『コルティジャーネ』の社長室に入ると空気がピリっと緊張した。
黒服達はふてぶてしい表情で無言で突っ立っていた。
黒服達が野犬なら『江戸一本舗』の女のコ達は小型愛玩犬だ。
後からついて入った伊藤と私は雑種犬というところだろう。
「みんな揃ったな」
中央に浅黒い肌をした細身の男が立っていた。
端正な顔が引き締まっており、目つきが異常に鋭い。
この男の場合は犬に例えることはできない。
そもそも「種」が違うと感じた。
おそらく、この男は犬ではなくコヨーテだろう。
それもアレキサンダー・マックイーンの服を着たコヨーテである。
「昨日、王野がバックレた。競馬が終わった直後に消えたらしい…」
王野はギャンブル狂で過去にも巨大な借金を背負ったことがあった。
その時は、競馬で大勝ちして借金を返せた。
今回も「あの時の奇跡」を願って金をかき集めて賭けたが、その結果が「逃亡」という形になったのだ。
「俺が言いたいことは三つだけ。まず『江戸一本舗』は閉める、そして俺にはおまえらの面倒を見る義務はない、他のコはいらないが小雪だけは『コルティジャーネ』で引き受けてもいい、ということだ」
「ところで、念のため聞いておくのだが…王野に金を貸した奴はいるか?」
4人の女のコが手を挙げた。
「千夏、いくらだ?」
「60万です」
「ミクルは?」
「100万です」
「愛理は?」
「80万です」
「…で、小雪は?」
「300万です」
「何て言われた?投資で増やすとか…そういう話か?」
女のコ達が「そういう事です」と答えるとコヨーテは深いため息をついた。
「小雪、おまえ何歳になった?」
「……28です」
と小雪はコヨーテに答えながら、すまなそうな顔でチラっと私を見た。
こんな時に「すまなそうな顔」をする小雪に私は驚愕した。
(そもそも小雪が23歳でも28歳でもどうでも良いことだ。)
「株や債券を知らないおまえらが、王野が店長というだけでホイホイ金を預けるのか」
重要なことを三点だけしゃべってサッサと解散したかったコヨーテに、何かのスイッチが入ったようだ。
職業に貴賎なしか?この世はな、貴賎だらけなんだよ。
ここにいる男共も自分がどんな仕事をしているか田舎のオフクロにちゃんと言えるか?
小雪、おまえは雑誌に「顔出し」までして売ろうとしたのは何の為だ?
たくさん稼いで早く足を洗いたいからだろう?
吉原だけじゃねぇ、どこの社会にも詐欺師、泥棒、嘘つき、馬鹿、そしてずるい人間が一定数いるんだ。
ずるい人間はどこでもいるんだよ、それらが常に自己評価が低い人間を利用するんだ。
王野はおまえらをチヤホヤしてきた。
おまえらを褒めちぎっておだてまくった。
なぜチヤホヤするのか?…おまえらのことをバカにしてなめきっているからだ。
おまえらは、ギャンブル狂がどんな嘘でも平気でつくことをわかっていない。
おまえらは王野に利用されていることすらも気づかない。
世界中で歴史上もっとも虐げられてきたのは何だと思う?
分かるか?そこのおまえ、答えろ、…え?黒人じゃない、それよりもっと、もっとだ。
世界中で最も虐げられてきたのは「女」だよ。
女はずっと虐げられてきた。
男の大半は女を虐げていることすら無自覚だ。
おまえらは「金の為」にここに来た。
品定めされて、ただの容器になる仕事だとわかってきている、わかってきているんだ。
だったらもっと賢くなれ、(頭を指して)ここを使え、死ぬほど使いまくれ。
でないと、ずっと同じことの繰り返しになるぞ。
女のコ達は始終うつむいていた。
「社長、勉強しました」
とミクルが顔をあげて涙声で言った。
「お金を預けたあたしが悪かったです…だけど、せめて王野さんに恩赦を」
と小雪は言った。
「(はぁ~)まるで、まるで話にならん。許す相手を間違えている」
コヨーテはかぶりを振った。
これ以上話してもしょうがないと思ったのか、
「まぁ、そういうことで。じゃ…小雪だけ残って」
コヨーテは解散宣言した。
そして、最後に我々に向かって言った。
「週刊『作話』さんですが、小雪がもし『コルティジャーネ』に入ったら取材はナシで。ウチはずっと週刊『ライアーボーイ』さんなんで」
「わかりました」と伊藤は答えた。
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私は王野のことを忘れていた。
王野は「もう死んでいるかもしれない」とあの頃は思っていた。
視力の悪い私のことだ。
全くの人違いかもしれない。
人違いだったら、私の妄想は電車の中で炸裂していたことになる。
けれども一瞬(王野、生きていたのか)と思った時に笑みがこぼれた。
いったい何の笑みだろう。
王野に生きていて欲しいと私はどこかで願っていたのだろうか。
笑みの理由がわからないまま、私はずっと電車に揺られていた。
※名前、店名はすべて仮名です。
《今日のロミ》「しかたないな」という表情