映画「君の名は。」を観に行きました。
めちゃくちゃ面白い映画です。
あの世界観にはハマってしまいましたね。
もともと、あの監督の映画は好きで、 「秒速5センチメートル」 や「言の葉の庭」を観ていました。
だから期待して映画館に行ったのですが、期待以上で大満足でした。
前にメルマガでもチラっと書きましたが、きっと誰もが一回は体験したようなことが背景にあるんですよね。
夢から目が覚めて、寝起きは覚えているんだけど、どんどん夢の記憶があいまいになる・・・。
どうでしょうか?
経験はありませんか?
私自身、何度もあることです。
物語のような壮大な何かは無いんですけど、高校生の時、夢の世界がどうにもリアルで、目が覚めてから現実世界に戻ることがなかなかできませんでした。
どちらが現実で、どちらが夢かの区別がつかず一日を変な感じで過ごしていました。
ですが、だんだん気づいていくんですよね。
「こっちの世界が現実だ・・・」ってことに。
そうなると、それが悲しくて受け入れたくなくて、2日間くらいボケーっとしていました(;^ω^)
夢の世界で何があったのかは覚えていないんです。
その時は覚えていたんですが、だんだん曖昧になってきて、何であれだけあちらの世界を恋しく思っていたのか?
どうしてこちらの世界と区別がつかなくなっていたのか?
分からないんです。
普通に考えたら、友達や親、兄弟はこちらの世界に居るのに、あちらの世界を失ったことが受け入れるのが嫌なくらい悲しかったんですね。
不思議な体験です。
あと、別件では夢の中でとても大好きな人と一緒にいた記憶があります。
それはシーンも覚えているのですが(かなり曖昧で、それこそ名前や顔は覚えていないのですが)、その人と一緒にいることで心が満たされて幸せな気分で満たされていました。
でも夢だから目が覚めてしまうんですよね。
覚めた後には、もう一度会いたくて何度も寝ようとしたのですが、都合よく同じ夢が見られるわけでもなく(;^ω^)
そんな時期が高校生の時に続いていました。
学校の国語の授業で出てきた漢文に「胡蝶の夢」がありました。
夢の不思議を語っています。
そして古今和歌集にある小野小町の・・・・
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
この和歌に出会いました。
現代語訳は
あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。
そう、「夢と知っていたなら目を覚まさなかったのに・・・」
この気持ちは、千年以上前の人にも共通してあった気持ちなんです。
荘子の胡蝶の夢の感覚だって国や時代に関係ない感覚ですよね。
その頃、大好きな小説の新刊にも小野小町のこの詩が入っていて、何かのメッセージなんだろうな~と感じたことを覚えています。
夢と現実との区別がつかない・・・と言うほど夢に入り込んでしまったり、目覚めて悲しくなるくらい夢の中で誰かと深く関わった・・・という夢を見ることは、あれ以来あまりありません。
ですが、今回みた映画でやっぱり心の深い部分が刺激されました。
あ~、こんな感覚があったな。
魂の記憶っていうか、きっと今じゃなに何かと繋がっていた記憶なんじゃないかな・・・
なんて考えたりするんです。
そして、こないだ知ったこと。
新海監督は古今和歌集にはいっている小野小町の歌をもとに「君の名は。」をつくったそうです。
ね?
面白いでしょう?
やっぱ、みんなどっかで繋がっているんですよ。
私の心が反応するのも当然かもって納得した次第です。
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