日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

鳳勝寺・八坂神社|神奈川県海老名市 ~相模湖建設時に水没した勝瀬から移転~ 【歴史を歩こう協会・第1回歩く日 ⑨】

2019-02-11 20:42:38 | 歴史探訪
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 上浜田古墳群の存在は以前から知ってはいたのですが、どういうわけかあまり興味が湧きませんでした。

 ところが、先日当会の関根さんのレポートを読んだら俄然興味が湧いてきて、今回歩いてみることにしたわけです。

 百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、やはり実際に歩いてみると楽しさが分かりますね。

 さて、次は古墳ではなく、この近くにある「形成に特殊な経緯のある地域」のお寺と神社を訪ねてみようと思います。

 鳳勝寺へ行ってみたいのですが、ここは近道かな・・・

 そう思ってさっきは現代の国分寺への近接に失敗したわけですが、懲りずに突撃します。

 基本、私は攻撃系の人物で守備は苦手です。

 絶えず攻めていたい。

 山道の右手に八坂神社の境内がありますが、そこへ行きたいのです。

 ところがずっとフェンスが続いており、神社の境内へ入る場所がありません。

 唯一見つけたゲートには鍵が掛かっていました。

 仕方がない、迂回するか、と思ったところ、池上さんがフェンスの途切れた場所を発見しました。

 ナイス。

 その隙間から侵入。

 八坂神社です。





 説明板がありますよ。



 ここに皆さんに説明したかったことが書いてありました。

 先ほど、「形成に特殊な経緯のある地域」と言いましたが、相模湖を造る際に水没予定となった日連(ひづれ)村の勝瀬という地域の人たちがこの地に移住してきたわけです。

 相模湖は今ではイルミネーションや花火で有名ですが、人造湖なのですよ。

 と言っても、元々相模川は流れていましたよ。

 日連という地名は今でも残っており、少し前の行政区画では津久井郡藤野町で、現在は相模原市緑区となります。

 10年くらい前に相模湖で測量のアルバイトをしていた頃はたまにその辺にも行っていました。

 津久井郡には難読地名が多くて、例えば寸沢嵐は「すわらし」と読みますし、普通に「まきの」かと思った「牧野」が、「まぎの」と濁るのです。

 中世の頃は奥三保(おくさんぽう)と呼ばれる独特な地域で、戦国時代は武田と北条に半分ずつ税を納める地域もありました。

 社殿。



 現在のこの辺りの住所は「勝瀬」ですが、移ってきた当初は旧来の国分だったのが、昭和30年になって地名表記を故郷の地名である「勝瀬」に変更してもらったのです。

 しかし、自分の故郷が水没するってとても悲しいことですよね。

 それを乗り越えて、この地域の方々は現在暮らしているわけです。



 つづいて鳳勝寺を訪れます。



 石仏が並んでいますが、頭部がないですね。



 明治の廃仏毀釈の影響でしょうか。

 山門をくぐります。



 当初はこちらに来て勝瀬のことを話そうと思っていたのですが、八坂神社で済んでしまいました。

 なかなか立派なお寺ですね。





 鳳勝寺は春日山と号する曹洞宗のお寺で、津久井郡での開山は戦国時代の頃のようです。

 さて、本日最後の目的地は鳳勝寺から見て丘の反対斜面にあるので、もう一度丘を登りますよ。

 結構な急坂。

 ※かんめいさんはこの後の親睦会の時に「最後のこの坂がきつかった!」と述懐していました。

 登りきるといい景色が見れます。



 時刻はもうすぐ15時半です。

 オマケのツアーという位置づけでもう1時間も歩いていますね。

 でも残り2箇所です。

 頑張りましょう。

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