画面の中央、渓流とヒノキの木立の前に生えているのが、
桜です。
(前回の続きから)
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山百合とは随分、対照的な配置ですね。
山桜でしょうが、苔が生えるほど年を老った古木なのですが、
生まれた条件が良くないのでしょうか、枝を張るものの伸長していません。
しかしながら、紅葉した葉が美しくて、
精いっぱいの生きざまが伝わってきます。
下をうつむく山百合に対して、
山桜は枝を天に向けて広げています。
どちらも、檜に比べれば
ほそい幹の植物です。
(檜に沿って垂直に生える百合。うつむいて咲いている。)
(渓流を渡り、百合に呼びかけるように枝をひろげる山桜。本来は大木になる。)
琳派の絵をお稽古していますと、
この様に、対照的に絵が描かれている作品に
よく出会います。
絵の面白味のため、とか
構図にアクセントをいれるため、などの理由であれば、
他にもいくらでも やり方はあると思います。
それよりも、対照的に描かれたモチーフの中に、
一番伝えたいメッセージが込められているというように
私などには感じられます。
しかも、こちらの百合と紅葉は、
どちらも檜の陰であったり、伸長を妨げられてこそいますが、
こんなに堂々と、画面中央に配置されています。
なにか、理由がありそうですね!
そういえば、こちらの百合の花、
実物の檜に対して、大き過ぎるとも言われているんですよ。
BIGな、大物な百合。
この異様な絵の中ではなの香りのように
純真で無垢な存在感を、放っています。
そのため、見ているこちら側がハラハラするほどで、
他の絵にはない、「緊張感」漂う屏風作品にしています。
では、次のブログに続きます。