3.探訪レポート
2021年7月23日(金)
この日の探訪箇所
吉光の一里塚 → 和田山古墳群および和田山城跡 → 能美ふるさとミュージアム → 寺井山古墳群 → 末寺山古墳群 → 秋常山古墳群 → 高向神社(高向宮跡) → 六呂瀬山古墳群 → 足羽神社 → 山頂古墳(継体天皇像)
午前中の能美の古墳が見どころが多すぎて、越前探訪に使える時間はわずかになってしまいました。
でも、せっかく遠くまで来ていますから、せめて越前の古墳も一つは見たいです。
どこへ行こうか迷いましたが、位置的に見ても六呂瀬山古墳群がベストでしょう。
ナヴィに脳内を支配されながら古墳へ向かいます。
「上久米田」交差点を過ぎると、なんか普通の山越えの道になってきましたよ。
随分登りますね。
まだ、古墳は出てきません。
確か古墳はトンネルの上にあったはず・・・
ようやくそのトンネルが現れました。
短いトンネルを抜けると右手に駐車場が見え、説明板もあります。
着きました!
しかし、私は列島各地の古墳をめぐっていますが、これだけ比高差のある古墳は珍しいのではないでしょうか。
※帰宅後に調べたところ、麓の上久米田交差点の標高は約44mで、1号墳の場所は約190mですから、比高差は約146mあり、もし麓から歩いて登山するとしたら道が整備されていたとしても30~40分かかると思います(ちなみに、長野県千曲市の森将軍塚古墳の比高差は約130mです)。
さきほどくぐったトンネル。
全く分かりませんが、トンネルの真上は3号墳です。
そして反対方向はこんな感じ。
道路の向こうには麓が見えますが、おおむね西の方角です。
では、説明板を読んでみましょう。
写真を見るとずいぶん立派な葺石が葺かれていたようですが、川原石の場合はここまで持ってくるのが大変です。
縄文人のストーンサークルづくりにも負けていませんよ。
この墳丘図だとちょっと分かりづらいですね。
私はいまこれらの古墳の北側(図の上側)にいます。
お、リーフレット入ってるかな?
残念!
もうひとつ説明板があります。
前期の終わりから中期にかけて、2基の前方後円墳と2基の方墳が築造されました。
それらのうち、1号墳は墳丘長140mの前方後円墳で、越前最大の前方後円墳となります。
説明板には北陸地方最大とありますが、先ほど見てきた能美の秋常山1号墳の基壇部分を墳丘と捉えた場合は140mとなるため、両者とも「北陸地方最大」となります。
このイラストは分かりやすい。
ただし、今いる場所はこの絵でいうところの向こう側になります。
またも墳丘図。
こちらの方が分かりやすいですね。
では、古墳へ行ってみましょう。
と、思ったら今度はオブジェが現れました。
オブジェではなくモニュメントでしたね。
タイムカプセルも埋めてあるようです。
またもや説明板がありますが、これは歩く道を気を付けてくださいという注意喚起ですね。
「滑りやすい」ゾーンが2か所あるようです。
ここまでの感じだと、地元の方々の古墳への愛を非常に感じることができて、「ウェルカム度」もとても高いです。
ただし、リーフレットの補充もままならないわけですから、もしかしたら今では人手も不足して管理するのが大変になっているのかもしれません。
全国的に見られる傾向ですが、なかなか難しい問題ですね。
では、遊歩道に入ります。
ここから先が説明板にあった滑りやすい場所です。
今日は幸いコンディションが良いので滑りづらいですが、勾配は急ですから、戻るときは要注意ですね。
つまりはもう1号墳の後円部に登っているわけです。
足元には葺石が落ちています。
結構あるな。
前方が開けました。
ここは1号墳の後円部墳頂のはずです。
ここからの眺望はきいていません。
3号墳の前方部方向も見えますが、完全に藪化していますからショートカットはできません。
後円部の東側の張り出しと、その先には方墳である2号墳があるはずですが草ぼうぼうで分かりませんね。
1号墳の前方部の方へ行ってみましょう。
南側の眺望が少し開けています。
前方部先端から見る後円部。
後円部に戻ります。
改めて後円部墳頂。
もう一度前方部方向を見ますが、140mあるだけあって、墳頂のストレートラインは結構長いです。
1号墳の見学はそんなに大変ではありませんでしたが、つづいて3号墳へ行ってみます。
先ほど登った「滑りやすいゾーン」を慎重に降ります。
おっと、3号墳方面はデンジャラスっぽいですぞ。
まあでもここまで来て引き返すわけにはいきません。
繁茂ゾーンを抜けると普通に道がありました。
進んでいきます。
あー、ここがもう一つの「滑りやすいゾーン」ですね。
確かにここは地面が濡れていたら私でも引き返します。
山城跡を歩いている方はこの状況を見ていただいて想像できると思いますが、これは慣れていない方は連れてくることはできませんね。
慣れていない方は滑落して谷底に真っ逆さまになる恐れがありますから、お客様をお連れするのはやめます。
あ、「真っ逆さま」は大袈裟で、実際には滑り落ちたとしてもすぐに樹木でストップされるので大したケガはしないと思いますが、でもダメです。
デンジャラスゾーンを通過したら、3号墳の前方部に到達です。
先ほど登った1号墳の後円部を見上げます。
3号墳の墳頂は1号墳と違って藪がひどいですが、歩けないことはないです。
足元には何がいるかわからないため、長いものには注意した方が良いことは分かっていても、敢えて見ないことにしています。
後円部に到達。
後円部墳頂。
3号墳は、85mの前方後円墳です。
後円部から前方部を見ます。
それでは退却!
というかなんで私は一人で探検ごっこみたいなことをしているんでしょうか。
駐車場まで戻ってくると一安心。
ここまで20分くらいしか使っていませんので、実は大したことはないのですが、来るのなら今日みたいな真夏はお勧めできません。
それと、地面が濡れていた場合は上級者であっても歩くのが危険なため、もし六呂瀬山古墳群に来るときは、天候には十分気を付けたほうがいいと思います。
でも六呂瀬山古墳群の被葬者は継体ママの振媛の先祖の可能性がありますから、継体天皇ファンあるいは振媛ファンだったら頑張って来る価値があると思いますよ。
おっと、初めに見た説明板の裏にも説明があった。
これは結構気づかない人も多いんじゃないでしょうか。
やはり地元では振媛はアイドルですね。
オオドは天皇にスカウトされたとき、初めは断ったのですが、旧知の仲である渡来系の荒籠が使者としてやってきたらOKを出しました。
荒籠は単なる渡来人ではなく馬の生産で重要な役割をしていた人物で、出典は忘れましたが、「現代で言えばトヨタ自動車の社長」と例えていた方がいるように、かなりの力を持った人物です。
こういう素晴らしい説明板はもっと目立つように設置したほうが良かったのではないかと思います。
では、次はいよいよ継体天皇に会いに行きますよ。
(つづく)