レダック 紀行 (東北編)

2014-10-14 00:04:24 | 日記
前回の本の発刊の画像おかしかった、すいません。

カンパしようと思っている「陸前高田カモメネット」について、ちょっと古いけど
その時の紀行文、紹介します(今回はその1)

レダック紀行第?弾 東北編(2013/5/09~15)
 
行って見なけりゃわがらねえ やってみなけりゃわがらねえ 
2年有余経って津波の跡地を花と野菜で埋めよう! チョビボラ体験記

① 仙台
 2013年5月9日20時20分、仙台空港に着いた。なんでこんな変な時間・時期に仙台にいるかということなんですが・・・東日本大震災から既に2年2月となる。当時の私はただただTVの前で涙こぼしながら判断停止状態でありました。仕事の関係で直接的な行動もできず、「ただ一度は彼の地をこの目で見たい」と思いっていましたし、「何か自分にもできることがあるのか」と考えていました。ただ、いかにも東北は遠い・・・、距離感もだが、旅費も一仕事だ、大阪―仙台を新幹線なら片道2万円強、飛行機なら3万円強必要だ。去年6月から完全年金生活者となり、暇は有り余るほどあるが、50日のNZ・豪州行でそうそうは出歩けぬ。年度が改まり、いろいろ計画しようと格安航空のウェッブを見ていると、あるではありませんか! ピーチの「5月8日関空―仙台就航記念につき\2880、予約4月×日まで」、これだ、JALの1割だ。迷うことなく申し込む?!ン!宿舎は?仙台には公務員共済のホテルがある、2泊とれる、デとりあえず片道申し込み、あとは調べながら帰りの便も期日までに申し込もう。まずは、仙台・松島観光だ。ところがピーチの難点は朝早と夜の2便しかなく、朝に関空に間に合う時間に行くことは事実上不可能ということで、19時の便を申し込み、かくなった次第。でも皆さん、国内線ならピーチで十分ですよ、お得航空券もしょっちゅう発売しているみたいだし、私はファンになりました。
 空港アクセス鉄道で仙台駅に着いたのは21時、駅ビルの有名な牛タン・すし通りの店で、牛タンに舌鼓を打ち(牛とヒトとの舌合戦)、何とか22時にはホテルにたどり着くことができました。
 翌日は、まったくの観光おのぼりさん、「るーぷる仙台」という1日乗車フリーパスで3ケ所ほどまわり、駅にとって返し松島へ。松島海岸駅から先には復旧していない鉄道区間があるため代替バスが運行されていることを知る。15時の松島遊覧船に間に合ったので、乗っておこうか、「大津波は松島では地震発生後1時間後に押し寄せ、ために養殖かきは全滅したこと、その復旧のボランティアは2千人におよんだこと」なども船内放送されていた。日本三景の一つ?やたら島が多くそれがドウシタって感じ。五大堂、瑞巌寺とまわっていたらタイムアップ、早く回りすぎたせいか、交通費と拝観・入館料にやたらとお金を使っただけの一日で、皆様にお伝えしたい情報とて見つけることができませんでした、スミマセン。情報誌を見てください。ア、一言。大阪よりかなり寒く、駅前の人並みは冬のファッションが多かった、牛タンは是非食する値打ちがある、僕の好みで言うと仙台市博物館は仙台の歴史をうまくまとめてあり一見の価値あり。
             
② 気仙沼
 5月11日(土)、宿泊場所を探したが土日につき大変、いろいろ調べて駅前ホテルを確保しておいた。初めて乗る東北新幹線の一関で乗換、気仙沼へ到着したのは昼前であった。 さて、どうしよう。観光案内所もあるが、今降りた乗客でいっぱい。駅前で客待中のタクシーの運ちゃんに声をかける、色々尋ねた結果、1時間5480円で被災地をまわるメニューがあるという。それに「ノッタ」。
 まずは2011/3/15毎日新聞(夕刊)署名入り記事<気仙沼ルポ>で当時の概況を
「津波でタンクから油が流出し、大規模な火災が発生した宮城県気仙沼市鹿折地区。被災から4日たってもあちこちで火がくすぶり、住民たちは、灰じんと化した街を前に立ちつくした。気仙沼市の島・大島ではまだ火が消えておらず、孤立状態の住民たちが不安な避難生活を強いられている。鹿折地区には大型漁船が市街地のあちこちに打ち上げられた。火に包まれた西側の一画は、元が何なのか分からない真っ黒ながれきの山で覆われている。・・・」
10数漕打ち上げられた漁船は撤去されたが、全長60m330tの第18共徳丸は鹿折の地に今もその姿をさらす。無残!! まわりは、がれきは撤収されたのだろうが建物の基礎のコンクリートとむき出しの鉄骨の風景。船は喫水線の下部までも地面上にあるからほんとにでっかく感じる。写真を取ってるうちに、すぐ横の数人が車から花と位牌をコンクリートの上に置き、手を合わしている。そうか今日は5月とはいえ11日だ。運転手が説明してくれて気づいたのだが、道路も盛り土になっており、すでに復旧して再建されたかに見える工場建物も全体が嵩上げされたらどうなるのか分からないとのこと、また向こう側に見える何かの跡は唐桑鹿折駅のプラットホームだという。今、大船渡線は気仙沼から先は振替輸送になっており赤いバスの停留所しかない。


「レダック ピースボートに乗る」出版

2014-10-13 23:16:42 | 日記
 ひさしぶりのアップです。
10月1日、同名で自主出版しました。これまでのブログを、
① 寄港地での旅日記と、船乗生活を分けて記載した。
② 時点修正含めて、少し加筆修正するとともに、写真を追加・差し替えした。
③ 全体地図を冒頭につけるとともに、寄港地を4つのパートに分け、地図・写真をつけた。
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=a6cffb262ba7b1cc8e5c0643a033181e&p=1&disp=10#

http://blhttp://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=a6cffb262ba7b1cc8e5c0643a033181e&p=1&disp=10


編集を依頼したのは印刷出版業者ではなくて、B型就労支援施設(いわゆる昔の作業所)
これまで、パンフレット等は作成しておられたが、本つくりははじめて。
所長・担当したK君には本当にお世話になったし、新しい業務内容を扱えてよかった
と感謝いただいたこともうれしい。

自費出版であるからして、当然費用は私個人持ちだが、200冊ほどの進呈以外は、
希望頒価千円としている。しかし、それではしんどいかもしれないので、
ワンコイン500円として、私の関係した「陸前高田カモメネット」へのカンパと
することとした。

次回、この紀行文をアップしたい。