帰国子女教育について

2015-12-12 14:08:46 | 日記
 私は、定年退職後の職場として、企業の海外派遣社員の子女に関する教育相談員として嘱託勤務していた。この時代に多くの事を学び貴重な経験もした。今はリタイアしたが、その分、暇もあるので、海外・帰国子女教育にも細々とだがつながりを持っている。マ、これもアラコキ奮闘記の一つとしてお読みいただければ・・・。

★関西にはその名もずばり「帰国子女教育を考える会」という団体がある。
  ネット検索は「「帰国子女教育を考える会」検索
 この会は定期的・恒常的に研究会を開催しており、私も事務局員としてお手伝いしている。事業体ではないのでNPO登録をしておらず、名前の通り「考える会」であり、関心のある人々が寄り集まって、テーマに沿って報告・発表を聞き、討議・意見交換をするというものである。会長・事務局長と数人の事務局員とで、時期に応じたテーマ設定、報告者(発題者と呼んでいるが)の選定と依頼、会場確保、これまでの参加者・関係機関等への案内・広報といった業務を行っている。参加した人が会員であり、年会費などはとらず、参加費・資料代を徴収して会計を賄っている。1990年発足し、頻繁に会合を持った時期と逆に中断していた時期もあるが、近年は年3回の例会開催を心掛けており、今回が71回目の研究例会となるのだから、それなりに大したものだと思っている。
 参加者は関西一円から集まるので、土曜の午後2時~5時に設定しており、20~30人程度の参加をいただいている。固定したメンバーだけでなく、会合を知り初めての参加者も毎回おられる。発題・報告が1時間半程度、質疑・討論が1時間強、後半になるほど論議が活発になり、時間が足らなくなる。しかも、一部の人だけに論議を閉じ込めないように、一人一回は発言をお願いしている。論議の続きは、報告者も交えたお酒の入った2次会で・・という具合に情報交換、相互理解を図っている。25年間にわたり70回をこす研究例会が、「帰国子女教育」に係る個人および個々の団体のゆるやかなネットワークの機能を関西で唯一果たしている。
 ここに参加する人々は、大学の国際問題や多文化理解あるいは教育学・言語学等の研究者、小・中・高の帰国生受け入れ校や国際学校の教員、塾などの教育関係者、教育委員会等教育関係者が一つのグループ、企業の海外人事担当者・子女教育の相談員および海外子女教育振興財団の相談担当者が二つ目のグループ、さらには帰国生の保護者や帰国生本人がもう一つのグループといえる。最後の帰国生の保護者グループの中には、ボランティア組織をつくり、これから新たに海外赴任する家族や、帰国家族の相談や情報提供に応じている団体がある。関西では「関西帰国生親の会かけはし」、「ピアーズ@関西」、「神戸帰国子女親の会ECHO」といった団体が相談活動や集いを行っている。海外で、そして帰国してからも、一身に子どもの教育に関わってきて苦労した体験を持つ保護者(ほとんどが母親)だからこそできる活動だ。中でも「かけはし」は、帰国してからの学校選びに関するガイドブック「帰国生への学校案内<関西>」を「毎年」自主出版している。会員が手分けして毎年親の目から見た帰国生を受け入れている学校の状況を取材したうえで編集されたもので、テーマも決めた特集も組み、400ページを超えるというのだからスゴイ! この会合にも積極的参加を果たしてくれており、その意見は、本会の活動方針にも示唆的である。


★ ところで、「帰国子女」あるいは「帰国子女教育」とは? 今、議論する必要があるのか? 私見によればこうだ。
ネットの当会のホームページには、「日本の高度経済成長に伴って1960年代後半から、帰国子女教育が社会問題」となり、さらに「80年代後半には」問題は「複雑多様化してきた」とある。
当初、帰国子女という言葉が流布し始めた頃は、外国に暮らしていたから英語はペラペラなのに、翻訳調の日本語を喋る(「私、分かりません、あなた、言ってること」風に)子どもたちのことだというような、かなりの揶揄と少しのやっかみ・羨望をこめたニュアンスであったように、私は記憶している。だが、差異があるにもかかわらず一つのイメージを固定化することは偏見につながりかねない。「帰国子女」といっても、海外在留期間とその時期、海外の地域事情、保育・教育環境と使用言語、家庭での日本語指導等の違いで、海外体験によってうけとったものはまさに十人十色、全く違うのだ。特に、教育環境が日本人学校か、それとも現地校や国際学校(インターナショナル・スクール)かの違いは大きいし、言語習得程度の差異による「辛い」体験もまったく違う。
 大人にとっても、慣れぬ海外体験はそれなりに苦労を伴うものだし、言葉の心配や適応する上でのトラブルも少なくないかもしれない。それでも対処法は経験から学んでいける。そして、海外赴任を終えて帰国したときも、多少の浦島太郎気分の苦労は味わわざるをえないとしてもすぐに戻れよう。しかし、子どもも同じように行くとは限らない。だってそうだろう。親なしに生きていけない子どもは、ある日「○○の国に行く。友達とも別れなければならない」と宣告され、理解や納得などと程遠いところで応じなければならない。行った先では、学習環境もご近所も激変し、何が変わったのか、行動様式も理解できないまま、はなはだしきはコミュニケーション手段さえ奪われてひたすら我慢して慣れる。慣れて楽しくなったと思ったころに、また「日本に帰るぞ」と言われる。日本語を母語として身に着ける以前に離日した子どもはまた言葉の壁にぶつかる。そうで無い年代であっても、「どこに帰るの?学校は?前のところと違うの?」 出発前に比べ、大人社会以上に子どもたちの世界はまた異国に来たほど変わっている。日本社会への再「適応」はそう簡単でないのだ!
 帰国子女の問題で最大の課題は、やはり教育問題だろう。出国前在籍した学校に受け入れてもらえるならまだしも、校種も変わり、入学・編入の試験も要求されるなら、海外にいる間もその準備がいる。受け入れる学校のほうでも、当初は戸惑いもあっただろう。「帰国子女」の多くが身に着けた海外での文化、思考・行動様式が、日本の学校文化と軋轢を起こす事件や指導をめぐるトラブルはよく聞く話だ。中には「日本語」が不自由なため当該学齢の学習に支障のある帰国生もいる。このため、「帰国子女」を受け入れた学校の教員は、受け入れるに当たっての、あるいは、受け入れてからの学校生活の適応のあり方や、効果的な日本語指導に関しての見識やスキルが必要とされてきた。「考える会」研究例会も、これらのニーズを満たすべく展開してきたのだろう。そうした受け入れ校の努力もあって世間の「帰国子女」についての揶揄的見方も変わっていったのだと思う。
 帰国子女問題の二つ目の大きな課題は、パーソナリティ形成の問題だ。海外体験に対し肯定感を持って捉える者も、そうでない者もいる。言語面で混乱している場合もある。それでも、一様に経験したことはマイノリティとしての自分に気付いたことではなかったか? そこから、異国で生き延びるためには、異国の文化を受容せざるをえないことに気付く。少数者としての居直りの態度が、どのような「帰国子女」となるかというパーソナリティの核として形成される。 その結果、個性豊か、表現能力が高い、多様性を認める(だから日本の画一的指導とは衝突することもある)等々が、「帰国子女」の特性として認識されるようになったのだと思う(何べんも言うが、そうでない帰国子女も少なくはない)。

 国際学校、帰国生受け入れを目的として設立された学校、ミッションスクールなど、方針として積極的に帰国生を受け入れてきた学校はもとよりのことであるが、他の学校も気付き始めたことがある。第一段階は、高校のレベルでいうと、大学進学のためには、英語が得意ということだけでも大変魅力的だ。そのために、特別枠として帰国生選抜を行う高校や中高一貫校が増えた。(そのこと自体は好ましいことではあるが、「帰国子女教育」には無理解なまま英語力だけを要求する学校では、「帰国生」であることを知られたくないという言明を聞いたことが幾度かある。)
 ところが、第二段階の気づきは現在進行形で、まさに帰国子女が帰国子女たる所以の特性が、日本の教育風土に風穴をあけるかもしれないという期待である。画一的一斉指導に対して個性重視、一つの答えを素早く見つけるよりは何故そうなるのかをじっくり考える、個人の業績よりはチームでの協働能力、答案に答えをぶつけるよりはプレゼンテーション能力、・・・これらを「帰国子女」は外国で身につけてきた、彼ら・彼女らがロールモデルだと・・
 そういった期待は、今や、国家段階の戦略にも導入されはじめている。日本型IBの実験校、スーパーグローバルハイスクールの指定などなど、いまや「グローバル」は、1年間に限らない流行語大賞であるし、カタカナ英語として定着もし始めた。
 こういった潮流を何も批判的に言っているのではなく、当会でも研究テーマにあげ、強弱の差はあれ、期待をこめて日本の教育改革の切り口と考えている者がほとんどである。
 だとすれば、「帰国子女教育」は、不適応問題への対処という段階から、教育改革モデルとしての研究対象に変質したと言えるのか?

 文部科学省も、帰国子女に関する研究校、研究推進地域を指定し帰国子女教育の理解を深める施策をとっていたが、時代はめぐる。一方において、中国残留孤児の渡日促進とニューカマーと言われる新しい渡日者の増加に伴い、日本語指導の必要性が増した。さらなるグローバル化の加速は、教育の分野では、日本語に不自由な子どもたちの支援に重点が移されるとともに、英語教育の低年齢化と実用重視、グローバル人材と呼ばれる新エリート層の養成に注力されるようになってきており、帰国子女に着目した施策は影を潜めたように思われる。

 だとすれば、「帰国子女教育」あるいは当会の存在意義はなくなったのだろうか?
11月7日実施の第71回研究例会の呼びかけは次のようになっている。(少し引用が長いが事実の問題として、おさえておきたい)
「海外で生活している義務教育段階の日本人生徒は現在約7万7千人です。このうち27.5%の子どもは、日本の教育課程に沿った日本人学校の教育を受けていますが、72.5%の子どもは主に現地校やインターナショナルスクール等で学んでおり、日本の教育課程に沿った教育や日本の学校文化、日本の習慣に触れる機会が少ない環境で過ごして帰国してきます。
 海外に長期間在留した子どもの数は、平成25年度は約1万1千人です。この異文化の中で暮らして帰国したいわゆる帰国子女の、小学生は94.3%、中学生の68.0%は帰国後公立小学校・中学校に通学しています。」
 →言葉の問題を中心に、帰国語の日本への再適応に困難を感じている子どもの問題が解決されたわけではない。帰国生の理解が十分でない受け入れ校がなくなったわけでもない。
 帰国生の特性を伸ばす教育活動を展開している学校もまだまだ少数だ。断じて解決を見、終結したということではないと思う。

 さらに前記呼びかけは、続いてこう述べている。
「外国人児童生徒の在籍状況も地域により偏りがありますが、異文化で育ったとみなせる外国人児童生徒が激しく増加しており、その数は帰国生徒数の7倍を超えています。海外で生活してきた点で同じとみて日本人帰国子女と外国人児童生徒の数を合計してみると、日本全国の小・中学生の総数に対する割合は0.7%になります。」

 →私もまた、外国人児童生徒の問題も視野に入れた異文化の下での教育問題というようにウィングを広げて考えていければ・・と思っている。

PSこのブログを見て、疑問や関心を持たれた方は、「コメント」いただければ、次回例会の案内等いたします。