豊田竜神FC1977 【オールドサッカーファンのつぶやき】

豊田竜神FCは豊田市で活動する少年少女のサッカーチームです。これからも豊田竜神FC1977を宜しくお願いします。

クラブと部活そして教員の働き方改革

2020-09-26 20:38:53 | つぶやき
クラブと部活そして教員の働き方改革
 今、学校の部活動のあり方が揺れている。そりゃあそうでしょう。中学校教員の半数が過労死危険ラインを越える長時間勤務を強いられている。長時間労働の主因の一つが部活動である。4月にサッカー部顧問に就任すると、年間を通して長時間労働がついてくる。しかも土日の練習、試合、大会のおまけつきである。部活動のあり方を無視して教員の働き方改革は考えられないからだ。
 自分はサッカーを教えたくて教員を目指した。サッカーを教えるには部活動での指導しかなかったのである。自分が育った時代(1960〜70年代)はサッカーをプレーするにも指導するにも部活動しかなかったからである。1977年に大人のクラブを立ち上げたのも、自分が学校を卒業すると自分がプレーする場がなくなったからだ。自分がプレーするには自分でクラブを立ち上げるしかなかったのである。
 1996年にクラブに少年の部を立ち上げた。それであらためて分かった。スポーツは地域のクラブで行うものだ、という極めて当たり前のことが。
 今では部活動改革について以下のように考えている。
①小学校部活動の廃止(驚くことに、愛知県、豊田市では小学校部活動がある)
②中学校部活における朝練習の禁止
③中学生の部活動参加の自由
④中学校教員に部活動顧問を強制しない(顧問は拒否できる)
⑤新任教員や臨時教員に部活動顧問をさせない
 そうはいっても部活動にもニーズがあることも分かる。豊田市では、少なくない中学校が選手登録は学校で、指導はクラブで、という流れができている。自分はこれにも以前は反対してきた。理由は明確である。部活動大好き教員が部活動の行き過ぎややりすぎをごまかすために、17:00までは部活動、17:00からは「クラブ」として活動するからである。
 自分のクラブのことを少し紹介してみよう。完全に「登録は学校、指導はクラブ」になっている。毎週火曜、木曜、土曜にナイター練習を18:30〜20:30に地元の中学校で実施している。指導するのはFCのスタッフ。教員は参加しない。日曜日の試合にも教員は来ない。 これだけでも教員の働き方改革におおいに貢献していると思う。中学校の大会にはFCのスタッフが外部指導者登録してベンチ入りもする。
 そこにはお互いのリスペクトがある。学校の顧問は「この部活登録の選手たちは地元のFCが手塩にかけて育ててくれた選手たちだ」と、理解してくれている。一方FCのスタッフも部活動の顧問とよく相談して指導をしている。
 この豊田市のやり方は部活動改革の一つのモデルになるのではないか、と最近思うようになった。

こんな生活が好き

2020-09-21 17:52:22 | つぶやき
自分はこんな生活が好き
サッカー好きの我々は日頃どんな生活をしているのだろうか。自分は観戦も好き、少年指導も好き、プレーはもうできないが自分のクラブの試合を応援するのも好き、少年を指導するのも好き。あと審判をするのは好きではないが、少しでも選手やスタッフの役に立てるなら審判もやりたい。あと1つかわっていると自分でも思うのがスケジュールを作ったり、管理する喜びもある、ということだ。以下は今週の自分と竜神FCのスケジュールである。竜神FCの活動に自分は全て参加するわけではないが、全ての活動がスムーズにいくように予定を立ててスタッフを確保するように準備することにも喜びを感じている。
今週の予定
試合は最良の教師
サッカー界には様々な名言がある。その一つに「試合は最良の教師である」というものがある。どんな練習より試合が大切ということだろうか。今週もたくさんの試合があります。
今週の予定 9/21(月)〜9/27(日)
・9/22(火)中学生試合(終日・五ヶ丘)
     小3・4・5・6年ナイター練習(18:30〜20:30・竜神中)→参加
・9/24(木)中学生&小6年ナイター練習(18:30〜20:30・竜神中)→不参加
  ・ 9/26(土)小6年練習試合(午前・藤岡飯野小)→不参加
       中学生試合(午後・刈谷北高)→不参加
       小4年練習試合(午後・五ヶ丘)→不参加
       小5年Tリーグ(午後・五ヶ丘)→不参加
       J1リーグ 名古屋v清水戦観戦予定→参加
       土曜ナイター練習中止
  ・ 9/27(日‍)小3年練習試合(9:00〜15:00・柳川瀬)→不参加
       小1・2年練習試合(13:00〜16:00・浄水小)→不参加
       小6年西三河リーグ(午後・井上小)→審判として参加
       豊田市少年連盟未来委員会→責任者として参加
       豊田市少年連盟運営委員会→クラブ代表として参加
ざっとこんな感じである。ようはこんな生活が好きというサッカーバカなのである。

死ぬまでの目標

2020-09-19 20:58:00 | つぶやき
自分がサッカー界に残すことができるもの
自分も65歳になった。サッカーとともに暮らす生活が、あとどのぐらい続けられるのかと思う時がある。5年、10年はサッカーとかかわっていきたいと思う。その一方で、自分の人生を導いてくれたサッカー界に何らかの恩返しもしたいとも思う。
 そこで考えついたのが、少年たちが思い切ってサッカーができる環境を作ろう。芝生のサッカー場を作ろう、と思いたった。あいつは口だけで何もやらない、と言われてはいけないので、ここ数年は「自分は芝生のサッカー場を作る」「自分が生きているうちに実現しなくても、その道筋だけでもつけてから死にたい」と機会がるたびにしゃべることにした。自分を追い込むためである。
 昨年、豊田市の小5年大会が開かれた。自分は会場責任者として本部席にいた。試合はHクラブ対Fクラブ、力の差は歴然としていた。結果は19-0。負けていたFクラブのコーチは選手交代の際にベンチに戻ってきた選手に「お前は全然走っていない、試合が終わるまでグランドを走っていろ」と、罰走を命じた。試合はその選手のせいで負けたわけではない。力の差は歴然としていたのだ。自分が罰走を辞めさせようとした時に「もういいぞ」というそのコーチの言葉で5分ほどで終わった。今でもこんなコーチがいるんだと悲しくなった。
 本部席で一緒にみていたHクラブの若いコーチと話していて、良いグランド作りだけでは片手落ちだ。良い指導者も養成しなくてはいけない、とその若いコーチかろ教えられた。
 これで自分の死ぬまでに目標が決まった。「豊田市の少年に良い環境と、良い指導を」である。具体的には、少年が自由に使える芝生のグランドと、コーチング制度の確立である。「豊田市でサッカーをやると芝生のピッチでプレーできるよ」「豊田市でサッカーをすると良い指導を受けられるよ」というようにしたい。その道筋を残して自分は死んでいきたい。そう思うに至った。
 この2つの課題のその後は、おいおい報告して行く予定である。

サッカーのある日常

2020-09-16 15:56:14 | つぶやき
サッカーのある風景
 コロナ禍で、2020年は3、4、5、6月は竜神FCの活動も全て止まった。
 7月に入って、近隣の公園をお借りしてのささやかな活動が再開された。
 8月に入って地元の中学校の学校開放も許可がおり、徐々に日常の活動ができるようになってきた。最近は火曜ナイター練習にとても多くの選手、スタッフが参加してくれるようになった。みんなサッカーのある日常を楽しみにしていたんだなあ、と実感している。
 昨日(9/15)の火曜ナイター練習しありである。この日は中学生がテスト期間ということもあり、練習は、小3・4・5・6年で実施した。火曜ナイター練習は選手の参加率がとてもよい。ほとんどの選手が参加する。平日の夜、ということで送迎も大変だと思う。本当に保護者のみなさんに感謝である。「サッカーを楽しみたい」という選手の願いに応えなくてはいけないと思う。
 また、スタッフの参加も多いのである。この日のスタッフは自分を含めて何と10人、各学年に複数のスタッフを配置しても2人も余る。みなさん仕事や学業もある中での参加である。本当に頭が下がる。このスタッフは65歳の自分を筆頭に50代、40代、30代、20代、そして10代とバラエティに富んでいる。これも竜神FCの特徴である。
 サッカーのある日常がこんなにも素敵だと、あらためて思う今日この頃である。

2020年当初に思ったこと

2020-09-15 20:30:07 | つぶやき
サッカー日記2020
今年最初に思ったことです。
〜新年に思う〜
 新年にあたって、サッカーのことでいろいろ綴っていこうと思います。今年度大学サッカー4冠に輝いた明治大学栗田監督は3足のわらじを履いているとのこと。会社員、自分のサッカークラブ、そして明治大学サッカー部監督らしい。
 自分も3足のわらじを履いている。仕事(といっても半日勤務の週5日だが)、労働組合の役員、そして竜神FCである。4月からは仕事と労働組合役員がなくなる。
サッカー1本になるかと思いきや、サッカー内で3つのわらじを履いている。日本代表の応援、名古屋グランパスの応援、そして竜神FCの応援である。
 そればかりではない。竜神FC内でもトップチームの監督(実は選手集め係)、スタッフ全体への指導、困難な学年への指導、と息つく暇もない。いつまでこんな生活が続くのか、と思うこともあるが、やりがいもある。あと5年、10年はこの生活を続けたい。
 1/1(水)久しぶりに天皇杯決勝を観戦に行った。目的はもちろん新国立競技場をみてみたい。これに尽きる。朝6時に家を出て青春18切符で出かけた。途中車内から初日の出を拝む。(刈谷から安城の間)静岡県に入ると富士山がくっきりと見えた。沼津から御殿場線で回り道をしてもキックオフには間に合う。そう思っていると富士山の麓から雲がかかってきたので御殿場線乗車はやめてそのまま東海道線を東京に向かうことにした。原宿駅で降りて明治神宮へ寄った。初詣である。この判断が大間違い。大渋滞にはまり参拝時間は2秒で切り上げ。そこから国立まで走ることに。何とかキックオフ15分前に着くことができた。
 しかしここからが大変。自分の席に行くのに「ごめんなさい」「失礼」「ありがとう」の連発。とにかく座席と前との間隔が狭い。みなさん立ってわたしの通路を作ってくれた。これは新国立競技場設計上の大変なミスだと思う。
 追伸
その後コロナの影響で東京五輪が延期された。しかし、新国立競技場設計上のミスは残っている。自分のように小柄な日本人でも座席に行くのに一苦労である。巨漢の外国人だったらそもそも座席に座れるのだろうか、と思っている。