佇む猫 (2) Dr.ロミと助手のアオの物語

気位の高いロシアンブルー(Dr.ロミ)と、野良出身で粗野な茶白(助手のアオ)の日常。主に擬人化日記。

これまでの画像23 猫との距離感

2019年07月05日 | 主に画像(ロミ)

【いったい猫は何匹いるのか?と聞かれるようなトイレ事情】

 
初めてウチがこの家に来た時、フード付きトイレが設置されていた。
だが、ウチが「トイレに隠れる傾向がある」ことに気付いたのり丸は、すぐさまフードを取り払ってオープンにした。
一旦トイレが「隠れ部屋」になってしまうと、そこはもうトイレでなくなってしまうからの。
 
神経質な猫には広々としたトイレが向いているという。
また鉱物系の砂は(猫の先祖が)砂漠で砂を掘っていた感じに近く、猫が最も好むタイプだと言われている。
(…信憑性はわからんし、猫によって違うと思うが。)
 
そんな訳で、小柄なウチは大型猫用のオープントイレで思う存分「砂」を掘るようになった。
小さいトイレの方はゲージ用じゃが、ウチがこのサイズにも慣れる為に時々設置してある。
 
 
 
東京でチビとピキャンという老猫を飼っていた時は、のり丸の「猫の飼い方」は今よりずっと乱暴じゃった。
チビとピキャンは「仕方なく」のり丸が引き取った猫で、のり丸は2匹の存在をかなり負担に感じていた。
東京で勤労学生をしながら家賃が割高のペット可住宅に住むという状況自体にも、そこそこ追い詰められるものがあった。
 
しかしそんなのり丸を励ましていたのもチビとピキャンの存在だった。
2匹は約17歳まで生きた…寿命だったかもしれないの。
 
チビとピキャンが相次いでいなくなった後、のり丸は「猫に関する知識が乏しかったこと」を深く反省した。
その経験が、現在のウチへの過保護に繋がっとるのは言うまでもないが…。

 

【のり丸が作業をしている時、ウチは気配を消す】
が、大抵のり丸の半径1.5m内にはおる。
のり丸がふっと顔をあげてウチを見た時に喜んでもらえるポーズを研究中?じゃ。

 

 【羽根のオモチャで遊ぶウチ、まるでメガネをかけているよう】
犬好きでもあるのり丸がなぜ猫といるのかというと……たぶん「猫との距離感」が心地よいからじゃろうの。

 

 【ポーズとは裏腹に顔はかなりの魔物ぶり】
猫の目や、猫の顔が苦手な人にはかなり怖い顔じゃ。

 

 【時には顎が長い】

 

【普段のウチはこんな顔】

 

【この画像なんか、ともすれば哲学的にも見えるウチの雰囲気そのままじゃ】

 

 

【ちょっと魚眼】

 

【…なぜ近づいた顔をわざわざ写す?】

 

 【絨毯のシワシワはウチのせいじゃが、散らかった本は…】

 

東京にいた時、のり丸はフランクルの本を何度か読み返していた。
フランクルの本では「夜と霧」が有名であるが、のり丸がよく読み返していたのは「それでも人生にイエスという」という本である。
 
本の内容は現代にも十分通じるテーマである。
 
「不治の患者、とくに不治の精神病患者は、そんな病気にかかっているだけで、『生きる価値のない生命』と決めつけられ、そのために殺されかかったり、また実際に殺されたりしました。それに対してどんな見解をしめすべきでしょうか。」
/不治の精神病患者より
 
 
東京ではフランクルがよく「効いた」そうじゃ。
四面楚歌で視野狭窄になっている時に読むと、本に書いてあるような「コペルニクス的転回」をしなければ、と気付かされたらしい。
 
 
この尼崎に越してきてからは、ミステリーばかり読んでいるのり丸じゃ。
尼崎は下町で、人々は庶民的で気取らず、どこかのどかなところもある…そういう場所にはミステリーがよく合う。
土地を移動すれば読みたい本も変わっていくのかもしれんの。
 
 
もうすぐ…7月7日でウチは2歳になる(人間でいうところの23歳)。
チビとピキャンのように17歳(人間でいうところの84歳)まで生きることができるかの?
 
 
 
【水を出せ、と要求するウチ】
 
 
【猫背で爪を研ぐウチ】
 
 
フランクルの本に書いてある。
 
「…どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているからです。
その際、どんな未来が私たちを待ち受けているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。」
 
 
まぁ、確かに。
東京にいた時ののり丸にウチは言ってやりたいけどの。
 
「そのうちウチが会いにいくからジタバタせずに生きていろ」と。
 
 
じゃあ、またの。