています。

          いろいろあってなかなか落ち着くことができません。

          ちゃんと時間がもてるようになってからゆっくりと。

          

          あいかわらず、悔しい悔しいと叫びながら大泣きしたり、

          自分の至らなさを責めたり、

          いるはずのないちゃおの姿を追い求めたりしていますが、

          仕方のないこと。

          動物と一緒に暮らす人は、みんな通らなくてはいけない道なのでしょう。

          時にまかせるしかありません。

      

          続けてきたブログ、3つはほんとに宝物となりました。

          ありがとうございました。

          元気でおすごしください。

          たくさんの感謝の思いで、ブログを閉じます。