A棟の紹介に続いて案内されたのが儀仗広場。
普段は日の丸を真ん中に掲揚していますが海外からの来賓が有る際は、その国の国旗が真ん中に掲げられ日の丸は横に移動するそうです。
ちなみに、この日はツアーガイドのお姉さんの他にも広報担当の陸自曹長の方も同行して色々解説してくれていました。
この方、『陸自所属だけど名前は海●と言いまして、レンジャー(空挺)にもいたので、一人で陸海空と揃うんです』と言ったことを申されます。
ここで参加者一同から笑いが多数。
さらに『以前、見学された方からの質問で、後に見える田中土建工業は田中角栄と関係有るんですか?と防衛省と全く繋がり無いようなことも聞かれましたが、その後調べてみたら田中角栄が設立に関係した会社のようです』とのエピソードも田中角栄のモノマネも交えて披露してくれました。
こんな感じの陽気な陸曹長の解説付きで儀仗広場を見学。
日の丸には天候別に種類が有り今日は晴天用を掲揚しているとのこと。
他に雨天用と荒天用があるのですが晴天用を掲揚した後に急な天気の変化が起こってしまっても、日没までは降ろせれないので気象観測も重要なのですと仰っていました。
あと国連からの来賓が有る際には国連旗を掲揚するそうですが、海●陸曹長がここの広報担当になって数年経つも今だ見たことが無いそうです。
続いてツアーガイドのお姉さんに案内され着いたのが市ヶ谷記念館というところ。
ちなみにエリス中尉の訪問記では赤いコートを羽織った格好をされていたツアーガイドの方ですが、
この日は5月に成ったばかりだと言うのに夏日を記録する日になりやがりまして(暑いのが嫌い)、ツアーガイドのお姉さんも写真にあるように涼しげな白い衣装になっていました。
もっとも官公庁ではこの日からクールビズが始まったので、それに合わせて変わってたのかも。
陸曹長も上着は無くシャツのみでしたがレンジャーの証であるベレー帽(?)はきちんと装着されていました。
もともとは先ほど紹介した防衛省庁舎A棟の位置に陸軍士官学校本部1号館として建設され、その後は大本営陸軍部、極東国際軍事法廷、
陸上自衛隊東部方面総監部としての歴史を刻んで来た庁舎を移築したのが市ヶ谷記念館。
本来は上記写真の模型のような外観をしておりましが移築する際に大講堂、東部方面総監室、陛下の休憩所を中心に残して減築したので、
外観にかつてのような威容は無いかもしれませんが、内部の歴史を感じさせる空気は有ったかと思います。
大講堂内部はフルオートで撮影したせいか写真の明るさが補正されていますが、照明は当時のままの物を使用しているとのことで結構薄暗く、
左手にあるスクリーンでビデオを視聴したのですが照明を落とさずに上映しても見にくくないほどだったと思います。
展示物もいくつかあり極東軍事法廷で使われた地図や降伏文書と思われる書類、海軍関係では軍艦比叡進水記念品。
これは恐らくDDH-142ひえいの先代である戦艦比叡の進水式で使われたものだと思います。
昭和12年航空母艦進水式記念の贈呈品は左舷に艦橋がある空母の模型なので赤城か飛龍でしょうか。
山本提督の新春挨拶の自筆書?や帽章が展示されていました。
さてエリス中尉の訪問記では見学中に三島由紀夫事件について全く触れられてないと記されていましたが、今回は記念館前に到着するやいなや海●陸曹長、
『皆さん、こちらが三島由紀夫がクーデター起こして切腹したとこです。ちょうどここのバルコニーの上で演説してたんですよ。当時は昼飯時なのに三島が演説するから隊員を集めろと言うので、総員集合させはしましたが隊員みんな腹ペコで三島にブーイングを浴びせるものだから、三島は清聴せい!清聴せい!と叫んでたようです。見学出来る場所に彼が刀を振り回した時に出来た傷も残っています』
と言った具合に盛大にアピールしちゃっています。
この陸曹長、結構冗舌な方で講堂内でも展示品の解説に時事ネタを挟んできたり、エリス中尉のブログで良く拝見するしっかりした日本の歴史観を語ってくれる方でした。
陸曹長曰く『あと数ヶ月で定年になるので、その後は靖国神社で紙芝居をして色々と伝えて行きたいと思っています。けど今は紙芝居よりyoutubeかな~』などと語っておりました。
わし自身は元々はただ艦船模型をはじめとして陸海空自衛隊の装備品などに興味が有るだけでしたが、やはり護衛艦の存在や仕組みを調べていくと帝国海軍の時代や海自創立の経緯など色々と日本の歴史や現在の情勢を知ることになってきた所にエリス中尉のブログなどを拝見するようになり、ただ艦船が好きだけでなく何故それらが存在しているのかも考えさせられるようになってきた次第でございます。
と言ったところで今回の投稿を一区切りしたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。