このところ、考えてみると面白いな~ということがあったので、今回はそれについて記事にしたいと思います。
内容は人とのご縁について。
ご縁というものは不思議なもので、この仕事をしていると本当にドラマチックな展開を見聞きしたりすることがあります。
ですが、自分たちが意識化できていないだけで、すべてのご縁って実は感動的なものなのかもしれない・・・
そんな風に思ったりするわけです。
まず、その話をする前にちょっとだけ寄り道を。
みなさん、魂という概念ってありますか?
私はあると思っているんです。
目に見える形あるものではないので、とっても説明が難しいんですが・・・・。
それを普遍的なエネルギー体みたいな感じでとらえています。
生き物にはすべて姿かたちがあります、それって必ず朽ちていくものですよね。
でも、魂というものは姿かたちあるものを器にして、時という概念を超えて続いていく・・・みたいなイメージがあります。
ある命の最後を看取った時に
「あ、魂が抜けた・・・」
と感じたんです。
残された「体」という「器」は数秒前とは打って変わって「朽ちた」という表現がふさわしかったのを覚えています。
魂が入っていた時は確かに「生きている」という感じがしたんですね。
どれだけ弱っていたとしても。
愛してやまない存在が弱り、命が燃え尽きようとしている時は「もっと一緒にいたい」と強く強く願っていましたが、魂が抜けた瞬間を見送った時、すべてのパーツが揃った感じがしたんですね。
ピタっとはまったというか。
湧いてきた感情はとってもシンプルでただ単に
お疲れ様
ありがとう
それだけでした。
その器を選び、その姿で私の人生の一部を一緒に生きてくれました。
その体は、私たちよりも先に朽ちてしまっただけのこと。
魂はまた別の器に宿って、続いていくんだ。
それがストンと心に降ってきた瞬間、悲しみとは無縁になれました。
あとは魂が抜け、亡骸となった愛着ある器を感謝の気持ちとともに荼毘にふすだけです。
魂というモノを上手く表現することは難しいのですが、それは物質に確かな命を与える偉大なエネルギーなんじゃないかって思ったりします。
私たちはヒトとして生きていますが、確かに脳があって意思があって思考があり心臓が脈打って「生きて」います。
それが「生きている」という概念なのでしょうが、魂はそれとは別で体や姿かたちを「器」にしてエネルギーを発するものなのかな~と考えたりします。
そして、魂は何度も器を変えて続いてきているので「今の私たち」が体験していないはずの「記憶」があったりすんじゃないかと思うのです。
来たことがない場所を「懐かしい」と感じたり、初めてあった人なのに「前から知っていた?」と感じることがあるとすれば、何かそういう目に見えない部分が反応しているのかもしれません。
・・・・(;'∀')
気づくと前置きが長くなっていましたね。
今回お伝えしたい内容を書く前に、私が感じる魂についての前提をお伝えしようと思っていたら長々~となっていました(笑)
今日は一旦ここで終わって続きはまた明日にしたいと思います。
あ、ちなみにお話の内容は「魂の周波数」という話題です。
では、また明日。
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