まだまだペットロスです。
不思議だなぁ、と思うのは本当に前の子と正反対のペットロス。
前の子の時は、
ペットロスは終わらないと思っていた。
散歩しているよそに子を見るのが辛い。
毎日ネットで同犬種の子のサイトを見てた。
その子の写真は半年以上見られなかった。
何をしてても何を観てても毎日涙が止まらなかった。
毎日「こうしていれば」「こうだったら」と後悔ばかりしていた。
今の子は、
いつか悲しみも癒えるだろう。
散歩している子を見ると「私達もあんな風に歩いていたな」と微笑む。
ネットでは一切ワンコを見ない、お気に入りのワンコ関係のサイトは全部削除した。(もう必要ないから)
スマートフォン、PC、アルバム、毎日あの子の写真を眺めて色々思い出し懐かしむ。
ふと寂しい思いになるが、涙はそんなに出ない。
後悔も遣り残したと思うことは一切ない。
自分が年を取ったせいや、人生経験も伊達に積んできたわけじゃないこともあるとは思うけど、
それだけでもないんだろうな、とふと思う。
昨日も何気なく、PCにどっさり溜め込んである若い頃のあの子の写真をみていました。
「こんな表情してた時があったんだ。」
「こんな時を撮ったんだ。
おまけにすっり忘れていたカメラのビデオもあったりして、
甘えている時、我がままやってる時、おやつを食べたくて我慢してる時、、、
動いているあの子が沢山・・・。
観てて微笑ましくて笑ってしまって・・・。
きっと隣で一緒に笑っているな、って思ったりしてまた笑えて・・・。
いつもの我がままな目線に「あー、この子も幸せだったろうな、私と一緒で。」
って思うとやっぱり悲しいより微笑ましく思う。
こういう12年間だったから後悔していないって思いました。
そして、亡くなる時も一切延命はすることなく、家でぽっくり逝けたこと。
前の子は苦しんで闘病生活を経て食べられなくなり、だったので
そこも違うからでしょうか。
そりゃぁ、別の家の子になっていたらもっともっと贅沢して寂しい思いもしなくて
幸せだったかもしれない。
でも私の、これが精一杯の100%以上の愛情を注いだと思っているから悔いは無いです。
そして、この子が亡くなった時、静かに誰にも言わずにって思いましたが、(同情とかされたくなくて)
さすがにとっても可愛がってくれた弟2にはすぐにメールしましたが、
(すぐに会いに飛んで来てくれましたが)
職場の人達も気を遣ってくれたり、、、。
人の優しさをあの子を通して実感したり・・・。
会う約束だったMちゃんにも延期のメールで・・・。
「寂しくなるね。」って、
そうまさしく私にはぴったりの心情で・・・。
数日後のてっぺいちゃんのライブはほんと、私の心情にぴったり過ぎて癒されて・・・。
今もちょっと辛いとアルバム聞いて・・・。
Mちゃん、ライブ誘ってくれてありがとうね。
結局会員になりました。(えへっ

)
↑普通じゃ撮らないこんな肉球のアップも