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だいたい、このようなところが、
点苔にたいする見方の
スタンダードなところではないかな、と思います。
(前回から)
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さて、このような点苔ですが、
鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」では、
いかがでしょうか。
どのような描写になっているのでしょうか。
点苔の部分を見直してみます。
クローズアップ。
これは、今までと違う。
違うタイプの苔のようです。
特に今コロナウイルスの脅威がある社会で生きている私たちにとって、
思わずマスクに手を伸ばしてしまうような、
何か脅威を感じさせるものがあるようです。
連れて行った生徒さん達も、例外なく怖がっていました。
古典作品にあるような、幹や岩に、静かに苔が生えている感じがありません。
融合するものではなく、増殖して群れを作り、幹を登っていくような動感があります。
それは、日照条件など、苔の生える条件とは無関係で描かれているので、
我々の目には自然界の描写のようには、感じられないからでしょう。
例えば、幹から左右に枝が伸びていますが、
枝の下側の影になるところに苔が生えるものです。
水際の湿りがちな場所に生えているかと思いますが、
こちらの屏風絵の作品においては、そのような訳でもないようです。
実は、点苔についても、どこにどう生えるかはよく考えてないと
単純なようでいて、不自然な絵になります。
その不自然さは歴然と現れてくるものなので、
絵を描く方は、よくよく注意して描いています。
立地条件などを考慮しますから、点苔を描く時には
まるで点苔と自分が同じ感情をもったようになって描きます。
こちらの絵にある点苔は、下から這い上ってきて、枝の上で休憩しているような風情があります。
これらの見事な点苔に対して、作者は冷静で客観的です。
この、大変な技巧を持った画家が、うっかりしてこのように
自然界のあり方を度外視して点苔を描くことはないでしょうが、
それとは別に
「世界がこのように見えた」、という理由があるのでしょう。
では、なぜこのような点苔の表現に行きつくのでしょうか?
なにか、理由がありそうです!
では、次のブログに続きます。