皆様
数年ぶりのお知らせとなります。
いまはSNSでちょこちょこと発信をしています。
twitter@robiazaraseals
こちらでは更新が進むことはないと思いますが、昨今のSNS事情を踏まえ皆様から頂いたコメントは非表示にして保管したいと思います。
ご縁が有ればSNSでお会いしましょう。
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観艦式を翌日に控えた横須賀基地では海外艦艇を含めた一般公開が行われていました。
横須賀地方総監部前に掲揚されているのは参加国の豪、仏、印、日、韓、米の国旗。
オーストラリア海軍からはMEKO型フリゲートを基にしたスチュアートが参加。
艦名はスコットランドのスチュアート朝に因んでいるとのこと。
インド海軍より参加のサヒャディは世界遺産にもなっている西ガーツ山脈の別名に因んでいる。
インド国産としては初の本格的ステルス設計を施したシヴァリク級フリゲートはインドの山脈から名を戴いているようである。
韓国海軍から13年ぶりに参加したデジョヨン。
旗流信号U・W以外の言葉が見つからない。
フランス海軍より来るヴァンデミエールはフランス革命暦で今頃の時節を指す葡萄月に艦名を因んでいる。
アメリカ海軍参加艦艇の公開は無かったものの、横須賀基地に停泊中のBMD対応済みアーレイバーク級駆逐艦を捉えました。
そして海上自衛隊からはDDG-174きりしまならぬ、DDG-1.74ちびしまがお目見え。
簡素ながら各国艦艇のご紹介でした。
反対派の急先鋒・SEALDs(シールズ)の正体とは? ラップ調で抗議活動、ネット活用・・・産経新聞
私の認識からすればシールズと言えばアメリカ海軍の特殊作戦部隊であるNavy SEALsが一番に思い浮かぶ。
その意味はと言うとSEがSEA(海)、AがAIR(空)、LがLAND(陸)と成っており、海空陸問わず特殊作戦に対応できるからだと言われる。
それと海中を自由自在に泳ぎ回る様子からなのか、英語でアザラシを意味するSealも掛けたとのこと。
何れにせよシールズの綴りはSEALSである。
一方、冒頭の日本を貶めたいらしい学生団体はStudents Emergency Action for Liberal Democracysと名乗るらしい。
そして盾を模したらしい団体のロゴマークも見受けられる。
それならばSEALDSはシールドズと呼ぶのが自然ではないだろうか。
だがシールドズというのも何やら言いにくさを感じる。
ならば、序でに半島臭さを醸し出せる様にシルドズとしてみようではないか。
国会前に集まってみんなでペンライト振ってお祭りしたり、一国の総理大臣を呼び捨てにしたり下品な言葉の連呼ラップをするのは勝手だが貴君らのような者が、アメリカ海軍精鋭特殊部隊とアザラシの同音で呼ばれるのは腹立たしいことこの上ない。
もう一度書いておきます。
SEALDSはシルドズ
【防衛省発注 平成27年度受託調達駆逐艦 概要】
アメリカ海軍が配備するアーレイバーク級駆逐艦をタイシップとして起工した受託調達駆逐艦は進水式に合わせその名を冠された。
はじめはアメリカ合衆国海軍アーレイバーク級駆逐艦DDG-527 ELLISとして。
彼女は敢えて最新仕様のフライトⅢではなく基本型のフライトⅠを改良したフライトⅡをタイシップとしている。
その点については彼女に求められた性質が汎用量産性重視ではなく、弾道ミサイル迎撃を主とした防空能力特化に有ったためである。
もともとアーレイバーク級は高コストかつ艦体設計に制限が有ったタイコンデロガ級イージス巡洋艦を補うべく、量産性を重視したイージスシステム搭載艦として1988年からネームシップで有るDDG-51アーレイバークの建造が開始されたものの、冷戦終結後の世界情勢においては特化した防空能力に加えて汎用性も重視されるようになり、それらの点を踏まえた上でヘリ格納庫を備え、艦対艦ミサイル発射機等を省いた仕様のフライトⅡAが建造されていくこととなり、更なる向上型であるフライトⅢへと繋がっていくこととなる。
そんな中、極東地域に突如として沸いて出た弾道ミサイル問題に対し、アメリカ合衆国海軍第7艦隊以外の当事者となる日本国海上自衛隊では早急な防空能力の構築に迫られる事態となった。
まずは既に就役しているイージスシステム搭載のこんごう型護衛艦に弾道ミサイル迎撃が可能となるBMD改修を施し、日米合同の弾道ミサイル迎撃訓練を行うことで日本列島を防護する手段と能力を備えた。
引き続き弾道ミサイル問題が顕著化した次期に竣工と相成ったあたご型護衛艦にも同様の改修を施していく事が決まり、更には次期イージスシステム搭載護衛艦に於いては建造時からBMD能力を備えさせることで弾道ミサイル問題に対する手段を大いに向上させることとなった。
しかし、それら手段を発揮するための能力獲得にも備えなければならないが、イージスシステム搭載艦の数が限られる海上自衛隊に於いては練成手段に供する事の出来る艦が不足している現実が壁となっていた。
その現状を憂いた某機関の防衛部長たる人物が水面下に於いて、アメリカ合衆国海軍及び国防総省をはじめとする米政府関係者に対し日米同盟強化を主眼に於いた極東地域へのイージス艦増備を強く訴えた事が端緒と成り、MSA協定に基づいたアメリカ合衆国による域外調達によって能力練成を主たる目的としたイージスシステム搭載艦の建造が認められることになり、平成27年度受託調達駆逐艦の名目で先述のDDG-527 ELLISが誕生する事となった。
24DDHの進水命名式が大々的に行われるなか、しばしの後、日本国海上自衛隊ミサイル練習艦TVG-3527エリスの名を新たに抱くことに成る艦のひっそりとした前日譚をお届けしてみました。
前回、信濃について綴ったものは端的に言ってみますと、DDH-184しなのを推したいというものでした。
この度いずも型護衛艦の2番艦として進水し命名される24DDHは命名基準に変更が無ければ旧国名から採られるはずです。
先日、新潟県直江津港にて護衛艦みょうこうの艦艇公開に立ち会う機会が有り、初となる海上自衛隊艦艇の見学をして参りました。
前から見て一番目立つのは、イージス艦の特徴であるSPY-1フェーズドアレイレーダーを備えた艦橋と格子状マストでしょうか。
マストに掲げられているこの旗は国際信号旗というもので、それぞれがアルファベットを意味する旗です。
この掲げられている旗の意味を表しますと・・・
M・Y・O・K・Oとなっており、みょうこうと示しているのでした。
他にもみょうこうのエンブレムらしき旗が翻っております。
乗艦する際に登る舷梯にも艦名と共に妙高山繋がりで上杉謙信らしきロゴマークが。
乗艦して最初に目に付いたのは立派な艦名板。
艦首のOTOメラーラ127ミリ速射砲と艦橋前部に備わる通称CIWSこと20ミリ高性能機関砲。
CIWSは動作展示が随時行われており、『右舷対空戦闘用意』の号令と共に駆動音が鳴り響きます。
速射砲と艦橋の間に備わるのはMk-41VLSこと垂直発射機、イージス・システム搭載艦には必須と言える装備でしょう。
ハッチの中には恐らくスタンダード艦対空ミサイルとアスロック対潜ロケットが装填されてると思いますが、外から見ただけでは判別できません。
スタンダード艦対空ミサイルはSM-3とも呼ばれスペックとしては弾道ミサイル迎撃も可能で、
実際にみょうこうを含むこんごう型イージス護衛艦は訓練に於いて模擬弾道ミサイルの迎撃に成功しています。
艦内も前部上甲板から第2甲板にかけて見学が出来ました。
外周通路には掃除道具や防舷物の他に救助訓練のダミー人形がハイライン補給で使われる人員カーゴに収められています。
入ってすぐに立派な舷門マット?が敷かれています。
先任海曹室近くに貼られた『おいしいイージスの水』の張り紙。
給水機の事を指していたのですが、案内の乗員によれば『舞鶴で積んだ水と日本海で濾過した海水のブレンドで15分前に商標登録しました』と面白みのある語りをしてくれていました。
他にも、カレーのことについて聞いてた子供に『みょうこうのカレーは世界で2番目に美味しいカレーです。世界一は何かと言うとやはり皆のお母さんのカレーです』、『今日はカレーの喫食は出来ませんが、食べたいと言う子は海上自衛隊に入隊してみょうこうに配属してもらってください。そうすれば毎週金曜日に必ず食べることが出来ます』などのユーモアたっぷりな語りを披露してくれていました。
そしてタイトルにもあります艦内神社のみょうこう神社です。
分詞もとの関山神社はみょうこうの先代である帝国海軍巡洋艦妙高にも艦内神社として祭られていました。
お賽銭を入れみょうこうの無事をお祈りしてきました。
今回、みょうこうは妙高山が位置する妙高市の市制10周年イベントの一環で来航したようで、海に面した最寄の上越市も共催して直江津港にみょうこうが入港し里帰りが実現したと言う訳です。
その実施にあたり新潟地本も協力しており、陸自車両も展示されていました。
左から順に73式小型トラック、高機動車、軽装甲機動車となっております。
この車両の組み合わせはこの辺を意識して用意したのかなとも思ったりもしました。
艦内見学に戻りまして、みょうこう神社の他には先任海曹室で物販が有ったのでピンバッジを記念に購入。
操舵応急指揮所と医務室を見た後には立派な理髪室も見ることが出来ました。
第2甲板コースは並ばず見学できましたが、艦橋見学コースは写真のように長蛇の列がずら~っと続いていました。
こちらの見学は2時間ぐらいの待ちに加え暑さもあったので上甲板のみを見学しました。
後部甲板などの様子も後ほどお知らせしたいと思います。
前回、取り上げましたDDG-173かつらぎの後続艦であるイージス搭載護衛艦の簡単なご紹介です。
【概要】
きりしま型護衛艦はかつらぎ型に続いて建造された艦隊防空用護衛艦であり、イージスシステムを搭載したアメリカ海軍のアーレイバーク級駆逐艦を基に開発された。
イージスシステムの搭載により多目的同時対処防空能力が格段に向上し、従来からの航空機や対艦ミサイルへの対処のみならずシステム改修やSM-3ミサイルの搭載によって弾道ミサイル迎撃能力も備えるている。
司令部機能を持たせたためアーレイバーク級に比べ艦橋が大型になっており、その外観は帝国海軍の高雄型巡洋艦に酷似したものとも言われた。
1番艦であるDDG-174きりしまに続きDDG-175あかぎ、DDG-176いぶき、DDG-177まやが建造されている。
*なお、実際にはDDG-174きりしまはこんごう型護衛艦でありあかぎといぶきもDDG-175みょうこう、DDG-176ちょうかいとなっています。
DDG-177まやも実際はあたご型護衛艦のあたごとなっており、外観も異なっています。
きりしま型というのも架空艦のDDG-173かつらぎに続き建造されたと言う架空設定です。
ちなみに人によってはかつらぎ、きりしま、あかぎ、いぶき、まやとの組み合わせにピンと来るものがあるかもしれませんね。
昭和20年(1945年)7月24日から28日にかけて発生した呉軍港空襲
そのとき四姉妹の中で唯一健在だった三女も多数の命中弾を受け艦上部を損傷、破損箇所から浸水が発生しついに力尽きてしまう。
しかしダメージコントロールにより弾薬庫の浸水は無く前部主砲は使用可能であったとも伝えられているが、それ以降、彼女は大きな砲火を交えることは無かった。
貴女が存在したことで歴史を知り、未来を教えられる。
いま貴女の名を継ぎし子達は、貴女達の受けた痛みや悲しみを繰り返すことはしまいと信ずるに足る存在となっています。
昭和20年7月28日
金剛型戦艦 三番艦 榛名
呉軍港江田島小用沖にて大破着底。
彼女の果てた日から70年目の暑き日に
地方隊向けに建造され既に全艦退役している、ちくご型護衛艦を基にした架空の護衛艦です。
実際はDE-226いしかり、DE-227ゆうばり、DE-228ゆうべつとなっており現在は3隻とも退役しています。
【DE-226 あがの:JMSDF DE-226 AGANO】
あがの型は第3次防衛力整備計画で建造されたちくご型が対潜能力を重視して、地方隊向け護衛艦としては初のアスロック発射機を備えたものの対空能力が68式3インチ連装速射砲と40mm連装機関砲のみであった事を解消させるべく計画された。
艦体はちくご型を基にしているが主機関にディーゼルエンジンとガスタービンを併用するCODOG方式を採用している。
艦首にはOTOメラーラ76mm砲をライセンス生産した62口径76ミリ速射砲を備え、管制には艦橋上部に配置したFCS-2を用いている。
艦後部にはシー・スパロー艦対空ミサイルを運用する短SAM発射機3型(GMLS-3)と管制を行うWM25のレドームを配置し対空能力を同時期に竣工した汎用護衛艦はつゆき型と同等に向上させている。
1番艦であるDE-226あがのは阿賀野川に由来し、この名を継ぐのは帝国海軍時代の軽巡洋艦阿賀野に継いで2代目であり、海上自衛隊においては初の命名となる。
同型艦にはDE-227もがみ、DE-228おおいが有り、これら3艦においてCODOGの運用や地方隊向け護衛艦の対空能力を検証した実証結果に基づき、次期地方隊向け護衛艦であるあぶくま型が建造されることなった。
20世紀最後の戦艦と言われるアイオワ級戦艦の2番艦BB-62ニュージャージーのご紹介です。
アイオワ級戦艦は1番艦BB-61アイオワに始まり、BB-62ニュージャージー、BB-63ミズーリ、BB-64ウィスコンシンと4隻建造されました。
タイトルは映画バトルシップにて主人公達が乗る最新のイージス艦が次々とエイリアンの宇宙船に破壊されるなか、最後の切り札として登場したパールハーバーにて保存されていたニュージャージーの妹であるミズーリと元乗組員である爺様たち。
その爺様の一人がエイリアンに対し主砲射撃を開始する際に発した台詞『痛いのをぶっ喰らわせてやれ!』から。
アイオワ級戦艦3番艦のミズーリですが、4隻建造されたアイオワ級の中では就役が一番遅く4番艦ウィスコンシンよりも2ヶ月ほど遅れて1944年6月11日に、アメリカ海軍最後の戦艦として就役しました。
アイオワ級が誇る主砲は40,6cm砲で大和型戦艦の46cm砲には若干及びませんが、それでも砲撃の威力は凄まじい物だったでしょう。
写真ではニュージャージー後方にDDH-143しらねが大きさの比較のために待機しています。
ニュージャージーは第2次世界大戦後は予備役入りを繰り返しつつ朝鮮戦争、ベトナム戦争、レバノン内戦と参加し冷戦終結後の1991年に退役しました。
その当時の海上自衛隊で最大の護衛艦は全長159mのしらね型でしたが、全長271mのニュージャージーと並んでみると半分ほどの大きさしか有りません。
そのしらねの後継艦であるDDH-183いずもは海自史上最大の全長248mを誇りますが、それでも後30mほどアイオワ級が勝ります。
ちなみにニュージャージーの前方に位置するのはタグボートではなく、海上自衛隊各地方隊の掃海隊にて日夜活躍を続ける、すがしま型掃海艇です。
A棟の紹介に続いて案内されたのが儀仗広場。
普段は日の丸を真ん中に掲揚していますが海外からの来賓が有る際は、その国の国旗が真ん中に掲げられ日の丸は横に移動するそうです。
ちなみに、この日はツアーガイドのお姉さんの他にも広報担当の陸自曹長の方も同行して色々解説してくれていました。
この方、『陸自所属だけど名前は海●と言いまして、レンジャー(空挺)にもいたので、一人で陸海空と揃うんです』と言ったことを申されます。
ここで参加者一同から笑いが多数。
さらに『以前、見学された方からの質問で、後に見える田中土建工業は田中角栄と関係有るんですか?と防衛省と全く繋がり無いようなことも聞かれましたが、その後調べてみたら田中角栄が設立に関係した会社のようです』とのエピソードも田中角栄のモノマネも交えて披露してくれました。
こんな感じの陽気な陸曹長の解説付きで儀仗広場を見学。
日の丸には天候別に種類が有り今日は晴天用を掲揚しているとのこと。
他に雨天用と荒天用があるのですが晴天用を掲揚した後に急な天気の変化が起こってしまっても、日没までは降ろせれないので気象観測も重要なのですと仰っていました。
あと国連からの来賓が有る際には国連旗を掲揚するそうですが、海●陸曹長がここの広報担当になって数年経つも今だ見たことが無いそうです。
続いてツアーガイドのお姉さんに案内され着いたのが市ヶ谷記念館というところ。
ちなみにエリス中尉の訪問記では赤いコートを羽織った格好をされていたツアーガイドの方ですが、
この日は5月に成ったばかりだと言うのに夏日を記録する日になりやがりまして(暑いのが嫌い)、ツアーガイドのお姉さんも写真にあるように涼しげな白い衣装になっていました。
もっとも官公庁ではこの日からクールビズが始まったので、それに合わせて変わってたのかも。
陸曹長も上着は無くシャツのみでしたがレンジャーの証であるベレー帽(?)はきちんと装着されていました。
もともとは先ほど紹介した防衛省庁舎A棟の位置に陸軍士官学校本部1号館として建設され、その後は大本営陸軍部、極東国際軍事法廷、
陸上自衛隊東部方面総監部としての歴史を刻んで来た庁舎を移築したのが市ヶ谷記念館。
本来は上記写真の模型のような外観をしておりましが移築する際に大講堂、東部方面総監室、陛下の休憩所を中心に残して減築したので、
外観にかつてのような威容は無いかもしれませんが、内部の歴史を感じさせる空気は有ったかと思います。
大講堂内部はフルオートで撮影したせいか写真の明るさが補正されていますが、照明は当時のままの物を使用しているとのことで結構薄暗く、
左手にあるスクリーンでビデオを視聴したのですが照明を落とさずに上映しても見にくくないほどだったと思います。
展示物もいくつかあり極東軍事法廷で使われた地図や降伏文書と思われる書類、海軍関係では軍艦比叡進水記念品。
これは恐らくDDH-142ひえいの先代である戦艦比叡の進水式で使われたものだと思います。
昭和12年航空母艦進水式記念の贈呈品は左舷に艦橋がある空母の模型なので赤城か飛龍でしょうか。
山本提督の新春挨拶の自筆書?や帽章が展示されていました。
さてエリス中尉の訪問記では見学中に三島由紀夫事件について全く触れられてないと記されていましたが、今回は記念館前に到着するやいなや海●陸曹長、
『皆さん、こちらが三島由紀夫がクーデター起こして切腹したとこです。ちょうどここのバルコニーの上で演説してたんですよ。当時は昼飯時なのに三島が演説するから隊員を集めろと言うので、総員集合させはしましたが隊員みんな腹ペコで三島にブーイングを浴びせるものだから、三島は清聴せい!清聴せい!と叫んでたようです。見学出来る場所に彼が刀を振り回した時に出来た傷も残っています』
と言った具合に盛大にアピールしちゃっています。
この陸曹長、結構冗舌な方で講堂内でも展示品の解説に時事ネタを挟んできたり、エリス中尉のブログで良く拝見するしっかりした日本の歴史観を語ってくれる方でした。
陸曹長曰く『あと数ヶ月で定年になるので、その後は靖国神社で紙芝居をして色々と伝えて行きたいと思っています。けど今は紙芝居よりyoutubeかな~』などと語っておりました。
わし自身は元々はただ艦船模型をはじめとして陸海空自衛隊の装備品などに興味が有るだけでしたが、やはり護衛艦の存在や仕組みを調べていくと帝国海軍の時代や海自創立の経緯など色々と日本の歴史や現在の情勢を知ることになってきた所にエリス中尉のブログなどを拝見するようになり、ただ艦船が好きだけでなく何故それらが存在しているのかも考えさせられるようになってきた次第でございます。
と言ったところで今回の投稿を一区切りしたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
前日のしょうもない替え歌投稿に続いて、本日は防衛省の一般見学ツアー参加をして参りました。
写真の整理が多少必要なので、まずは防衛省庁舎A棟と通信タワーが目立つB棟の外観写真をご紹介。
A棟は防衛大臣部局や統幕監部を筆頭に陸海空の幕僚監部が入る防衛の中枢機関だそうです。
屋上には都内でも有数のヘリポートが備わっていて防衛省のHPでヘリポート使用時のお知らせが見れたりします。
B棟の通信塔は220m有り各自衛隊の通信関係部隊が入居されている模様。
このツアーを知りましたのは、当ブログを始める一因ともなりましたエリス中尉の『ネイビーブルーに恋をして』で訪問記を拝見したのが切っ掛けございます。
今回参加したのは午後の部ですのでエリス中尉の訪問記とは見学内容が多少変わっています。
以降の写真準備が整ってないので、まずはここで小休止でございます。
【昭和60年度計画艦隊防空型護衛艦:60DDG】
【DDG-173 かつらぎ:JMSDF DDG-173 KATSURAGI】
かつらぎは第三世代の艦隊防空用護衛艦はたかぜ型の改良型として建造された。
当初の中期業務見積もりに於いて、はたかぜ型は4隻が建造される予定だったが本型の誘導方式では搭載するイルミネーターの数によって対処できる目標数が制限されてしまい、対処能力に限界があったため後続としてイージスシステムを導入した第四世代艦隊防空用護衛艦(63DDG)への移行が決定し2隻の建造に留まっていたが、1985年度予算に於いて本型の3番艦とあさぎり型2隻を要求した大蔵省査定の結果、これらの建造が認められた。
60DDGはイージスシステムの搭載には至らなかったものの、次期63DDGにて採用予定のVLSとフェーズドアレイ・レーダー等を組み込み次世代護衛艦へ教導的役割を果たす事を目的ともしていた。
1986年12月8日に石川島播磨重工東京第1工場にて起工した。
1988年4月22日に進水し命名式を行う。
艦名については当初、はたかぜ型の3番艦と予定していたためいそかぜ、ゆきかぜなどが候補に挙げられていた。
しかし、兵装と電装が大きく変更さていることから船体を同一とする準同型艦として扱う事になった事に加え、艦名命名基準が改定され、これまでDDHにのみ割り当てられていた山岳名がDDGに於いても使用が可能 となった。
これを受け進水式に於いて大和葛城山に由来するかつらぎとの命名が成された。
この名を継ぐ艦は帝国海軍時代のスループ艦、雲竜型空母の3番艦と続いており海上自衛隊艦艇としては初の命名と成った。
1989年12月19日に竣工し護衛艦隊に編入された。
前型との差異は兵装と電装に大きく見て取れる。
73式5インチ速射砲は従来どおり2基装備しているが、ヘリ発着の際に砲身との接触を避けるため砲塔を真横に旋回させる必要があった2番砲は、前部甲板の今までアスロック発射機が置かれていた場所に配置された。
代わってVLSが後部甲板に設置されミサイルの即応性向上と装弾数増加に加え柔軟で安定したヘリコプターの運用が可能になった。
VLS はMk-41となっており、当初はスタンダード艦対空ミサイルとアスロック対潜ロケットを運用していたが、イージスシステムに依らないスタンダードの同時多目標対処には制限が有ったため、後に第3世代汎用護衛艦で採用予定の発展型シースパローが装填されスタンダードの運用は、はたかぜ型と同様に艦首のMk-13発射機にて行われている。
電装の主な改修点としては艦橋上部のECM及びOPS-24アクティブ・フェーズドアレイ・レーダー、艦体後部に設けた誘導用イルミネーターSPG-62を備える構造物などが挙げられる。
かつらぎの竣工後はイージス・システム搭載の次期護衛艦が採用されているため同型艦は無い。
本日、DDH-183いずもが無事に竣工し自衛艦旗授与を経て第1護衛隊群に配備され、これからを生きゆくべく抜錨しました。
その一方でDDH-143しらねが自衛艦旗を返納し35年に渡る役目を終えました。
対潜ヘリを3機搭載し多数の兵装を備えたしらねは、世界的にも珍しい艦容を持つと共に高い対潜能力や司令部機能を備え護衛隊群の中核を成し、観艦式では観閲艦を務めるなど海上自衛隊の主たる部分を担い生きてきたと言えるのではないでしょうか。
一時はCIC全焼事故により廃艦も危惧されましたが、先じて役目を終えようとしていたDDH-141はるなからCICを移植される形で再び護衛隊群に復帰し、今日まではるなの一部と共に務めを果たしてきてくれました。
退役後もしらねはXASM-3の実艦標的として最後の最後まで務めを果たすことになると思われます。
艦体は沈んでしまうものの艦魂は不滅であろうと信じて、『お疲れ様』と『ありがとう』の言葉を贈りたいと思います。
【しらねはこれまでを生きそして逝く】