境内の緑地にサクランボの花が咲いています。この花の美しさも自然の真実。地震の恐ろしさも、自然の真実。
「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」
地獄とは鳥がさえずり花が咲き乱れる、とても良いところだそうです。立派な宮殿があり、広間には大きなテーブルにご馳走が山ほど並んでいて、美味しそうな匂いが一面に漂っています。地獄に暮らす人達はそのテーブルの周りに座っています。ですが、ご馳走が食べられるわけではありません。
その手には身長よりも長い箸をもたされ、その長い箸が邪魔して思うように食べものをとることも、口に運ぶこともできないのです。なぜ俺だけがこんな目にと他人の幸福を妬んで怒りわめき、箸をふりまわす者がでてケンカが始まり、テーブルの上のご馳走はあっという間にグチャグチャになってしまいました。
それでは極楽はどうなのでしょう。立派な宮殿や広間にご馳走が並んでいることや、長い箸をもたされているのも、みな地獄と同じだそうです。でも喧嘩したりせず、みんなにこにこ笑いながら楽しそうに食事をしています。いったい何が違うのでしょうか?
極楽の人たちは自分の空腹はさておき、テーブルの向うに座っている人に何か食べたいものはないかと尋ね、持っている長い箸で相手の口に食事を運んであげているのです。地獄の人にとって長い箸は厄介な邪魔ものですが、極楽の人にはありがたい道具なのです。
この地獄・極楽のお話は、私たちの毎日の生活に置き換えることが出来ます。誰もが満足できる生活を送っているわけではありません。せっかくの「長い箸」という幸福をもたらす道具も自分自身の利益だけを求めるためだけに使っていたのではかえって邪魔になるばかりなのです。
「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」という道元禅師のお言葉があります。自分のことのみならず、他の人のためにも功徳を積むことが、めぐりめぐっていつか自分にも他人にも、そして全てに幸福をもたらすことになる、ということでしょう。仏教徒として常に心したいお言葉です。
既報の通り、3月11日に発生した東北・関東大震災は、建物や人的被害のみならず、想像以上の精神的、経済的打撃を与えています。今私たちにできること、「困った時にはお互い様」のこころを現地の方へ届けましょう。
曹洞宗神奈川県第2宗務所第5教区 布教部リーフレットより
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東北地方太平洋沖地震 被災者救援に向けて
この度の東北・関東大震災の被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。
地球がほんの少し身震いしただけで、非常の多くの方々が尊い命を落とされ、また、行方が分からなくなってしまいました。
どうか一日も早く皆さんの安否が確認され、再会し、穏やかに暮らせるようになりますよう、心から祈っております。
原発のことも含め、今の状況ではなかなか現地に赴いてお手伝いをすることもかないません。
横浜からできるだけの援助をしたいと考えています。
まずは節電、そして少しだけですが、義援金を送らせていただきます。
世間が少し落ち着いてきたら、救援托鉢を行う予定です。
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さて、震災当日、拙僧は高速道路上で乗用車を運転しておりました。
町田市内で法要があり、ホテルで会食のため、大寺族さんと一緒に都内に向かって首都高速上を走っていたのです。
東名高速の東京料金所を過ぎ、都内のビルが立ち並び始めたあたりだったでしょうか、突然、車が変な動きを始めました。
その動きはまるでトランポリンの上を走っているよう。
「ややや、ついにこの車もイカレてしまったか!」
なにせ拙寺の公用車、トヨタクラウンは平成3年型。
丁寧に乗ってきたとはいえ、20年モノ、もはやクラシックカーです。突然異常が起きてもおかしくありません。
しかし、スピードを落としてハンドルを右に左に小刻みに動かしても、全くまっすぐには走れません。
よく見れば、周りの車が全部同じような走り方をしています。
しかも、いままで楽しい話題で盛り上がっていたはずのカーラジオでは、スタジオが何か混乱しているのでしょうか、うわ、とかギャッとかいう音がとぎれとぎれに聞こえます。
「もしかして、地震?!」
はっとして周囲を見ると、高速の照明器具がまるでつりざおのような撓り方でブンブン揺れています。
振り回されるようなあまりに揺れ方に、もはや運転は出来ません。
車を路肩にとめて少し経っても、揺れは一向に収まりません。
前方のワンボックス車の運転手の髪の毛は、まるで体を揺すられているようなはね跳びようです。
一瞬、神戸の震災の時に見た高速道路崩落の様子が脳裏に浮かびます。
「このまま死ぬかも」
大寺族さんは、指が白くなるほどシートにしがみついています。
スタジオの混乱がおさまったのでしょうか、ラジオでは女性アナウンサーが冷静に対応するように呼び掛けています。
池尻ですぐに高速を降り、渋谷、六本木、ため池から虎ノ門、日比谷へと車を走らせます。
頭上の高速がいつ崩落するかと、気が気ではありません。
余震のせいでしょう、走行中の車があらぬ方向に大きく動いたりします。
周囲の歩道には、近くのビルから出てきたたくさんの方が、不安そうに携帯電話を握って立ちつくしています。
しかし、みんなが一斉に通話を始めたので、携帯は全く通じません。
頭上からの落下物を避けるためでしょうか、中央分離帯にもたくさんの人が集まっています。
ラジオが、各地の震度を次々と伝えてきます。
宮城では震度7。東京、横浜でも震度5強。山形も震度5強。
いったいどうなってるんだろう、不安な気持ちは抑えきれません。
それでも、なんとかホテルの駐車場に入ることができました。
ホテルのロビーは、たくさんの人であふれています。
普段は穏やかな、そして華やかな雰囲気のロビーの様子が一変しています。
あおざめ震える老人や女性に、ホテルマンがいつもと変わらぬ笑顔でお水を差しだしたり、毛布や椅子を用意したりしています。
一流と言われるホテルは、こういうところが違うんですね。助かりました、ありがとうございます。
非常階段を7階まで登って、ようやく法要に出席した方々と再会し無事を確認し合いました。
しかし、当然、ホテルのレストランも閉鎖されてしまい、食事もかないません。
たまたま宿泊の予定をしていた方の部屋に集まって、とりあえずお茶を飲むことにしました。
話をしている間にも、携帯の緊急地震速報が立て続けに何度も入電してきます。
そのたびごとにホテル全体が大きく揺れて、お茶を飲むどころではありません。
不安な気持ちを隠しきれず、友人がテレビをつけたとたん、巨大な津波が家々や車を呑みこむ様子が、リアルタイムで私たちの目に飛び込んできました。
テレビの前でいくら「そっちじゃない、はやく逆に逃げろ!」と叫んでも、現地には届きません。
テレビの向こう側、現場ではたくさんの方々が、いま、この瞬間に亡くなっているのです。
施主家の小中学生の女の子と家族の方が、コンビニへ行って飲み物や、食べ物を買ってきてくれました。あっという間に何もなくなってしまったそうです。とりあえず手に入れられるものを、なんとか購入してきたという感じ。エレベータが使えないので7階までの上り下り、大変だったでしょう。ありがとう。
暗くなって外を見れば、道路は大混雑、大渋滞でまったく動きません。
帰宅難民と化した多くの方々が、自宅を目指して歩きはじめています。
今日中に着ける距離だったらいいのですが・・・・
ホテルについてから何度メールや電話をしても通じなかったので心配していたのですが、ようやく固定電話が一回だけお寺につながりました。
義妹が、こっちは大丈夫、なんともない。本がすこし落ちただけ、と伝えてくれました。
追いかけるように寺族さんからも、子供たちは無事というメールが入りました。
娘は学校に、息子は建長寺に泊まりになったとのこと。
ああ、やれやれ、です。家族がバラバラになってしまっていて、しかも安否がわからないのは本当に不安です。
しょうがない、もう帰れません。
なんとか部屋を取ってもらい宿泊することにしました。
寺族さんも、夜が明けてから帰ってきてくれとのこと。
普段なら乗用車で5分ほどの別のホテルに宿泊予定の御婦人も、やはり一緒に泊まりです。
この状況で一人にするのは危険ですし、またタクシーを拾ってもいつ着くかわかりません(後で聞いたら、渋谷から日比谷まで車で2時間半かかったそうです)。
当然、年長者や女性、子供が優先ですので、拙僧らは床にごろ寝です。それでもホテルの方が、にこにこしながら寝間着やバスタオルを多めに持ってきてくれました。
自分たちも、家族の安否や大きな余震で不安でたまらないでしょうに、笑顔を絶やさないのは、本当に偉いなあ・・
東京都内で何かあったら、帝国ホテルに駆けこめ、と子どもたちに教えておこう。
男衆だけになってすることと言えば、腹くくって酒でも飲むべよ、ということだけです。
次々に入るニュースを見ながらミニバーのピーナッツやコンビニのお菓子をつまみに、不安な一夜を過ごしたのでした。
翌朝6時ころになってようやく道路が空いて車も動き出し、8時には自宅に帰ることが出来ました。
お寺に戻って、まず最初は本堂へ。おかげさまで御本尊様や位牌は無事でした。
次に墓地の点検。墓地を立ち入り禁止にして、事務所所員と全区画をくまなく見て回りました。
結果は、全区画異常なし。
ドミノ倒しのように墓石が倒れているのではないかと思いましたが、まったく何ともありません。
湯呑ひとつ、落ちて割れたりしていません。ほっとしました。
有り難いです、守ってもらっている感じがします。
ちなみに、この日は法事が6件あったのですが、余震の揺れがあまりにひどかったこともあって、半分がキャンセルになってしまいました。
幸いにして、震災翌日には、連絡が付かず心配していた山形の実家にすむ母と祖母の無事が確認できました。
一昨日の夜には電気等のライフラインも復旧し、やっと明かりのつく生活に戻れたようです。
離れて暮らしている息子としては、本当は飛んで行ってこの目で無事を確かめたいところですが・・・・。
昨日は例年の涅槃会を行い、観音講や近所の方々と涅槃団子を作ってお参りしたとのこと。
集まったみんなが無事を喜び合ったといいます。いやあ、ちょっとホッとしました。
しかし、拙僧の知り合いのお寺も、判っているだけで2軒が津波にのまれて流されてしまいました。
しかもそのうちの1軒では、まだ住職の安否が確認されていません。
また、塩竃にすんでいる親戚の方と連絡がつかず、こちらも安否が気遣われます。
どうか皆さん、無事でありますように。
今日は思い付くまま、まとまりのない文章を連ねてしまいました。
今も激しい余震が断続的に続いています。
昨晩は静岡でも激しい揺れがありました。富士山が噴火するのではないかと心配をしたりしてしまいます。
当面は、全国的に予断を許さない厳しい状況が続くのでしょう。
被災地にお住い方々には、特に気をつけてお過ごしくださいますように。
がんばろう、東北!がんばろう、日本!がんばれ、原発関係者!