goo blog サービス終了のお知らせ 

レダック ピースボートに乗る 改訂版1

2014-07-01 01:06:05 | 日記
(改訂版)     レダック ピースボートに乗る
目次 
序                  2
はじめに                2
Ⅰ部 紀行または寄港編  3
      第1章  乗船前           3
① UAE ドバイ              3
          ② ヨルダン                6
      第2章 スエズから地中海へ 
① スエズ運河
② トルコ クシャダス
③ ギリシャ ミコノス島
④ ギリシャ アテネ
⑤ クロアチア・モンテネグロ
⑥ イタリア バーリ
⑦ スペイン モトリル
⑧ 英領ジブラルタル
⑨ モロッコ カサブランカ・ラバト
     第3章 ラテンアメリカ
          ① ベネズエラ ラグアイア・カラカス
          ② ペルー リマ・クスコ・マチュピチュ
     第4章 ポリネシア
          ① ラパヌイ(チリ イースター島)
          ② 仏領ポリネシア タヒチ・ボラボラ島
          ③ ハワイイ
    
Ⅱ部 船内生活編
      ・・・








 写真もなく、タラタラとした文章をお読みいただいた「レダック PBに乗る」の読者の皆さん。
辛抱強くお読みいただきありがとうございます。大洋をはじめて航海し、船上からいざ原稿を送ろうとしたら、多くの困難がありました。まずは、100分3800円のカードを買い、を接続する(これが結構大変で、衛星と離れている時にはなかなかつながらず成功するのは3回に1回程度)、おまけにどこをどう触ったのか分からないうちに(飛行)機内モードになり、Passenger Internetそのものがでてこない、写真などは重くて送れない、など、WiFiということがもう一つ理解できぬまま、初めてブログを開始した人間には厳しい環境からの送信でした。
  また、寄港地では当然観光を優先したいし、WiFiのできる喫茶レストランも、街によりすぐ見つけられた所と探しても容易に分からない地があり、マ苦労したわけです。執筆というか文章書きも、寄港が続くと翌日は休養日みたいな感じになるし、PBは盛りだくさんの企画をつきつけてくる、文章を練るなんどの余裕はない、等々の理由で日記風になる、そうすると紀行文なのか、レダックの日記なのか分からない、等の苦情もありますので、上記目次のように再整理したものです。
 また、インターネットが容易に使えないので、確かめられず不確かな記述があるかも知れないこと、船内生活については、ずいぶん私の記述に偏りがあったことが分かり書き直す必要を痛感していることなど、修正したところも多い。それでも、再度読んでいただけるなら幸甚です。


 はじめに
辻元清美らのすなるピースボートというものに我も乗ってみむとて、申し込むなり。
2014年3月13日の時に横浜船出の船が、内覧会のため前年10月に神戸の港に来るとて見に行く。冷やかし気分で行きたるも、勧誘によろめき 仮申し込み すなり。そのよし、いささかものに書きつく。

 私レダックは、教員リタイア後、民間企業の海外・帰国子女教育の相談員を経て、暫時休憩後、非常勤でNPO団体職員をこの3月末までやっていた。2013年10月ころだったろうか、オーシャン・ドリーム号という船の内覧会に妻に連れて行かれる。後学のため程度の気分だったが、まんまと勧誘にはまってしまった。横浜発着のフル船旅1周計画なら百日越えでかつ3月出発なら非常勤とはいえ仕事をやめなければならぬ。ところが、飛行機で船を追っかけて行き合流するという、フライト&クルーズのパタンもあると知った。このプランなら、4月6日飛行機で出発、ドバイ経由でヨルダンから合流ということになる。妻はアジアには何度も行っており、しかも、100日でなく80日と言われれば、グラッと傾いてしまったのだ。後は一直線、費用も払い込み、オプションのツアーに申込みしているうちに、お仕事も3月末で終わり。今は準備に大わらわ。何が大変か!
 コースはおいおい紹介するが、地中海―大西洋―太平洋のクルージング、おまけにマチュピチュなど高山を含むから、春先の服装から夏、そして寒さ対策ト、服装―荷物対策に悩まされる。下着は何セット?山はどうする?船内のジムやプールも使う? 行きはフライトだから、持参できる荷物も限られてる。
 二つ目は、身体そのもののメンテだ。50歳で脳動脈瘤オペをやり、以来降圧剤は一生欠かせぬ。今は90日分薬が出るようになって助かっている。もう一つ困るのは近年前立腺肥大で昼夜とわずオシッコに悩まされている。オプションツアーでは3~4時間の行程もある。
ニュージーランドのバスツアーで、えも言えぬ苦しさを味わったことを繰り返したくない。それで泌尿器科に通いだし、やっと薬の効果が出始めたかなあーという段階だが、副作用で口内・咽喉まで乾燥が激しく、ために高音が出なくなり(マ、加齢による声帯の劣化のせいもあるが)市民ゴスペルの会もやめざるをえなくなった。
 三つ目は、海上生活だから、ブログがいつでもできるわけではない。おまけにこの種の扱いは、おじいさんだから、心もとない。これで、第2信を送信できずに終わったらゴメンネ!! ということで船もブログも出発したのでした。
なお、観光地情報について、興味のある方はガイドブックを見てください。レダック紀行は、あくまでもレダックの関心を引いたことしか詳述しません。私的・主観的見聞記以外の何物でもありませんので、客観的情報は期待しないで下さい。

第一部 寄港地紀行 
□内の文章は、レダック調べ、または講座等からえたその地の情報
 第1章 乗船前
 ① UAE ドバイ
UAEは800余万の住民の内、UAE国民はなんと100万で、後は180ほどの国籍の外国人という。国民なら大学まで教育費はフリーで、大卒後は60万~80万の給与をとるそうだ。
ドバイは、30年以上前には、ただの港町であったが、あきれるまでに変貌を続けている。2020年(東京オリンピックの年)にはEXPO(万博)が開催されることが決まっており、さらなるインフラ整備ラッシュの真っただ中にあり、無限の発展!運動を止められないように感じられる。
4月7日(2日目)午前4時、ドバイの空港の一画に、我々はピンク組の一員として集められていた。前回書いたように、第83回ピースボートは、600人ほどの乗客を乗せ、既に3月13日に横浜を出港したとのことだ。私と妻が申し込んだのは、アジア各地に寄港しながら航海中のピースボートを追っかけ、関空・成田・羽田からのフライトで追いつきヨルダンのアカバからの乗船というコースなのだ。後で聞いたところによれば、関空からは140名ほど、成田・羽田あわせて300名強が合流したらしい。どうやら、初めて顔を会わせる連中を、バスでホテルまで移送するために、30数名の単位で分ける必要があるのだろう。デ、私らはピンクの組というわけだ。
昨日関空で、ピースボートのスタッフから「エジプトでは4月に入って2度もテロがあり、寄港しないことになった(エエー!)、代わりにトルコのグシャダスに行く(それってどこ?)」と波乱を予感させるような情報を知らされた。そして、搭乗手続の際、書類の入った封筒と、ピンクの色紙を入れたタグを4枚渡された。それを各自の荷物につけて、6日23時、エミレーツ航空機は関空を飛び立ち、10時間のフライトで無事ドバイ空港にまでは到着したわけだ。時差が5時間あるので、現地時間は、まだ明けやらぬ午前4時ということになる。入管をくぐり終えた私たちは、ただひたすら次の指示を待ち続けていたのでした。その間を、ピースボートのスタッフとジャパン・グレイスという旅行会社の職員が走り回っているが、半時間も待たされていたろうか、たまりかねたのか、隣にいた一人のオッチャンが大声を発した。「どない、なっとんねん、何分待たすねん」。走ってきたスタッフらしき者が「最後尾にいるスタッフが今確認している所なので」と言い訳をしている。関空を飛び立ってきた連中だから、「あー、かっこ悪、関西のがらの悪さ公開せんでもいいのに、先が思いやられる」と嫁さんと目と目で会話する(声に出せば聞こえるモン)。そのうち、別のスタッフと思しき若き女性が「揃いましたので、ピンク組の皆さんは荷物を持ってバスに移動して下さい。その前に、人数確認のためハイタッチさせて下さい」と言う。挙げた手をスタッフが「1」「2」「3」と数えながらハイタッチしていく。そう、我々は名前を持った個人ではなく、合計数だけが問題となる集団の一員なのだ。でもこの方法は、点呼より時間節約できるし、若き女性とのハイタッチをいやがる者はいないし、おまけに何らかの親密感が芽生えるなど、いいやり方ではある。よくよく見れば、この組は自分もそうだが、おじん・オバンが圧倒的に多いように見受けられる。
 さて、道路わきに停めたバスの横腹に荷物を詰め込んでいくわけだが、スーツケースを載せたカートをそのままにしておくと他の車と接触しかねないほど危険なので、自分のカートともう一人後ろで苦闘している人のカートも一緒に移動させた。そこで、レダックは驚くのであります。手荷物入れのところに、なんとパスポートが残されているではありませんか☆!※ 「おじさん、おじさん」、そのカートを託したおじさんはバス入り口の補助棒に手をかけているのです。大丈夫かいな、そんな場合違うで・・ 手にしたパスポートを開け名前を呼ぶ「○○さん、これ」。 さすがに、会ったたばかりの他人に後ろから名前を呼ばれ、大事な大事なパスポートを差し出されては、面目丸つぶれか?彼の眼鏡の奥はまさに「点」になっていたのでありました。怒鳴るオッチャン、パスポート置き忘れのおじさん、こんな組でこれから一緒に旅行するの?!と不安にかられるレダックではありました。
 何はともあれ、7時前にはホテルに到着、いったんフリーとなり、12時集合してドバイ市内の観光だそうな。その時、新たに「組替え」が発表され、今度は私らは「青組」さんとなった。妻は「ドバイのメトロ(日本が技術供与した)に乗っておきたい」というので、時間を有効活用することとする。世界一好きのこの国で一度に二つの世界一を見ることのできるメトロの駅をめざす。スカイツリーもあべのハルカスも到底及ばぬ820数mの高さの建造物「バージ カリフ」、1200以上の店舗のはいる「ドバイモール」へ行くこととする。午後のバスツアーでも当然まわるだろうが個人行動をしておこうというわけだ。しかし、ホテルからメトロの駅まで、そして目的の駅からモールまでが遠い。移動疲れと厳しい日差しにバテ気味の身には、往復で結局1時間近く歩いて消耗しただけだった。足を引きず
りホテル帰着後まもなく、バスでドバイ観光へ。
 斬新なデザインのビル群、海岸線から見えるデッカイ帆船型ホテル、金gold市場(スークというらしい)、そして先ほど駆け足でまわった塔とモール。かと思うと美しいモスク、かつての寒村の港の名残を残すダウ船と言われる渡し船、その歴史を展示した博物館など、記憶にとどめきれないほどの観光地巡り。語りつくせません。
金満国家というべきか。観光地を回るにつれ「分かった、分かった。すごいね、世界一たくさんあるね。オメデトウ。あのホテル1泊30万円からって。ハイハイ、すごいです」 昼食に立ち寄ったレストランのハイネケンのビールが11ドル・・、誰が飲むか・・・」若いころならともかく、この年になれば、この街は疲れる。
無論、素朴に感心したこともある。言うまでもなくモスリムの戒律が日常的に生きてお
り宗派争いもここでは安定していると思われる。メトロに乗った時、女性・子ども・老人には、例外なく人々は席を譲る(だから妻は往復ともすぐに座れた)。デモ、メトロ車内での飲食禁止は分かるとしても居眠りまで厳禁で罰金対象になるってやり過ぎじゃない。マ、現状の日本人の一員として、批判がましいことは言えないけど・・・
 夕食後、またメトロに乗って街に出かける気力とてなく、爆睡したのでありました。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。