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死別4年過ぎからの私ルール

2021-10-27 06:00:00 | 日記
たかちゃんが亡くなって、
4年が過ぎた頃だろうか。
この頃は、
札幌にも慣れ、仕事にも慣れていた。

仕事で知り会った、
私より一つ上のKちゃんと
仕事終わりに
時々食事をしたり、お茶したりと
札幌を案内してもらったり。


何度か仕事を変えたが、
順調に生活していた。

なのに、
悲しみは一向に無くならなかった。
と言うより、
札幌に行ってから、
じっくり悲しみと向き合った。



仕事で仲良くなったKちゃんに
さびしくないのかと聞かれて、
そりゃー、さびしいよ、、くらいの話は
していたけど、
深い悲しみを話すことはなかった。

Kちゃんは離婚歴があり、子供も成人して
働いていて
一人暮らしであった。

Kちゃんは、
一度でいいから幸せな結婚生活をしたいと
婚カツをしていた。

「あさりさんも一緒に婚カツしようよ。」

何度か誘われたが、その度に断った。


でも、どことなくKちゃんは私と居て感じるのか

「あさりさんは幸せだったのね。
そんなにだんなさんのことを想うことができるんだからさ。
でも、悲しさは私とは違うみたいだね。」

「私は、奥さんを亡くした人はやめておこう。

私から感じたのか、
そんな事を言っていた。

幸せな結婚生活か、、、
幸せだったんだな、、
不幸にならないと気がつかないなんて、

北海道に行く前に、
四つ葉のクローバーの置物
四つ葉のクローバーのストラップ
四つ葉のクローバーを持ったクマのクリスタル
別々の人から、3つももらって、

どうして、四つ葉のクローバーばかりなの?

わたし、不幸なんだと初めて気がついた。

たかちゃんが亡くなって一年半年が過ぎた頃だった


たかちゃんに、
幸せですか?なんて聞いてないから
どうだったのかはわからないけど、

新婚の時より、
年を重ねた40代に近づくにつれて、
子どもたちも手が離れて
たかたゃんとは、いつも一緒で
仲良しだったと思う。

だから、
たかちゃんが亡くなってからは
どうしようもなく一人で立っているのが
頼りないというのか、
所在ないようになってしまった。




たかちゃんが亡くなって
いつ頃までだったか、、

一人になって泣き出すと延々泣いていた。
札幌にいた頃が一番ひどかった。

この繰り返しを何百回、
数えきれないくらいだった。

でも、延々何も変わらない。

そう気がついたのは、何年も過ぎた頃の
札幌にいた最後のほうだったと思う。



泣くのは30分にしよう、

もう、グチャグチャわけわからない状態は
終わりにしたい、
そう思った。

今でも、
たかちゃんを想って泣く時は
30分、、



泣く私と
客観的にそんなことを考える私。

私は、二重人格なのか、、



今は
死別7年を過ぎて、
あの頃のように泣くことは
本当に少なくなった。


想いは変わらないけれど

諦め、
何をどうしても
変わらないこの事実の諦め、
なのだろうか、、


泣くのは30分。
いつもキッチリとはいかないけれど、
そのうち
時計を見なくても
「終わり終わり」
と自分に言い聞かせて、30分泣くことは
ないと思う、


こんなことを
きっちり決めてるわけではないが、
これで
崩れてしまう自分を守っている気がする、

泣くのを抑えるみたいだけど、
短時間で涙ボロボロで泣けば、気が済んだ。



悲しいルールだなと書きながら思う。

しかたないよね、、

未だにこんな言葉しかでない。



私のスマホのラインには
たかちゃんのラインがある。
たかちゃんのスマホは解約したから
ラインを送っても既読にならない、

でも、悲しかった時
送ったラインがいくつかある。
決して既読にならないけど、
想いが届くといいのにと。


上の写真は
札幌の旭山記念公園から札幌を見渡した景色
よく映画のロケにも使われ、私にお気に入りの場所。
遠く石狩平野、石狩の海や帯広方面の山々も見えて
夜景もきれいなところ。
札幌に行ったら、ぜひ行ってほしいと思う。
雪の季節は閉鎖されているのでご注意を。


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