平成23年3月11日。
沢山の方の平和な日常が、根こそぎ破壊された日となってしまいました。
その日私は娘が風邪をひいて学校を休んでいたために自宅にいました。
そうでなければどこで地震に遭い、津波に遭遇していたか分かったものではありません。
午後2時46分。
地震は長い長い大きな激しい揺れでした。
娘をダイニングのテーブルの下に行くように叫び、
私はとっさに仏壇の前に行き花瓶を押さえていました。
倒れてテーブルに当たったテレビが視界に入り、
ガシャンガシャンガシャンガシャンと食器の割れる音や落下物の轟音が聞こえました。
家を持ち上げられて揺さぶられるような凄まじい揺れ。
私は仏壇を抑え悲鳴を上げながら『パパ助けて』と何度も叫んでいました。
数年前の宮城県北部地震、震度6強の再現のようでした。
でも今回はその規模が桁違い。
広範囲の大地の揺れを、この時は知る由もなかったのですが。
揺れが治まってすぐに沿岸部に住む実家の父の携帯にかけてみると、ラッキーなことに繋がりました。
『大丈夫?』という問いかけに『大丈夫だ』と答える父。
こちらの無事を伝えた後、今どこにいるのかと尋ねると、
なんと父は海の様子を見に来たと言うではありませんか。
『逃げて!』と私が叫んだ後、電話は切れました。
そのまますぐ息子を学校まで迎えに行きまた。
校庭に並んだ子供たちの無事を見て安堵しましたが、
息子を連れて自宅に戻る途中、防災無線から大津波警報が流れました。
私の住む東松島市はほぼ真ん中を国道が東西に横切っていますが、
その国道の南側の地区を津波が襲い、住宅地は破壊され航空自衛隊松島基地は水没しました。
国道の北側を並行して線路があって、津波はそこまで及びました。
私の家はそこから徒歩で10分くらいの場所。
地震直後、津波が来るから逃げろと言われても…。
なぜ逃げるのか?
ここまで到達する津波って…そんなのありえない。
私は子供たちを車に乗せて高台に避難しました。
続々と逃げて来る車の群れ。
あっという間に運動公園の広い駐車場は溢れ返りました。
その頃はまだ携帯が使えました。
安否確認のメールが数人から届き、避難していることを伝えることが出来ました。
その後まもなく携帯が通じなくなり、
やがて『圏外』の表示となり、以降携帯は時計代わりとなります。
伝言ダイヤルとか、iモード伝言板とか、もう無理でした。
とても寒い日でした。
雪が降り続き、日が落ちて辺りは暗くなり、心細さと不安と恐怖に震えていました。
依然大津波警報は続いているので、家に引き返す訳にもいかず、
結局その夜は3人で車中泊となりました。
暖房を入れるためエンジンをかけたり消したり、
ラジオを聞きながら大きな不安で眠ることはできませんでした。
そして夜が明けて、冷え込んだ朝。
今も、あの朝の冷たい空気と不気味な静寂を思い出します。
恐る恐る自宅に戻ると家はそのまま無傷でそこにありました。
周りの風景もいつもの朝と何ら変わりはなく…。
しかし、自宅から数百メートルの線路の向こうは地獄絵図だなどと、
一体誰が想像できたでしょうか。
沢山の方の平和な日常が、根こそぎ破壊された日となってしまいました。
その日私は娘が風邪をひいて学校を休んでいたために自宅にいました。
そうでなければどこで地震に遭い、津波に遭遇していたか分かったものではありません。
午後2時46分。
地震は長い長い大きな激しい揺れでした。
娘をダイニングのテーブルの下に行くように叫び、
私はとっさに仏壇の前に行き花瓶を押さえていました。
倒れてテーブルに当たったテレビが視界に入り、
ガシャンガシャンガシャンガシャンと食器の割れる音や落下物の轟音が聞こえました。
家を持ち上げられて揺さぶられるような凄まじい揺れ。
私は仏壇を抑え悲鳴を上げながら『パパ助けて』と何度も叫んでいました。
数年前の宮城県北部地震、震度6強の再現のようでした。
でも今回はその規模が桁違い。
広範囲の大地の揺れを、この時は知る由もなかったのですが。
揺れが治まってすぐに沿岸部に住む実家の父の携帯にかけてみると、ラッキーなことに繋がりました。
『大丈夫?』という問いかけに『大丈夫だ』と答える父。
こちらの無事を伝えた後、今どこにいるのかと尋ねると、
なんと父は海の様子を見に来たと言うではありませんか。
『逃げて!』と私が叫んだ後、電話は切れました。
そのまますぐ息子を学校まで迎えに行きまた。
校庭に並んだ子供たちの無事を見て安堵しましたが、
息子を連れて自宅に戻る途中、防災無線から大津波警報が流れました。
私の住む東松島市はほぼ真ん中を国道が東西に横切っていますが、
その国道の南側の地区を津波が襲い、住宅地は破壊され航空自衛隊松島基地は水没しました。
国道の北側を並行して線路があって、津波はそこまで及びました。
私の家はそこから徒歩で10分くらいの場所。
地震直後、津波が来るから逃げろと言われても…。
なぜ逃げるのか?
ここまで到達する津波って…そんなのありえない。
私は子供たちを車に乗せて高台に避難しました。
続々と逃げて来る車の群れ。
あっという間に運動公園の広い駐車場は溢れ返りました。
その頃はまだ携帯が使えました。
安否確認のメールが数人から届き、避難していることを伝えることが出来ました。
その後まもなく携帯が通じなくなり、
やがて『圏外』の表示となり、以降携帯は時計代わりとなります。
伝言ダイヤルとか、iモード伝言板とか、もう無理でした。
とても寒い日でした。
雪が降り続き、日が落ちて辺りは暗くなり、心細さと不安と恐怖に震えていました。
依然大津波警報は続いているので、家に引き返す訳にもいかず、
結局その夜は3人で車中泊となりました。
暖房を入れるためエンジンをかけたり消したり、
ラジオを聞きながら大きな不安で眠ることはできませんでした。
そして夜が明けて、冷え込んだ朝。
今も、あの朝の冷たい空気と不気味な静寂を思い出します。
恐る恐る自宅に戻ると家はそのまま無傷でそこにありました。
周りの風景もいつもの朝と何ら変わりはなく…。
しかし、自宅から数百メートルの線路の向こうは地獄絵図だなどと、
一体誰が想像できたでしょうか。
祈って下さってありがとうございました。
震災直後の一番苦しい時期からは脱出したようです。
あの頃はライフラインも停止、食料も買えずで、その日暮らしが精一杯でした。
今は少しずつ物事が前に進みつつあります。
本当に酷い地域は全く手つかずの所もあり、
復興は無理、と決まった地域もあるようです。
比較的無事だった我が家は、ライフラインの復旧も早かったようです。
未だ電気もガスも水道も、全くだめな場所も沢山あります。
四国からの応援、とても励みになります。
どうもありがとうございました!
大変な状況だったのですね。前に地震の内容を書かれていたので、東北の方だと思い、心配していました。
御無事で何よりです。大変な状況で、お見舞いしか言えませんが、どうぞ、体に気を付けられて、一日もはやく復興されることをお祈りしています。
食べ物、灯油など大丈夫ですか。必要なところに支援物資が届かないなどのニュースに心を痛めています。
自然災害ですもの、いつどこがそのような状況になるか
わかりませんよね。遠く四国からですが、応援しています。
皆さんのお心遣いに感謝します。
本当にありがとうございます。
>まだまだ、戦いはこれから!
ホントそうなんですよね。
日々を暮らすことが落ち着いたら、
新しい人生に向かって進んで行くんですね。
家族そろって無事だった奇跡に感謝しながら生きれば、
きっと未来は明るいと信じてます。
皆さんの応援に心から感謝します。
ありがとうございました。
そして、大事なお家が残ったなんて
やっぱ、神様がいたのでしょうか。
いや、天国のパパが守ってくれたのですね。
何か必要なものがあれば言って下さいね。
福岡は品不足とは無縁みたいですから。
まだまだ、戦いはこれから!
無理はしないでくださいね。
祈って下さったこと、心から感謝します。
沢山のジョニ友さんたちの気持ちに涙が出ました。
心を寄せてもらえるって本当に有難くて嬉しいことですね。
ありがとうございました。
また引き続きお世話になるかと思います。
どうぞお力を貸して下さいね。
よろしくお願いします。
ほんとに良く生きていたと安堵しています。
私は水に浸かっていませんが、
水に入ったnonさんや他の方たちの恐怖はいかほどだったでしょうか。
考えるほどに恐ろしくなります。
nonさんはもう海を見たくないと言っています。
当然ですよね。
全国にいるジョニ友さんたちが心の支えになって下さいました。
本当にありがとうございます。
これからもお力を貸して下さいね。
よろしくお願いします。
皆さんが寄り添って下さることでどれだけ力付けられていることか…。
ここでの交流も拠り所となっています。
本当にありがとうございます。
あまりに被害が広範囲で、
どこから手をつけたらいいのか、というよりも、
手を付けられないほどひどい状況です。
少しずつ復興は進むのでしょうが、道のりは遠そうですね。
でも頑張って前に進むしかありません。
どうぞ皆さんのお力を貸して下さい。
よろしくお願いします。
nonさん 無事でよかった。
本当によかった。
ももちゃんからのメールで、Reiさんは無事
との連絡をいただいたものの、
その後連絡がなかなかとれなかったようで、
TVに映し出される被害の大きさに愕然とし、心配しておりました。
とても大変な状況の時に、ブログを書いてくださり
ありがとうございます。
私にも何か手伝えること、できることが
あったら、どうぞ遠慮なく言ってね。
私も精一杯応援します!!
本当に生きててくれてありがとう!!
本当に本当に、よかった。
お子さんたちも一緒で・・、本当に良かった。。。
恐ろしかったでしょう・・・、
怖かったよね。。。
テレビから流れる映像観てるだけでも、苦しくなります。
上手く言葉にできませんが、
とにかく生きててくれてよかった(T_T)
一人じゃないですから!
精一杯、応援しています。
そして、今の自分にできることを考えていきたいと思います。
頼ってください。。。
ご両親、お友達も無事で本当によかったです。
地震に加え津波の恐怖、悲惨さ、どれだけ映像を見ても、実際に遭っていない私には分かちあえることができないのだと申し訳なくも感じます。
お役に立てることがありましたら、どんなことでも言ってくださいね。
一日も早く、心穏やかに過ごせる日が来ますように。