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あちらはいかがですか、たかちゃん?

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真鶴に行ってくるね

2021-10-10 06:00:00 | 日記
2021,10,9

ちょっと真鶴(まなづる)まで行ってくるねと
たかちゃんの写真に声をかけて。

これについて、
違和感を感じる人がいると思う。
たかちゃんが亡くなる前の私は、そうだった。

父が亡くなってからの母は、
私と一緒に実家に帰ると
「お父ちゃん、ただいま。帰ってきたよ。」
と、まるで父がいるみたいに話をしていた。
それに、私は違和感を感じていた。

でも、今の私は、あの時の母と同じ。
これはどう説明していいか、
わからない。


真鶴は伊豆半島にあり、
たかちゃんと釣りをしたり、
海の幸を食べたり、
時間があるとよく来ていたところ。
たかちゃんが車イスのときも来た。
たかちゃんが亡くなってから、
伊豆には来ていたけど、
ずっとスルーしていた。



5時15分出発。

首都高速の用賀を
6時には通過したいなと思いながら。

スカイツリーの上半分は、霧がかかって、
見えなかった。
でも、朝の霧は晴れるって、
山では言うのだけれど、、

首都高速道路から東名に
東名の厚木で、小田原厚木道路で小田原方面へ
小田原から真鶴までは20キロくらいかな、、

土曜日にしてはスムーズに
真鶴半島の先端に到着。





ここからスタート。
265段の階段をおりて海へ









ここで、一時間ほど、溶岩石の上でワンコと
ぼーっと、、
気温26度、日陰だと海風で涼しい。
前に座ってるおじさんも座りながら寝ていた。
椅子から落ちないのか、
余計な心配をしつつ、、


最後は100段の階段を上がって駐車場へ。
去年から駐車代1000円をとるようになったようで。
有料駐車と書かれている手前に無料駐車場があります。
無料のほうに移ろうとしたら、有料に停めたからと徴収される😅

遠くに湯河原?熱海?
今回は海沿いコース、
真鶴岬の森には、何百年もの大木がいっぱいで、
森コースもあります。
木々を見るだけでも見ごたえがあります。




海岸線で見た、あげはちょう
おやつを食べたレストハウスのところで
また見かけました。

ワンコはフナムシを追いかけていたけど、
ここには赤いそぎんちゃくやウニやサザエもいるらしい。
取ってはいけない。



おやつタイム

真鶴港へ移動して早めの昼食







魚座というところの横のお店(海女食堂)
5軒お店があります。
初めて来た。

朝どれの地魚海鮮丼
地味に見えますが、新鮮でおいしかった。
酢飯の上に、
あじ、いわし、かます、かますのさんがやき、
サザエのつぼ焼き2個
味噌汁までいい味で、合計1400円?
これでビールが飲めたら最高なのですが。

ワンコは、
外の席に居てもいいですかと聞いて
居させてもらいました。
車の中では、熱中症になりそうで。
(ここのお店のまわしものではありません)
ワンコも少量だけどランチタイム。


帰りに
かまぼこやの鈴廣で
正月しか食べないけど、食べたくなった。





家族連れが多いなか、
私の他にも、一人者で来ている人がいる。
今はワンコがいるけど、
ワンコがいなくなる未来は
考えたくない。

今日も、海でもパーキングやお店でも、ワンコがいるから話しかけられる。



車のラジオを聴いて、
どこかへ出かけるのはやっぱりいいなー。
昔やちょっと前に流行っていた曲を聞きながら

なぜだか、
スキマスイッチの全力少年が何度も流れる。

あの頃の僕らはきっと
全力で少年だった、、

そんな時代もあったね。


友人に
ここにいるよーとラインすると、

最後の文面に

無理しちゃだめ
自分に優しく
自分しかいないから優しくしてくれるのは、

食べたいもの食べる
飲みたいもの飲む
寝たいとき寝る
、、、これじゃ原始人
ってライン。

パニック障害と睡眠障害を持ってる私に
ほんと、自分をいたわるのは自分しかいないものね。
友人に感謝。


2021,10,9の走行距離
272

回想:札幌の円山

2021-10-09 04:43:00 | 日記
(北海道への道のりの続き)
今から5年半前、
たかちゃんが亡くなって1年7ヶ月目


北海道での移住は、札幌にした。

理由は、
働くために職場の選択が多いこと。
甥っ子が札幌にある大学に通っていたこと。
雪の生活に便利なのではということ。



初めに出かけたのは
円山(街の名前、まるやま)。
円山は札幌では、人気の住宅地でもある。
素敵なショッピングやカフェ、レストランがあり
すぐそばに公園、神宮や円山や動物園と、自然溢れていた。

その円山には山があり、
標高は225mと低い山なのだが、
街の名前と同じ円山(まるやま)
頂上から札幌市街を一望できる、手軽な山登りである。
登りに1時間弱、降りるのに40分、
幼稚園の遠足の子供達がいたこともある。


そこに生息している植物は
見たことのない大きな葉をもつもの、
木々は白樺が多く、
本州とは違う。
針葉樹が少なく、(杉はほとんどない)
広葉樹や白樺、大木、
それだけで、私は、
ワクワクした。

円山に登り、札幌を一望した時、
ホントに北海道に来たんだなー、
と、それまでの忙しい日々を思い返した。

たかちゃんがいない生活は変わらないが、
自分とワンコの生活、
好きに生きよう、
もう、それしかなかった。


写真は、円山からの景色

たかちゃんが亡くなってからの不思議なこと

2021-10-08 06:00:00 | 日記
たかちゃんが亡くなってから、
不思議な出来事があった。


1つは、
たかちゃんが亡くなって一週間過ぎのこと、
葬儀も済み、普通の日常がまた始まった頃。


近くのマンションの人で、
自宅の前の70台置ける月極め駐車場に車を停めていた、
私と同年代の女性が、声をかけてきた。

女性「だんなさん、歩けるようになってよかったですね。」

私「、、、」

私「夫は一週間前に亡くなったんですけど、、」

女性「、、、」

少しの間があってから
女性「昨日、だんなさんが駐車場に歩いてきたから挨拶したのに、、、」

顔を少し傾け、
女性は怪訝な顔つきで、
昨日を思い出していた様子だった。

うちでも、
ここの駐車を3台分借りていたので、
その女性とはよく会って挨拶をしていた。
お隣のおばあちゃんと一緒に、
その女性とは何度か話をしていた。

たかちゃんが車イスであったのも知っているし、たかちゃんと一緒に
世間話をしたことがある。

前日は仕事が休みだったので、
息子や社員と間違えるはずもなく、、


私は、
たかちゃんの話をしたら、
泣いてしまいそうで、
それ以上は深く聞けなかった。

見間違いかももしれない、、
でも、本当だったら???

空耳なのか、リビングでたかちゃんの声を聞いたのも、この頃だった。

精神的に憔悴しきっていたから、空耳だったのかも。




2つ目は
たかちゃんが亡くなって、半年過ぎのこと。

かなり、リアルな夢。

たかちゃんは、見たことのない白い車で来た。
たかちゃんに

「どこに行くの?」

たかちゃん「奥歯の調子が悪いから歯医者に行ってくるよ」

後部座席を見ると、
見たことのないお婆さんが乗っていた。

私は、夢の中で
反射的に、この人死んだ人だと夢の中で思っている。
白い着物に白髪の髪を結い上げて、前を直視していた。

たかちゃんは、
元気だった頃のスマートな体型で
お気に入りの服を着ていた。

私は、
車に乗ろうとした。
お婆さんのいる後部座席に乗ろうと、
ドアを開けたが、
ドアの取り付けが悪くて乗るのをやめた。
たかちゃんに
「ドア、おかしいよ。」

そこで目が覚めた。


目が覚めて少し経つと、携帯が鳴った。
息子からだった。

「お母さん、お父さんの夢を見たんだよ。
それが、すごくて電話したんだ。」

息子の夢は、
たかちゃんと仕事をしている夢で、
たかちゃんの言ったことを忘れないように
手帳に書いたと話していた。

それから息子は夢で
「たまには、お母さんに会って行けば。」
と話したそうだ。

私が息子に
「それって何時ごろ?」
と聞くと、息子は
「5時前かな」


私がたかちゃんの夢を見たのは、5時半頃。

同じ日に時間差で、息子と私が見た夢。

たかちゃん、夢で会いに来たの?
あの世があるって教えにきたの?


たかちゃんは、
あの世があることを教えに来たのだろうか?
あちらで、育ててもらったおばあさんの面倒をみているのだろうか?

もし、あの車に乗っていたら、
たかちゃんの元へ行くことができたのだろうか?

今でもはっきり覚えている夢である。


東日本大震災の時に、
亡くなられた人の家族が、
不思議な体験をしたことを
テレビで見たことがある。
それも、かなりの割合であったのに驚いた。

メールが来た人もいた。
翌日、そのメールは消えていたのだが。

「たかちゃん、幽霊でもいいからここに来て」
と悲しくなると何度、言ったことか。

「からだがないから、無理か、、
じゃー、この葉っぱを揺らして」
一人でこんなことを何度したことか、、

揺れることはなかった。



7年が経ち、
そこまでの想いや願いは、無くなった。
いや、無くなったのではなく、
諦めたのだと思う。

今でも、どんな形であれ、
たかちゃんが来てくれたらと思う。



昨日の地震は、震度5強?5弱?
すごかった、
食器棚の引き出しが少しあいただけだったけど。

ベッドの足元にいたワンコが
携帯の地震警報が鳴る前に、吠えていた。
何を吠えてるのと、
寝入っていた私は、
起きてワンコをなだめようとしたら、
携帯の緊急音が鳴り、揺れた。

たかちゃんがいないこの世界で、
また、何かが起こるのか、
また一人で受け止めていかなきゃならないのかと
思った。
けれど、余震がないみたいだなと思ったら
眠い、このまま眠れないと大変だ、
寝よう、寝よう。

朝起きたら、遠くに住む友人2人から、
ラインがあった。

1人は札幌のKちゃん。
あの札幌の地震のとき
(2018年9月停電した地震、北海道胆振東部地震札幌は震度5強または6?)
水を買うのにコンビニ巡りをして、
認知症のお母さんをかかえるKちゃんと
分けあったね。

もう、3年、そんなに経つんだ、、


この写真は、
たかちゃんと住んだ家の近くのけやきの木
老人施設の建設のため、切られる前日に撮った

回想:北海道への道のり

2021-10-07 06:00:00 | 日記
(北海道移住への準備からの続き)
今から5年半前、たかちゃんが亡くなって1年7ヶ月目。


北海道への出発の見送りを断っていたが、
ママ友夫婦が、
5時前から待っていたのには、
びっくりした。
手紙と贈り物をいただき、
「帰ってきたら、ずっと年取ってもお茶のみをしよう」と書かれていた。

たかちゃんのお墓に寄り、
「北海道に行ってくるね、
毎月の墓参りはできないけど、たかちゃんも
一緒に来てよ。」

次は母と父、ご先祖様の墓参りをした。
それから
実家近くの、幼いときからお世話になった
親戚宅に連絡もせず寄った。
私の父方のばあちゃんの弟のお嫁さんで、
年は90を過ぎている。
たまたま、施設から自宅に帰ってきていて、
会えた。
認知症もなく、懐かしい話をして、
「北海道に住むから、当分会えないからきたよ」
と。
小さい頃、母がいないときは、
このおばちゃんのところでよく遊んでいた。
これが最後の再会だった。

札幌までの行程は、
青森まで車を走らせ、
フェリーに乗って函館に
そこから札幌まで高速で。

岩手で一泊、青森で一泊の2泊3日。
ワンコと一緒に泊まれるところを選んだ。


桜前線と一緒に北上する。
助手席にはたかちゃんの写真と位牌を置いて。

福島の三春と
秋田の角館、
青森弘前城の
桜を見ながらの
のんびり旅のはずだったが、距離的に結構ハードな旅となった。

関東の桜は、もう散っていた。


三春の桜を見るために寄ると、
もう、桜は散っていた。

三春で、
定年前の夫婦と一緒に、三春の桜の道を歩いた。

自分より年上のご夫婦を見るのは
羨ましいのは羨ましいのだが、
自分も旅に出ているせいか、
それほどではなく、
ワンコ好きな夫婦ということもあり
その夫婦の旅行の行き先まで聞いていた。

自分にも、すぐ目の前の予定があれば、
羨ましさをそれほど感じず、
自分の発見だった。


次の秋田の角館は、
母に、桜で一番綺麗だったのはどこ?
と聞いたとき、
角館と言っていたので、
ぜひ見てみたいと思った。

その年のしだれ桜の色が、
いまいちとのことだったが、
角館の屋敷通りの側の川の桜並木は
とても綺麗だった。

岩手、青森に宿泊した。

雫石近くの岩手の宿、
ここで出された、あわびだけというきのこが
美味しく、ドッグランもあった。
ここでは、
たかちゃんの写真と位牌を忘れるという
失態があり、
出先から電話を入れて確認してもらい、
宿の人もびっくりしたと思う。
車の中に、たかちゃんの分身を入れっぱなしでは
忍びないと思ったからだ。
また宿まで引き返して、写真と位牌をとりにいった。

青森でフェリーを待っているときは
さすがに海を渡るので、
本州を離れ、新しい地に向かうのだと実感した。

友人からメールが入り、
フェリーの写真を送った。
友人は
「本当に行くのね」
北海道に行くのをやめて、
戻って来るのではと思っていたらしい。

青森駅の
お寿司屋さん大黒で食べた、ひらめとホタテは
美味しかった。
カウンターで食べていて、
いろいろ話しかけられたが、
青森弁で半分以上の会話がわからなかった。


途中、
就職する予定の
市の老人福祉センターの健康管理の仕事の面接について、
携帯に電話が入った。

言いづらそうに、
「申し訳ないが、急に人員が決まりましたので
面接はなくなり、、」

あーあ、まだ面接もしてないのに、、
よそ者だしな、、
待遇が良くて、決まりみたいなことを言っていたのに、、
話があった時に、
札幌にすぐにでも飛べば良かったのだか、、詰めが甘かったな、、

そうそう、トントン拍子にはいかない、この年だし。

また、一から探そう、、

そんなことを思いながら、運転していた。

函館から札幌までは
高速道路を使ったのだが、
夕方の5時にガス屋さんと待ち合わせをしていた。

一時間遅れそうなのでと、連絡すると
待ってますよと返事があり、
よかったー、これでキッチンのガスもお風呂も入れる。

函館から札幌までは
全線高速のほうが短時間かと思っていたが、
洞爺湖あたりで降りて
山道のほうが近かったよと教えてもらった。

北海道は一般道や山道でも
80キロ、90キロを普通にとばすのを知ったのは
そのあとだった。

札幌に着いて、
ガスの検査と使い方の注意点を聞き、
車からお布団一組とワンコのベットを降ろして、
明日の引っ越し荷物の搬送に備えた。

「やっと息子の威圧を感じることなく生活できる」
この時、
息子にストレスを感じてたのを再確認した。
解放感があった。


写真は、秋田の角館のしだれ桜

配偶者死別後の私と子どもたちの温度差

2021-10-06 06:06:00 | 日記
たかちゃんが亡くなってからの家族ってなんだろう?
こんなこと、
たかちゃんが病気で入院していた時も、
癌末期で家にいた時も、
なにも考えることはなかった。

たかちゃんが居れば、
普通の家族
そう思っていられた。

それが、
たかちゃんが亡くなって、、

うちの場合は、子ども達は仕事をして、それぞれ、自分の人生を歩んでいた時期。
仕事が一緒の息子がいなければ、もう手の離れたこどもたちを見守るだけだったと思う。

40代で夫を亡くされた女性、
その当時、そのお子さんたちは高校生二人。
その女性に
「子供達が大きくなって、もう働くような年になった子どもを持って夫を亡くすほうが、私よりもかわいそうだ。」

そう、言われた。
初めはその意味がわからなかったが、だんだん実感している。

子どもが成長過程にあれば、
きっと一緒に到達地点に向かって、同じ時間を共有して同じ目標があっただろう。


私は親を亡くして、
親は先に亡くなるのが当たり前だから、
そんな気持ちがある。
だから、わたしの子ども達もきっとそうなのかもしれない。
でも、私にとって配偶者のたかちゃんを亡くしたのは、違う。

そんな子ども達との温度差が、
あった。

子供達は
いつまでも、うなだれている私を理解することはできなかっただろう。

私は、未来がなくなってしまったけれど、
年若い子供達には、そんなことはない。

私は、
人生にも人にも、ひねくれてしまった。
いやになってしまった。
自分の境遇に、心がついていけなかった。

家族だから、子ども達も
一緒にたかちゃんの死を悲しんでいたと思う。
でも、時が経てば、
子どもたちはずっとずっと先をみて、人生を歩んでいる。

私は、と言えば、
たかちゃんが亡くなった、その時間?場所?でずっとずっと、たたずんで止まっている。

仕事はしてる、毎日動いている。
でも、心は止まっている。

止まっている心と
日々、動いている世の中で、その波に乗って動いている自分は
まるで別の物。

この相反するものが、一致したら、
きっと、子ども達との温度差がなくなるのかもしれない。


でも、
7年経って、
そんなことは一生ないような気がする。


せめて、
毎日、動いている世の中に合わせて動いていたら、
波に漂う魚のように。

波は、仕事だったり、子育てだったり、介護だったり、趣味だったり、
それをしていたら、そのうち心も変わるのだろうか、、、

私は、心が変われるならと
いろいろ行動してきた。

今まで
今日の今日まで、

ずっと、、

足掻いてきたのだと思う。

でも、なかなか変わらないものだ


また今日も
足掻いていて、
生きている。



この写真は
たかちゃんと住んだ家の近くのけやきの木
老人施設の建設のため、切られる前日に撮った。