佇む猫 (2) Dr.ロミと助手のアオの物語

気位の高いロシアンブルー(Dr.ロミ)と、野良出身で粗野な茶白(助手のアオ)の日常。主に擬人化日記。

これまでの画像32 マウンティングについて(+追伸)

2019年12月23日 | 猫・擬人化日記

ご無沙汰しておったの。

 

のり丸はいろんなことを考えて、それを言葉に残したいと思っておる。

すべての人に「この文」を受け入れてもらいたいというムシの良いことは考えていないし、むしろ「なんだ、この文?いったいどんな奴が書いているんだよ?」と感じる人の方が多いだろうと想像しながら書きはじめたらしいけどの。

 

のり丸がフワフワと考えたことが、もしほんの少しでも誰かの励みになることがあれば嬉しく思う。

そんな訳で、時々言葉を置いておきたいと思っているのじゃ。



↑この漫画を知っているじゃろうか?


 

なんと!最近「この猫、ロミちゃんに似てますね」と言った人がいたのじゃ。

え?いやぁ…あの〜、この猫はハチワレだし、丸顔だし、ウチよりよっぽどかわいいんじゃけど…でも、ちょっと嬉しいの。

ともかく、この猫の性格がウチを連想するそうじゃ。

そうかの?(笑)

て、まだ読んでないからわからんけどの。


今ごろ帰ってきて、と…しぶしぶのり丸を迎えるウチ。

 

さて、いつものように扉に飛び乗りながら、始めるのじゃ。

 

ロミの格言 その2

マウンティングゲームには参加しない

 
「底辺」とか「頂点」とか、そういう表現で人間を評価している言葉を聞く度に、つくづく人間ってややこしい生き物じゃの、と感じるわ。
だってすべて己の脳内で作り上げた価値観じゃろ?
 
人間は誰々より何かが上とか下とか、そんなことを思っては優越感を感じてみたり、卑屈になったりする。

当然「マウンティング」をされた人は「マウンティング」されたことに気づいている。
もちろん「マウンティング」などされていないのに、己の囚われが強くて相手に「マウンティング」されていると勘違いすることもある。
 
ただ、はっきりと断言できる。
この世の誰もが「他者から貶められたくない」のじゃ。
大抵の人間が偽善者の標的にされたくないし、人を見下すことによって優越感を感じている人間のことが嫌いじゃ。
 
もともと生命体としての優劣などどこにもないのに、時に人間はそういう価値観で苦しむのじゃ。
それは「他者の承認」を基準に動いてしまっている時に起こるのじゃ。
 
ウチはのり丸に認めてもらいたくて行動したことは一度もない。
「たまにはウチに認められるぐらい動けよ」と、のり丸に対して思うことはしょっちゅうじゃけどの。
 
 
 
さて、昨日の(オカン×のり丸)ひっさしぶりの電話じゃが…

オカン「…わかったわ。来年は引っ越すのね。報告ありがと。…そこを引っ越すのはいいかもしれないけど……それで…仕事の方は…ちゃんとしているでしょうね?先のことを見据えて、少しは世間の動きに目を配り、堅実に生きていかなければだめよ」
 
今までの電話では「うん、うん…そうだね」と機械的に返していたのり丸じゃ。
そもそもオカンは人の話を聞いていないし、こじらせると大変だからじゃ。
 
しかし今回は素で答えていた。

のり丸「仕事は常にあるけど不安定だし、今後も堅実に生きれないよ。そんな生き方は自分には無理や。もう、いい加減オカンもわかっとるやろ?」

オカン「……うん、それはそうだけど」

のり丸のオカンも年取って悟ったようじゃ。
 
というか、オカンもただオカンらしいセリフを吐いていただけなのじゃ。
子供の頃からのり丸の性質を見てきたオカンは、とっくの昔にあきらめている。
子供たちが自分が願ったように育たないものだということを、とっくの昔にわかっている。
 
実は、のり丸はリーマンを「すごい」と思っている。
以前は、リーマンができない自分にコンプレックスを感じていた。
のり丸にとってはリーマンを続けることは並大抵のことではないからじゃ。
 
リーマンの友人は先のことを考え、家を持ち、投資をし、社会的な信用も(のり丸よりもずっと)ある。
そしていざという時に、自分が築いてきたその「堅実な資産」で人を助けることもできるのじゃ。
 
それに反して、のり丸は「イチかバチか」という賭けのような生き方をしている。
「これしかできないし、これが好きだし、この道を進んいくしかない」そういう覚悟を固めている。
 
しかし、リーマンの友人の意見を聞くことでバランスが取れることも多い。
他人軸で生きることはできないが、他人の考えを聞くことは役に立つ。
 
この話とは別じゃが、自分のことを嫌いなアンチの意見もとても役に立つ。
アンチの意見には悪意が含まれていることもあるが、悪意の部分だけを取り除くと「(世間の)反対意見」を「代表」していることが多いのじゃ。

だからアンチによって自分を顧みることができ、方向性がハッキリと見えることがある。
 
まぁ、ともかく…
世で人の評価ほど不安定なものはないのじゃ。
 
不安定な他人軸で生きるのではなく、自分軸の中で「どうやって自分を助けて生きていくか」ということを考えていくしかないのじゃ、誰もがの。
 
 
PCの前にいると、なぜかイカ耳に…。
 
 
 
 
じゃあ、またの!
 
 
※誤字脱字、国語的表現の間違いが非常に多い為(自分で時間差を利用した)校閲?をしていますが、その時に文章を若干?削る癖があります。
(夜書くのと、昼書くのでは感覚が違うものですね)
 
 

これまでの画像31 身体の栄養、心の栄養

2019年12月10日 | 主に画像(ロミ)
のり丸のブログ放置がすごいため、ウチの格言を書くことにした。
10まであるのを少しずつ…なら(きっと)続くじゃろう…。
 
 
ロミの格言 その1
 
食事は身体の栄養7、心の栄養3の割合にする。
 
 
ウチの場合、栄養のあるカリカリをメインに食べて、時々猫缶や、ほんの少しおやつを食べている。
時たま、(味付けなしの)茹でた豚肉や鳥肉や白身魚などを一口食べることがある。
 
 
のり丸の部屋にあるヘボい体重計が実は狂っており、ウチの本当の体重は現在2.6キロ。
ウチは軽すぎるらしい。
 
キャットフードもいろいろ試したけれど、ゲロゲロと全部吐いたりして食べられないものもあった。
今食べているフードに関しては、「長年あるメーカーだし、悪いものではないから、このチョイスで良い。それに猫の食べる意欲が続くことが大切だ」
と獣医は言っているけどの。
(※参考までに。メインキャットフードは、ニュートロのナチュラルチョイス、ピュリナワンなど)
 
 
ウチはペットショップ暮らしが長かったのでカリカリだけでも大丈夫だが、のり丸が外から帰って来たときにおやつをくれることが心の栄養になっている。
食の細いウチはチュールでも残すことがあるのじゃが、最初のペロリで心は満足しているのじゃ。
 

さて、添加物てんこ盛りの加工食品を食べ、排気ガスやPM2.5をはじめ、汚染された環境で生きている人間についてじゃが…。
人間の生活もいつでも新鮮な空気を吸い、常に新鮮な食物を食べる、というわけにはいかないの。
それも一つの進化形態ともいえるかもしれんの。
この環境で生き延びた人間が、やがてはこの環境に適応したことになるからじゃ。
 
しかし、人間の場合は心の栄養の比重が猫よりずっと大きい生き物じゃ。
だから、やたらめったら禁止せず、心の栄養になる食事を優先した方がよい時もあるのじゃ。
 
人間は身体の栄養と心の栄養のバランスを上手にとりながら、五感を刺激しながら発達してきた生き物じゃからの。
 
 
 
【あからさまに不機嫌】
 
 
「………」
 
 
 
冷たいようで寂しげな横目を使ってみる。
 
のり丸「おやつにしようか?」
 
 
「ん!」目が輝く!
 
 
表情がガラッと変わる。
 
 
 
このひと時、心の栄養!…単純じゃけど。
 
 
 
 
会話も弾む。
 
 
ロミ「ん、ん、んなも~」
のり丸「ん?ん?んん~?」
 
朝から晩まで「ん」で会話しておる。
「ん」で通じ合うから、ある意味すごいの。
 
 
 【ワニの口にして寝る】
 
じゃあ、またの! (がんばって更新するの!)