グランマの扉

女4代にぎやかな日々

私の夏休み旅行  友達のお勧め・・岩瀬エリア

2023-09-11 | 旅行
前回の富山旅行は、富山市を拠点にして彼方此方へ。
市内は夕食と宿泊のみで終了。
と言うわけで、今回は少し富山市内も・・という事で、今回も富山出身の友達kちゃんに情報を頼みました。


「先ずは岩瀬エリアをお勧めしたいんだけれど、今年は暑いよね~」


いえ、行きます

何しろ路面電車で富山駅から20分程。
今回のホテルは富山駅から直ぐのホテルなので、足取りも軽く出発。

前回はレンタカー移動が多く、見かけるだけだった路面電車。
富山駅からは6系統もあります。
今回はたっぷり利用しましたよ。






さて、岩瀬は江戸時代初期から北前船の港町として栄えた町です。
その為大きな廻船問屋の屋敷は荷揚げに便利なように神通川を背に建てられていたそうです。
(現在はその神通川は埋め立てられ、道路になっています)


岩瀬浜駅から運河沿いの道、そして富山湾に沿ってテクテク10分程歩いて港町へ。










実はこのテクテクが結構きつかった・・・
暑いんだもん。


なので、先ずは富山港展望台に着いたのですが四階までの階段を上る元気がない。
北前船の常夜灯をモデルに作られ、富山港や立山連峰、岩瀬の町並みが見られるとはわかっていいたのですが、もう汗がダラダラ。
北国育ちは36℃の気温の中10分歩いた後、25メートルを上るのは無理。
どれくらい消耗していたかというと、この展望台の真下で展望台の写真を撮る元気もなかったほど。


何しろここから街歩きが始まるのですから潔く断念して町散策を始めました。


トップの写真はレトロな街中から見える展望台です。






さて、岩瀬には「岩瀬五大家」と言われる大きな廻船問屋があります。

その中の馬場家(登録有形文化財)森家(国指定重要文化財)を見学することができます。

先ずは馬場家へ。

馬場家は岩瀬五大家の筆頭で、北陸の「五大北前船主」の一つでもある大きな廻船問屋でした。
昭和初期の日本全国の長者番付でも三菱財閥の岩崎氏、三井財閥の三井氏、松下幸之助氏に次いで記されています。

さすがに、流石に凄いお家でした。





家の中に細長い道のような通り庭。
それを挟んで店やら客間やらお住まいやら蔵やらが並んでいます。










お座敷の天井は屋久杉の白木、仏間の天井は漆塗りですぞ。

畳の敷き方も川の流れ?(この辺、曖昧な記憶)を表しているとか






こちらはお風呂






素晴らしい梁は松材。
天窓から明かりが取れます。
















旧制富山高校(現富山大学)の創立に尽力した馬場はるさんが、いつも座っていたと言われる茶の間。












解説してくれる人も特にいなかったので、適当にウロウロしていたら、背の高いご老人に「どこからお出でになりました?」と話しかけられました。
「北海道からです」と申し上げたら、そこから俄然北海道との係わりの深さの熱弁が始まりました。
なんとこの方、馬場家の11代当主。
この住宅を富山市に寄付された方でした。




お隣の森家は、立ち寄った時、解説の方のお話が始まっていました。
写真を撮っていいかどうかわからなかったので、ここでは大人しくお話を聞きました。
古い大きくて長いソロバン(お互い無言で取引できるように)、何度も火災などにあったので、それはもう厳重な金庫(馬場家には数個あったそうです)、賓客だけが通される門や座敷などの説明を受けました。
この森家のお屋敷は、昭和24年、倉敷の大原総一郎さんがその佇まいの美しさに感じ入って買い求めためたものなのだそうです。


ところで、岩瀬の家の特徴としてスムシコ(簀虫籠)と呼ばれる竹の簾の格子があります。
日中外からは中はみえないのですが、中から外は見えるというスダレです。
これが又風情がありました。

新しいもの






古いもの













楽しかったです、岩瀬エリア。





さて富山駅に戻って午後は・・・・・


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の夏休み旅行  風の盆イブ | トップ | 私の夏休み旅行  友達のお... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅行」カテゴリの最新記事