大和型戦艦の二番艦にして戦艦大和と姉妹艦であった武蔵が戦没から約70年ぶりにフィリピン中部シブヤン海にて発見され話題となっています。
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わっしが初めて作った艦船模型も武蔵でしたので懐かしく感じました。
つい先日も行きつけの某量販店の模型コーナーを覗いたら、多くの戦艦武蔵の模型が並べられていました。
さて大和と武蔵はこの度の事で話題になる以前からも、ある程度一般に知られてはいたと思うのですが、それ以外にも三番艦が存在していたと言うことについては、果たしてどれほど知られていたのでしょうか。
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大和型戦艦三番艦は建造が開始されたものの、第二次世界大戦に於ける真珠湾奇襲が示した通り戦艦の砲撃力よりも空母艦載機による航空戦力が主力と成りつつあった事、ミッドウェイ海戦において帝国海軍が主力空母を多数喪失した事などを受けて、戦艦から空母へと改造して建造されて行くことになりました。
当時から現在に至るまで大和型戦艦は戦艦としては最大の艦体を誇り、それを転用して空母と成った三番艦も第二次世界大戦後にアメリカ海軍が建造したフォレスタル級をはじめとするスーパー・キャリアにも匹敵する艦体を誇った。
そして昭和19年10月8日、空母として進水した大和型戦艦三番艦は『信濃』と命名された。
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同年11月19日に就役となるものの信濃は未だ艤装の途中であったため、作戦行動に入ることは無く公試運転を行いつつ艤装を続け完成を目指しますが、横須賀では米軍による空襲に遭う恐れが有ったため呉の海軍工廠へと向かうことになったと言います。
しかし、これが信濃の最初で最後の航海と成ってしまいました。
信濃の生涯はwikipediaに詳しく記されています。
ここで唐突ですが、信濃は戦うことなく役目を終え沈んだとの私見を示させて頂きたいと思います。
そして表題にしました24DDHこといずも型護衛艦の2番艦についてですが、今夏の進水を予定し建造が進んでいます。
海上自衛隊においては艦の進水式に併せて命名式を行うことになっており24DDHも、その時に名を冠されることでしょう。
一部ではいずもの命名がなされる以前、22DDHと呼ばれていた頃にながとを命名する案が有ったものの、かつて帝国海軍の連合艦隊旗艦として名を馳せた戦艦長門の名を継ぐのは国内外に波紋を呼ぶとして見送られたとも言われていますが、いずも型は今後数十年は海上自衛隊最大の護衛艦として活躍することが期待されていると言うこと。
3年前『日本を取り戻した』安倍内閣総理大臣の地元がかつて長門と呼ばれていた山口県であり、いまこそ長門の名を冠するのに相応しいのではとの声も見受けられました。
わっし自身は縁が薄いのですが我が家系も先祖代々かの地にて暮らしていたことなども有り、DDH-184ながとも悪くはないのではと思いはします。
先ほどの私見、信濃は戦うことなく役目を終え沈んだについてですが。
帝国海軍の軍艦としては、このような生涯は不運と言わざるを得なかったかもしれません。
しかし、海上自衛隊の護衛艦としては戦うことなく役目を終えて沈むというのは、これ以上に無い生涯なのではないかとも思います。
かつて信濃と呼ばれていた長野県にも色々と縁や好意を感じることも有るので、DDH-184しなのを個人的に推してゆきたいとする次第でもあります。
しらね型以降のDDHは命名基準が改められた事により旧国名を付けることが出来るようになりました。
それらはご存知の通りひゅうが、いせ、いずもであるのですが、この旧国名の組み合わせには、ある共通点が含まれているのではと感じ、それに基づきDDH-184しなのを推したいというのも有りますが、この事につきましては新たに24DDHの稿を設けて述べてゆきたいと思います。
長々とした私見にお付き合いくださり、ありがとうございました。