ゆりかもめーる。

人生はrhythm BAR.

LIFE.

2019-05-07 23:04:10 | ゆりかもめーる。
おばあちゃんの四十九日法要が終わった。
私は仕事で行けなかったけど。


お葬式の時も思ったけど、私のような信仰心の無い人間もこういう法事を経て気持ちを整理していくんだろうな。。
だから法事って死者のためというより残された人間の為に必要なのかな。


おばあちゃんが亡くなって
お葬式までの3日間かけて気持ちを整理して、
自分の中では一段落というか、
切り替えができて次へ進めると思った。

思ってた。

だけど、夜布団の中でふと思い出してしまったり、
昼間だって、
ただ「悲しい」というのとは違う感情…なんて表現すればいいんだろ…
寂しさと後悔と自分の無力感と生きることへの虚無感と子どもの時のおばあちゃんとの会話やその時のおばあちゃんの声や顔、服装を思い出したり…
とにかく頭の中がごちゃごちゃになってしまうことが何度もあった。

というか、今もブログ書いてスイッチが入っちゃったみたいで涙が止まらなかったりする。


気持ちを整理できたはずなのに
まだ引きずって切り替えられないなんて自分はまだまだ子どもなんだな未熟なんだな…って戸惑って、姉にそんな話をした時があった。
それがちょうどおばあちゃんが亡くなって3週間くらい経った頃。


会話って不思議で、
1人で考えてると頭の中が混沌としたままなんだけど、
言葉にして他人に伝えようとすると頭の中が整理できたりして。


そこで気づいたのが
「これでいいんだ。」
ってことだった。


思えば震災から何年経っても肉親を亡くした人々は泣いてる。


人が死んでしまうということはそういうことなんだ。


たった数週間で感情を整理できるほどちっぽけな出来事ではないんだ。

そう間単に癒える痛みではないんだ。

これから何年も何十年もかけて自分の中で消化していく出来事なんだ。

命が生まれること、朽ち果てることはこの世界において何と大きい意味を持つものなんだろう。

生まれることだって世の中に溢れているけど、どれも当たり前じゃなくて奇跡の連続。


だから両親に感謝。
そして、絶対に両親よりは長生きする。
あんな悲しそうな顔はもう見たくない。




生き物はみんなゴールが決まってて一本道を歩いてく。

ゴールが決まってるからこその虚無感と
限りがあるからこその燃焼の狭間で生きていく。



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