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限りあるのも

2018年02月18日 | 日記:りょうのつぶやき

 

こんにちは(^^♪

日々、オリンピックを観戦しながら熱い気持ちになっている今日この頃です。

 

さて、今日は「有限」ということについて考えてみたいと思います。

 

ここ1年ほどですが私、髪の毛を伸ばしております。

友人の結婚式に向けてアップにできるよう伸ばしているのです。

 

すると久しぶりに対面鑑定でお会いするお客様と待ち合わせをしていても「誰だかわかりませんでした!」と言われるくらい雰囲気が違って見えるようですね。

いいように見えていたら良いのですが(;'∀')

 

で、髪の毛を伸ばすという目的は結婚式のためのことなので、式が終われば再びショートに戻そうと思っていたのです。

 

気まぐれに髪の毛を伸ばしていたころ「どうして真夏の暑いときに、延々とドライヤーをかけているんだろう・・・これって人生の無駄な時間だ!!」なんて考えて、その足で美容室に行ってショートにしてもらったことがありました。

それくらいお手入れだとか、ドライヤーの時間とか嫌い。

面倒くさいのはイヤなんですよ。

 

美容室に行って「どんなスタイルにしますか?」と聞かれたら「何もしなくてもソレっぽく見えて楽なのがいいです」と即答します。

だって、お金払って髪の毛を切ってもらっているのに、何十分もかけてセットしないと外に出られないような髪形にされたら嫌じゃないですか(笑)

 

だいたい↑こんな話をすると美容師さんは「ですよね~(;^ω^)」と同調してくれますが内心ドン引きしているのが伝わります(笑)

 

で、こんな面倒くさがりの私ですが髪の毛を伸ばし続けようと考えたのです。

 

フリが長くてごめんなさいね、ここからが本題です。

 

今みたいなお話を、私が尊敬しているある女性(年上)に話したのです。

すると意外な答えが返ってきました。

 

「髪の毛長く伸ばせるなんて今だけよ?

そのうち白髪が出てくるし、50代になってきたら薄毛問題も出てくるんだから!

コレ、かなり重大な問題なんよ。

髪の質も変わるしね~~~

綺麗に伸ばせるなんて、若いうちよ♪」

 

ものすごく明るく仰っていたので「ははは~」とその場は終わったのですが、後になってその言葉が染みてきたんです。

 

なぜならこの歳になってくるとはっきりと老いを感じるようになります。

いや、大袈裟な話じゃなくって、ふと鏡を見た時の自分の疲れた顔とか、蚊に刺されたところの跡がいつまでも残っているとか(笑)

 

今まで気にならなかったことが気になり始め、それが自分を象っている細胞の劣化だと気づくんですよね。

つまり老いを実感するってやつですよ。

 

20代のころなんか全く気にせずに「好きなもの好きなだけ食べた~い」とか「毛穴ひらくって何?」とか思ってたのに、同じ調子で30代前半を過ごしていると40代になって鏡を見ると「なんじゃこれ~~!!」と驚くことなんてザラなんです。

 

自分の劣化を実感し始めたからこそ、その方の言葉が沁みてきたんですよね。

 

「いつまでもあると思うな親と金」ならぬ「いつまでもあると思うなハリと艶」みたいに。

 

それだけじゃなくって、本当はほぼすべて物事に限りがあります。

無限ではなく有限なんですね。

いつも当然のように「在る」ので、その質が「劣化」していたり「衰え」ていることに気づかないことも多いですが、その現実を意識するようになってくる頃には実際より本格的な衰えが進行しているという事態も多いんじゃないでしょうか。

 

髪の毛にドライヤーあてるのが面倒だ!

 

と若いころの私は思っていましたが、髪を当然のように伸ばせる期間って有限なのかもしれませんね。

そんなことを考えていると・・・・・

 

だったら

 

ドライヤー、パワフルなやつに買い替えよう!

 

とか

 

髪の毛が長くないと出来ないヘアアレンジを楽しんじゃおう!

 

みたいに思えるようになりました。

 

いま、当たり前に持っている自分の何かは「いつまでも同じ質で保てるわけじゃない」んですよね。

だったら、その状態でいられるうちにたっぷり楽しんじゃおう!

 

そんな風に思えたんです。

 

その女性のお話は、私が20代や30代前半であれば「へぇ~」で終わっていたことでしょう。

いま、この年齢で、実際に実感している衰えがあるから「そっか!」と胸にストンと落ちてきたのですね。

 

お話していることがストレートに届くかどうかって、その人の年齢や状態によるものが大きいと思います。

で、私は衰えを如実に実感しているので「じゃ、伸ばせるうちに伸ばして髪の毛結んで遊びます☆」と思いました。

 

いいですか?

今日は今あるものは無限ではなく、有限なんだよって話をしています。

 

が!

コソっと言いたいのは実はこっち。

 

「いつまでもあると思うなハリと艶」

 

以上です!(^^)!


何のための言い訳?

2018年02月10日 | 日記:りょうのつぶやき

 

言い訳、コレわたし得意です(;^ω^)

日常的にはよく言い訳してますよ、だって怠け者ですから(笑)

 

あ、今日は犬の散歩で疲れたからお米買いに行くのやめよ~、だって重たいんだも~ん。 とか。

 

でも、一つだけしないように気を付けている事あります。

それは、自分の心に言い訳しないことです。

 

だから「言い訳なんてみっともない真似をするな!」と偉そうに言いたいわけじゃなくって、今日ここに書きたいのは「その言い訳は何のためにするのか?」ってこと。

 

もっというと「どの段階で言い訳しちゃうのか?」ってこと。

 

つまり、言い訳ってタイミングがあると思っているんです。

 

例えば、何かをやらかしてしまった後に「いや、これは・・・・実は・・・・ちょっと・・・・」という感じで「やった後にする言い訳」もあれば、何かしようと思ってたけど「今日は〇〇だからヤメておこう」という感じで「しないことの言い訳」があると思います。

他には「〇〇だから無理だな」っていう感じで「諦めるための言い訳」があったりします。

 

個人的にはこの「諦めるための言い訳」だけはそれ違うんじゃない?!と思うわけです。

 

やった後にする言い訳

しないことの言い訳

 

この2つに関しては既に行動に移したり、行動に移す意思はあるという状況なんです。

 

でも、最後に挙げた「諦めるための言い訳」は「やる前」であり且つ「行動に移す意思がない」ということにおいて先に挙げた2つと決定的に違うのです。

 

そして、この「諦めるための言い訳」をしている人がとっても多い。

 

言い訳しなきゃ諦められないなら諦めることをヤメればいいし、そんな言い訳している時点で「本当は諦めたくない」と言っているようなものなんです。

 

ちょっと分かりにくいと思うので具体例をあげてみましょうか。

一番多い言い訳は「年齢」です。

 

『いい歳して何を望んでいるんだか・・・・無理ですよね』

 

このフレーズは頻繁に目にしたり耳にしたりします。

 

確かに「この歳から宇宙飛行士になるなんて無理ですよね」という言葉を60代の人から聞くと「来世での楽しみにしましょうか(^^♪」っていう会話になると思います。

でも、その内容で占い師にお金を払って鑑定を依頼する人はいないんですよ。

 

私が言っているのは占い師にお金を払って相談をしているのに「いい歳をして無理ですよね」と言う人たちです。

 

60代や70代の方が語る宇宙飛行士の夢みたいな話は、生まれ変わったら〇〇になりたいみたいな話題であって、お金を払って真剣に相談するタイプの話題ではありません。

もちろん、そういう希望や夢を持っていらっしゃる方がいても素晴らしいとは思います。

ただ、現実として私はそういう類のご相談をうけたことはありません。

 

でも、実際にお金を払って相談しに来ているってことは「本当はどうにかしたい」という願望があるうえに「諦めきれない」何かがあるからだと思うんです。

 

それなのに、自分の心が動くことを止める為にわざわざ言い訳をするのはなぜでしょう?

 

怖いからでしょう。

不安だからでしょう。

 

それくらいは想像つきますが、占い師にお金を出して相談している時点で、それは本人が思う以上に深く浸透している希望だと思います。

カードで難しい結果が出たり状況が進展しない結果がでることもあるでしょう。

 

でも、心の中で自分が希望や願望や情熱を抱くことに何の問題があるんでしょうか?

心で思うくらい何を思ったって良いじゃないですか。

 

現実、ままならないことなんて山ほどあるんだから、心の中で思うことくらい自由ですよ。

 

あなたは一体、何のために言い訳をしているんですか?

 

時々ズバーっと聞いちゃいます。

みなさん、とっても驚かれます。(そりゃ、そうか)

 

心の中で思ったり情熱を抱くだけなら誰にも迷惑をかけませんよ?

確かに難しいことなら行動に移す前に考えた方がいいし、対策や方針を練るべきだと思います。

もし気分が乗らないなら「しないことの言い訳」をしたっていいと思うんですよ。

 

でも、誰にも何の迷惑もかからない心の内のことに関して「諦めるための言い訳」をするのはなぜ???

 

それって、すごく勿体ない。

 

いつだって思います。

 

「心の中は自由だ」

 

あなたのその言い訳は、何のための言い訳でしょう?

 

もし、自分の心の内にまで言い訳をしているならとーっても勿体ないことだと思いませんか?

 

もっと自由でいいんじゃない?

そんな風に思う今日この頃です。

 


子育ての悩み

2018年01月21日 | 日記:りょうのつぶやき

 

何度か記事でもお伝えしましたが、去年の暮れから仔犬を迎えました。

先住犬は5歳。

 

つまり、前回の仔犬育てから5年が経過しているわけです。

 

で、先日ようやく予防接種が終わりチビ犬がお散歩デビューをしたわけです。

すると、当たり前なんだけど何にもできないんですよ。

 

まず、玄関から出られない。

玄関から出たら、車庫の砂に驚いているし、アスファルトの感覚にも戸惑っています。

でも、持ち前の好奇心の強さと細かいことを気にしない性格もあり、数分で外の世界にワクワクしながら駆け回っていました。

 

お散歩できるようになって数日が過ぎ、気づいたことがありました。

それは上の子(先住犬)が当然できていることをチビ犬は何一つできないということです。

 

当たり前なんですよね。

教えていないんだから。

 

でも「あれもこれも全部、この子はまだできないんだ!!」ってことに驚愕したわけです。

 

そして上の子の時を振り返ってみたら・・・・。

すごい必死になって教えたな~。

人と生活するうえで必要なルールを考えて、どうすれば伝わるんだろう?とか、どうやったら上手く教えられるんだろうとか。

 

で、一生懸命ワンコと向き合って観察して理解しようとしてたんです。

そして上の子はできるようになりました。

それは、私が伝えようとしたことをワンコなりに考えて受け取って身につけてくれたんですね。

 

私も頑張ったけど、ワンコもすごく頑張ってくれた。

 

そういう過程があったから、いま当然のようにできているんですよね。

それをすっかり忘れてました。

 

それで「あ。また、こんなコトしてる~"(-""-)"」とか思って、たまに失敗してることを怒ったりしてました。

 

チビ犬は、いうなれば全くのゼロ状態なんですよね。

まだ何も教えていない真っ新な状態。

 

その状態をあらためて認識することで、上の子の努力や自分の頑張りを再認識しました。

 

できていることは当たり前じゃなくって、ちゃんと教えたからできるようになっているし、できるようになる努力をしてくれたからなんですよね。

 

そんなことに気づくと、先住犬のことがもっともっと大事になりました。

そして、「その頃の自分、よく頑張ったやん!」と思えました(#^.^#)

 

 

私は子供を産んでいないので育児経験はありません。

 

でも、これって子供を育てている方にも言えることなんじゃないでしょうか。

もちろん、子育てのほうが難しいし大変なのは重々承知しています。

それでもあえて言わせていただくと、一生懸命お子さんと向き合っているのであれば、お子さんだって何かを学んでくれているはずなんです。

 

お子さんが誰かにちゃんと「ありがとう」が言えるのだとしたら、それはそれを教えた人がいるはずです。

そして、お子さんがそれを学んだということです。

 

ついつい出来ていないことにばかり目が行って小言を言いたくなりますが、出来ていることの方が案外多いのかもしれません。

 

子育ては何十年と続くものであり、一筋縄では行かないことの方が多いはずです。

それでも何かを学んでちゃんと「できる」ようになっていることがあるんじゃないでしょうか。

 

それはきっと「あなた」が教えたことも含まれるはず。

 

育児に自信がなくって不安になっている人も「今できていることは当たり前じゃなかった」ってことを思い出すと少しだけ気が楽になることがあるんじゃないでしょうか。

 

偉そうに言ってますが、ふっとそんな風に思うことがありました。

 

これから、チビ犬にいろいろ教えていくことになるんですが、彼女にはどんな教え方がいいのかな?

また観察して試行錯誤する喜びに浸れそうです(#^.^#)


占いの結果か自由意志か?

2018年01月14日 | 日記:りょうのつぶやき

以前、水星逆行についての記事をアップしました。
そのシリーズをご覧いただいた方からこんな質問を頂きました。


結局、占いの結果通りにした方がいいってことですよね?


う~ん・・・・。
そう言われるとそうなんですよね。

 

ただ、あくまでも私個人の意見ですけど、占いの結果って数ある未来の可能性の中で「このままいったらこうなりやすい」っていうものが示されていると思うんです。

 

だから「絶対」ではないし「確実」でもないんですよね。

 

あくまでも参考にするレベルであって「占いの結果通りにしないといけない」というふうに強制するものではないんです。

あの記事を書いたのは、自分で体験して検証したいな~と思ったからです。


当たる、当たらないとか何らかの結果を導き出すためには本来なら何千何万というデータを取る必要があります。
ですから私個人の検証なんて言ってみれば単なる「感想」でしかありません。
でも、なんにしても「やってみることに価値はある」と思うので行ってみました。

 

そもそも私は占いの結果より自由意志を尊重すべきだと思っています。

 

なぜなら、その人が自分の心の声に素直に従って生きていれば、その人にとって必然ともいえる形で人生が動いていくと思うからです。

 

占いの結果は物事をスムーズにしていくために使うものであって、占いの結果に縛られる必要はありません。

今回、水星逆行について検証してみたいのであえて縛られてみましたが、本来なら自分がこうだ!と思ったら私は自由意志を優先します。

 

失敗するぞ~という結果が出ていても失敗したらいいんです。

だって、実際に自分が判断をして動いたことで感じるものがあるはずだから。

 

お客様に「このままいったら〇〇になると思いますよ」とお伝えすると、ほとんどの方が「じゃ、〇〇しない方がいいんですよね」と仰います。

 

確かに、無難に過ごすのであれば「〇〇しない方」を選択したほうがいいのでしょう。
でも、私は「気になるなら思い切ってやってみれば?」とお伝えします。

仮に失敗しても、痛い目にあっても、それを「自分で考えて」「選んで」「感じること」には絶対大きな意味があるんですから。
人って、体験しなくちゃ分からないことの方が多いんですよ。


それは確実にその人の人生の肥やしになります。

 

なんの失敗もなく、何のトラブルもなく、何の迷いもなく生きていくのも良いでしょうが、その時々の気持ちを大事にして迷ったり悩んだりすることも人の心を豊かにするんじゃないでしょうか。

ってことで、私の占いの結果は人に強制するものではありません。


占いの結果か、自由意志か?


と問われると

 

あなたの自由な意思を尊重してください

 

とお伝えします。


なんだかんだ言って、結局それも大きな流れの一つとして必要な要素だったりするんですから。
占いの結果をどう使うのも自由ですが、その結果に縛られてしまうのは本末転倒かなと思います。


好きな人の見分け方

2017年11月25日 | 日記:りょうのつぶやき

 

こないだ、ものすごく単純だけど私にとって大事なことに気づきました。

 

それは、一緒に食事をしているこの人のこと、好きなんだな~という事実(笑)

 

久しぶりに二人でランチをした友人がいました。

その時に一緒に食べたランチが本当においしくって「また食べたいな~」と思っていたところ、お昼時にその店の近くを通る機会があったのです。

幸いにも時間に余裕がある!

 

私は一人飯に全く躊躇いがないので「よし!今日は一人ランチだ!」と思い、胸を弾ませつつお店に入ってオーダーしました。

で、ワクワクしつつランチを食べると・・・・。

 

「めっちゃ普通やん・・・・"(-""-)"」

 

いや、美味しくないわけではないのでムっとするのはおかしいんです。

でも、お友達と一緒に食べて「美味しい~(*'▽')」ってなった時と感覚が違うんですよ。

 

・・・・一体、なぜなんだ。

 

で食べながら考えてみると、私は久びりに会えるお友達とのランチをずっと楽しみにしていたんですね。

それで楽しくお喋りしながらキャッキャ言いつつ食べていたわけですよ。

 

これって、その人と一緒に楽しい食事ができたからなんですよね、間違いなく。

 

一人で食べるより、誰かと一緒に食べるほうが同じお食事も美味しく食べられるんですね(^^

もっと言うと、その人のことを私が好きであれば、もっともっと美味しく食べられるってことなんです。

 

実は私、一緒にお食事を楽しめそうにない人とは付き合い以外で食事を共にしないように決めているんです。

その理由は「食事が不味くなる」からです。

 

そういう私にしてみれば「食事がより一層おいしくなる」のも「その人が好き」という気持ちがあるからなんでしょうね。

 

一人飯をして気づいた当たり前の事実。

 

言い方を変えると、一緒に食事をして美味しくご飯と共にできる人は私の好きな人ってことになるわけですね(^^

自分の本音が分からない時は一緒に食事をすると一発で分かるってことだな(笑)

 

こりゃ面白い発見をした(^^)