ヨルダン(敗)戦記
ブラジルワールドカップ最終予選、ヨルダン対日本戦を観戦しにヨルダンまで出かけた。最初は行く気は全くなかった。しかし、急きょ行くことにした。それには理由がある。
「ジョホールバルへ行かなかった後悔」
わたしには人生最大の後悔がある。その一つが、98フランスワールドカップ出場を決めたマレーシア・ジョホールバルに行かなかったことだ。当時の日本代表はワールドカップ初出場を目指していたが苦戦の連続でアジア第3代表決定戦を中立地であるマレーシア・ジョホールバルでやることになった。相手はイラン。わたしは日本代表に向かって「可能性がある限りあきらめるな」と、言い続けていた。(どうやって伝えたのか。周りの人に言いまくっていただけだが)そんなわたしが、ジョホールバルまで行ける可能性があったにもかかわらず、あきらめたのである。つまり、言っていることとやっていることが違っていたのである。その結果日本がワールドカップ初出場を決めたシーンを目の当たりにすることができなくなった。そればかりか、自分は日本代表がワールドカップ出場を決めたシーンを現場で見たことが一度もないことに気づいた。
そうだ、今回のヨルダン戦は勝てばワールドカップ出場が決まる試合である。時期は春休みである。これは行かねばならない、ということで3月になり決心したしだいである。
2005年の春休みに弾丸ツアーでイランに出かけた時にどこにも観光しなかった後悔もあった。せっかく異国に行ったら、その国の人と触れあったり、文化に触れることは人生にとって大切なことだと思う。
ですから今回は多少のヨルダン観光もすることにした。以下はその旅行記である。
「3/23(土)中部空港を出発」
3/24(土)夜、中部空港セントレアへ出かけた。利用するのはUAE国営航空会社・エティハド航空。自分はこの航空会社を知らなかった。セントレアでヨルダンの通貨に替えようとしたが取り扱っていなかった。仕方がないのでとりあえず米ドルに替えておいた。空港チェックインカウンターで、荷物は極力少なくしてすべて機内持ち込みにした。トイレのこともあるので通路側シートを頼んだ。それはすぐにOKとなった。すると係の人が「ビジネスクラスに余裕がありますのでいかがですか?」とのこと。「いくらですか?」と聞くと、「5万円です」との返答。そく「結構です」と、断った。
21:15定刻に飛行機は離陸した。これから北京経由でUAEのアブダビまで向う。機内はそれほど混んでいなくてラッキー。エコノミークラスの最前列なので足を十分に伸ばすこともできる。しかも隣の席には誰も乗って来なかった。
3時間ほどで北京国際空港到着。わたしたち中部空港セントレアからの乗客は機内にとどまったままで出発を待つことに。そのうち中国人がどどっと乗って来て、あっという間に騒然となった。ここからは難行苦行の飛行機旅行である。ビデオを観てもアラビア語。英語の番組もよく分からないので、ひたすら睡眠と読書にいそしんだ。
6:45 予定通りアブダビ国際空港到着。ここでヨルダンの首都、アンマン行きに乗り換えである。ガイドブックには「日本とヨルダンは7時間の時差」と、書いてあった。次の飛行機は8:10発だ。搭乗ゲートに行っても入れてくれない。8:10は迫っているのに…。空港の人に時刻を聞くと7:10だった。まだ時間は1時間もあった。でも、本当の8:10になっても一向に搭乗手続きは始まらない。係の人も二人でおしゃべりしているだけ。中部空港では、「お早めに搭乗手続きをお済ませ下さい」と、くどいほど放送があったのに…。国柄の違いだろうか?どちらがいいのか悪いのか。とにかく1時間遅れで飛行機は飛び立った。
「3/24(日)ヨルダン到着」
10:40アンマン新国際空港到着。今年3月開港したばかりだそうだ。とても大きくてきれいな空港だった。そこで入国手続き。何の問題もなかった。入国係官が「サッカーで来たのか?」と聞くので、「そうだ」と答えると、「ホンダ!」と、彼が言う。以前なら「自動車・オートバイのホンダ」という意味だが、今は「サッカーの本田圭佑」ということになった。たいしたもんだ。
空港を出ると、現地スタッフの方が待っていてくれた。その横を名波浩氏が通る。気づいたサポーターに声をかけられていた。現地スタッフはヨルダン在住の日本女性だった。彼女からヨルダンについてのレクチャーをうける。
・ヨルダンはいいかげんな国で、みんな「大丈夫、大丈夫」と言うが、一番大丈夫ではない。
・サマータイムも、ある日突然「やめる」と言い出すしまつ。これで時差は6時間になりました。
バスでヨルダン市内へ。着いたホテルはなかなかのホテルでビックリ。知り合った若いサポーターとともにさっそく市内へ出かけることにした。旅慣れた人たちで、「初日に土産を買っておくとあとが楽」と、教えてくれた。そんなもんなのか。
帰りのタクシーは、大渋滞にはまってしまった。ヨルダンには鉄道がないので移動手段はすべて車である。半端ない渋滞だった。わたしたちの乗ったタクシーの運ちゃんは、なかなかのお人で、歩道らしきところは走るは、隣の車に強引に割り込むは、乗っているこちらがいつぶつかるかとハラハラしていた。途中でガソリンスタンドにも寄った。そこも渋滞中で、強引に入ったものが優先する社会だった。大変遅くなったので、食事をどこかで取ることができず、しかたがないので高いのを覚悟してホテルのレストランに入ることにした。そこでツアー参加者の横浜マリノスサポーターの女性がホテルの男性従業員にモテモテで写真を撮られまくっていた。
ブラジルワールドカップ最終予選、ヨルダン対日本戦を観戦しにヨルダンまで出かけた。最初は行く気は全くなかった。しかし、急きょ行くことにした。それには理由がある。
「ジョホールバルへ行かなかった後悔」
わたしには人生最大の後悔がある。その一つが、98フランスワールドカップ出場を決めたマレーシア・ジョホールバルに行かなかったことだ。当時の日本代表はワールドカップ初出場を目指していたが苦戦の連続でアジア第3代表決定戦を中立地であるマレーシア・ジョホールバルでやることになった。相手はイラン。わたしは日本代表に向かって「可能性がある限りあきらめるな」と、言い続けていた。(どうやって伝えたのか。周りの人に言いまくっていただけだが)そんなわたしが、ジョホールバルまで行ける可能性があったにもかかわらず、あきらめたのである。つまり、言っていることとやっていることが違っていたのである。その結果日本がワールドカップ初出場を決めたシーンを目の当たりにすることができなくなった。そればかりか、自分は日本代表がワールドカップ出場を決めたシーンを現場で見たことが一度もないことに気づいた。
そうだ、今回のヨルダン戦は勝てばワールドカップ出場が決まる試合である。時期は春休みである。これは行かねばならない、ということで3月になり決心したしだいである。
2005年の春休みに弾丸ツアーでイランに出かけた時にどこにも観光しなかった後悔もあった。せっかく異国に行ったら、その国の人と触れあったり、文化に触れることは人生にとって大切なことだと思う。
ですから今回は多少のヨルダン観光もすることにした。以下はその旅行記である。
「3/23(土)中部空港を出発」
3/24(土)夜、中部空港セントレアへ出かけた。利用するのはUAE国営航空会社・エティハド航空。自分はこの航空会社を知らなかった。セントレアでヨルダンの通貨に替えようとしたが取り扱っていなかった。仕方がないのでとりあえず米ドルに替えておいた。空港チェックインカウンターで、荷物は極力少なくしてすべて機内持ち込みにした。トイレのこともあるので通路側シートを頼んだ。それはすぐにOKとなった。すると係の人が「ビジネスクラスに余裕がありますのでいかがですか?」とのこと。「いくらですか?」と聞くと、「5万円です」との返答。そく「結構です」と、断った。
21:15定刻に飛行機は離陸した。これから北京経由でUAEのアブダビまで向う。機内はそれほど混んでいなくてラッキー。エコノミークラスの最前列なので足を十分に伸ばすこともできる。しかも隣の席には誰も乗って来なかった。
3時間ほどで北京国際空港到着。わたしたち中部空港セントレアからの乗客は機内にとどまったままで出発を待つことに。そのうち中国人がどどっと乗って来て、あっという間に騒然となった。ここからは難行苦行の飛行機旅行である。ビデオを観てもアラビア語。英語の番組もよく分からないので、ひたすら睡眠と読書にいそしんだ。
6:45 予定通りアブダビ国際空港到着。ここでヨルダンの首都、アンマン行きに乗り換えである。ガイドブックには「日本とヨルダンは7時間の時差」と、書いてあった。次の飛行機は8:10発だ。搭乗ゲートに行っても入れてくれない。8:10は迫っているのに…。空港の人に時刻を聞くと7:10だった。まだ時間は1時間もあった。でも、本当の8:10になっても一向に搭乗手続きは始まらない。係の人も二人でおしゃべりしているだけ。中部空港では、「お早めに搭乗手続きをお済ませ下さい」と、くどいほど放送があったのに…。国柄の違いだろうか?どちらがいいのか悪いのか。とにかく1時間遅れで飛行機は飛び立った。
「3/24(日)ヨルダン到着」
10:40アンマン新国際空港到着。今年3月開港したばかりだそうだ。とても大きくてきれいな空港だった。そこで入国手続き。何の問題もなかった。入国係官が「サッカーで来たのか?」と聞くので、「そうだ」と答えると、「ホンダ!」と、彼が言う。以前なら「自動車・オートバイのホンダ」という意味だが、今は「サッカーの本田圭佑」ということになった。たいしたもんだ。
空港を出ると、現地スタッフの方が待っていてくれた。その横を名波浩氏が通る。気づいたサポーターに声をかけられていた。現地スタッフはヨルダン在住の日本女性だった。彼女からヨルダンについてのレクチャーをうける。
・ヨルダンはいいかげんな国で、みんな「大丈夫、大丈夫」と言うが、一番大丈夫ではない。
・サマータイムも、ある日突然「やめる」と言い出すしまつ。これで時差は6時間になりました。
バスでヨルダン市内へ。着いたホテルはなかなかのホテルでビックリ。知り合った若いサポーターとともにさっそく市内へ出かけることにした。旅慣れた人たちで、「初日に土産を買っておくとあとが楽」と、教えてくれた。そんなもんなのか。
帰りのタクシーは、大渋滞にはまってしまった。ヨルダンには鉄道がないので移動手段はすべて車である。半端ない渋滞だった。わたしたちの乗ったタクシーの運ちゃんは、なかなかのお人で、歩道らしきところは走るは、隣の車に強引に割り込むは、乗っているこちらがいつぶつかるかとハラハラしていた。途中でガソリンスタンドにも寄った。そこも渋滞中で、強引に入ったものが優先する社会だった。大変遅くなったので、食事をどこかで取ることができず、しかたがないので高いのを覚悟してホテルのレストランに入ることにした。そこでツアー参加者の横浜マリノスサポーターの女性がホテルの男性従業員にモテモテで写真を撮られまくっていた。