定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

武蔵野美術大学の機関紙に掲載された宮本常一(教授/民俗学)の記事(抜粋)その2

2020年10月05日 | 今日の響いた言葉

「武蔵野美術62」 私の学んだ人-2 宮本常一 から

(その2 柳田国夫)

 宮本常一がいまも私の胸に強くささっているものがある、と前書きして柳田国夫とのやりとりを書いている。

 昭和15年頃か、いろいろの話しの末に「日本軍もシナでずいぶん戦果をあげているようですね」と話したら、先生は眉をひそめて「困ったことだ」と言われ、次のような意味のことを話された。「人間には殺伐の血が流れている、そういう者が昔は武士になった、その武士を殺伐にさせないために儒教でくくりつけてきた。しかし、百姓もせず大工もせず武道の稽古をしては儒教の書物を読む。人間性はゆがめられてしまう、そういう人たちを再編成したのが軍隊だ。軍隊という特殊な社会の中にとじこめておける間はよい、しかしたえず殺しあいの訓練をさせ、武器をもたせてある、しかも軍人の出世するのは戦争以外にない。国の中が平和なら国の外で戦争をする場所をさがす、いったん武器をつかいはじめると、失敗するまでやめられなくなる。近世の戦争で国民と国民の間でおこった戦争はほとんどない、みな軍人がおこしている。そして自分らの手で始末におえなくなると国民をまきこむ。」

ながい話のすえに「民衆は平和がすきなのだよ」といわれた。

軍人は日支事変を自分たちの手で片をつけることができなかった、そしてさらに大東亜戦をひきおこす、ついには国民全体をその中にまきこんでしまう、そのはての敗戦。私は大東亜戦の終わるまで、心の中で柳田先生のいうことばをくりかえし考えて見てきた。時局は柳田先生のいう通りに動いてすべてが終わった。

 昭和15年頃にこのように見通せた方がいたことに感動を覚えます。柳田国夫のように優れた思想家は時代を的確に読め、将来を予測できるのでしょう。

 「国民と国民の間でおこった戦争はほとんどない、みな軍人がおこしている、そして国民をまきこむ」軍隊は軍隊を守るために国民を犠牲にする。国の中が平和なら国の外で戦争をする場所をさがす、今でも状況は同じでは、軍隊(自国だけでなく他国も)は非常に危険なものと肝に命じておかなければならない。


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