日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

荏原台古墳群探訪【東京都大田区・世田谷区の古墳】(上)

2012-10-26 20:22:40 | 歴史探訪
 古墳に興味を持ち始めたのはいつのことだったでしょうか・・・。

 昔のこととか、ちょっと前のことさえも忘れてしまうので、あまり覚えていませんが、3年くらい前だったと思います。

 私は古墳に興味を持った当初から東京にある古墳を探訪してみたいと思っていました。

 しかし、東京の古墳は近いからいつでも行けると思っていたところ、いつの間にか月日が経って、結局、都内の古墳は府中にある熊野神社古墳とその周辺の古墳、それと上野の摺鉢山古墳しか見ていません(その前に宮崎県西都市の西都原古墳群は探訪しています)。

 そんな私ですが、ついに今日は大田区から世田谷区にかけて存在する「荏原台古墳群」を探訪することに決めました。

 荏原台古墳群には、都内で最大級の古墳が複数含有されています。

 古墳が現在どのようになっているか今から楽しみですね。

 さて、朝の8時40分に家を出て、高尾からは電車賃を少しでも安くするために、JRでなく京王線で新宿に行きます。

 そして山手線で五反田まで行き都営浅草線に乗り換え、西馬込に来ました。10時25分です。

 西馬込に荏原台古墳群はあるのでしょうか?

 いいえ、ないです。

 ではなぜ西馬込に来たのでしょうか?

 それは、大田区立郷土博物館を探訪するためです。

 大田区立郷土博物館は、西馬込駅から7~8分歩いたところにありました。

 入口がなんだか秘密めいています。



 入館して、パンフレットとチラシをもらい、左手を見ると縄文時代の展示がありました。



 古墳、古墳と言っておきながら、実はここに来た目的は縄文時代と弥生時代の遺物を見るのが目的の一つです。

 あ、もちろん古墳時代の遺物も見たいです。

 しかし!

 2階でいつも常設展示してあるらしい、縄文・弥生時代の遺物は今日は展示していません。

 なぜかというと、現在は「特別展 懐かし うつくし 貝細工」をやっているからでした。

 縄文時代の貝のアクセサリーの展示もあって、なかなか興味深いですが、江戸期以降の美術工芸品の数々は圧巻です。

 詳しいことは知識がないので良く分からないですが、純粋に「きれいだなあ」と思います。

 「特別展 懐かし うつくし 貝細工」は11月25日までやっていますので、興味のある方は是非どうぞ。

 そういうわけで、残念ながら縄文・弥生の展示はやっていませんでしたが、2階の隅の方にひっそりと古墳時代の展示があるではないですか。

 これから探訪しようと思っている、区内の古墳から出土した鏡や鉄製品(槍・鏃(ぞく。やじりのこと)・刀)などが展示されています。

 多摩川を挟んだ対岸の川崎市の白山古墳や観音松古墳の遺物もあります。

 白山古墳から出土したもののなかには、三角縁神獣鏡もありますよ。

 しばらく遺物に見入ったあと、次に3階に行くと、民俗的な展示でしたが、なにやら向こうの方に飛行機の模型が見えます。

 あの形はもしや・・・。

 やっぱりそうです。 

 航研機です!



 航研機は、昭和13年(1938)5月、時間にして62時間23分、距離にして1万1651.011キロメートルの周回航続距離世界記録(木更津→銚子→大田→平塚、一周402.32キロメートル、29周)を達成した飛行機です。



 当時の日本の航空機製造技術の高さを世界にアピールした機体でした。



 おっと、今日は古墳の話でしたね。

 いやー、私は飛行機も好きなので、偶然にも航研機に会えて嬉しいです。

 さて、1階に戻り、資料を3冊ほど購入したあとは、いよいよ古墳めぐりを始めます。

 正規の門から道路に出て振り返ってみると、大田区立郷土博物館はこのような佇まいでした。



 全然秘密っぽくないですね。

 西馬込駅まで戻ると、時刻は11時25分。

 西馬込から浅草線に乗って中延に行き、東急大井町線に乗り換えようとしたら、駅前にラーメン屋があります。

 味噌ラーメンが食べたいですが、外のメニューを見たら味噌はありません。そのかわりこれまた大好物のつけ麺があります。

 早速入店してオーダーすると、しばらくして出来てきたつけ麺は、ツルツル麺のストレート、これは私が一番好きなタイプだな。そしてスープは醤油とんこつで鰹節が効いていて、なかなか美味しいです。

 大盛はしないと宣言しているので、中盛(300g)を頼みましたが、今日は沢山歩くので少し多めに食べても良いでしょう。

 つけ麺を食べた後は、東急大井町線で旗の台に行き、東急池上線で雪が谷大塚を目指します。

 あ、さっきの店の名前を見るのを忘れた!

 (後でWebで検索したところ、「でびっと 中延本店」でした。デビット伊東氏の店だそうです。)

 さて、雪が谷大塚についたら、西の方向に歩きます。

 調布大塚小学校の北側へ行くと、鳥居が見えてきました。

 近づくと鳥居の横に「都旧跡 鵜木大塚古墳」の説明板が立っています。



 はい。今日の一つ目の古墳です。



 鵜の木大塚古墳(ひらがなの「の」が入る表記もある)は、発掘されていないので詳しいことは不明ですが、円墳で、直径は約27メートル、高さは約6メートルとされています。

 墳丘の南側が削平されて、稲荷神社が立っており、社殿の後ろへは侵入不可能になっています。



 この古墳の周辺は雪谷大塚町といい、また先ほど降りた駅名にもなっていますが、この古墳(古墳を塚という場合も多い)の存在が名前の由来になっています。

 神社の境内から出て、別の角度から古墳を見てみると、完全なる住宅街にこんもりと小さな山がちょっと浮いた感じに存在しているのが分かります。



 さて、次に行きましょう。

 中原街道に出てさらに西に進み、ガストのある交差点を右折し、一つ目の信号を左折して坂を下っていくと、扇塚古墳の石碑があります。



 扇塚古墳は現在は破壊されてその上にマンションが立ち、石碑だけ残っているのですが、もともとは前方後「方」墳だったのではないかといわれています。

 前方後方墳だったかどうかは、もう今では確かめられませんが、周溝から愛知県の土師器を模倣して作られた土器が出土しており、それが4世紀前半と考えられるので、築造年代もその頃と考えられます。

 そうすると都内最古の古墳かもしれません。

 佇立するマンションの下で4世紀の時代に思いを巡らせた後は、さらに西を目指しましょう。

 東急多摩川線の踏切を渡ると、来る前に道路地図をみた感じではそこは河岸(多摩川べり)の平地だとばかり思っていたのですが、なんと川沿いに丘ができているではないですか!

 ここは面白い地形だ。

 その丘の上に浅間神社があり、その社地が古墳なのです。

 この古墳は、浅間神社古墳と呼称されています。



 古墳とは関係ないですが、驚いたことに境内には多摩川に向かって見晴らし台があり、その眺めが素晴らしい!



 東急東横線の線路も望めて、ここは鉄道の撮影にも良いのではないでしょうか?



 全車両がすべて一枚に収まります(でも電柱は入ってしまいますが)。

 もっと腕が達者な人が撮れば、良い写真が撮れる気がします。

 我が家がある上流を望んでみます。



 今日は見えませんが、条件が良ければ富士山も見えるそうです。

 ここの浅間神社は、通称を多摩川浅間神社といい、以下の由緒を伝えています。

 文治年間(1185~89)、源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時に、頼朝の妻の政子は頼朝の身を案じ多摩川のほとりまできた。

 政子が亀甲山(これから私が訪れる亀甲山古墳)に登ると富士山が見える。

 政子はかなたにあるであろう浅間神社に頼朝の武運長久を祈り、身に付けた正観音像をこの丘に立てたところ、村人は像を富士浅間大菩薩と呼ぶようになった。



 ところで古墳の方ですが、古墳は前方後円墳と考えられ、前方部は約39メートルの幅、後円部は約32メートルの直径です。

 埋葬施設は、竪穴式構造とされます。

 築造時期は5世紀末から6世紀初頭と考えられています。

 神社の社殿改築で多くの埴輪が出土しましたが、その模刻はこれから訪ねる「多摩川台公園古墳展示室」で見ることができます(本物は多摩川浅間神社が所有しています)。

 さて、それでは次にその多摩川台公園古墳展示室を探訪してみましょうか。

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