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羅漢さんの托鉢日記

私の勤める、葬儀社羅漢では、お客様お一人お一人を訪問する、営業方法をとっています。これを托鉢と称します。  

二丈町、とある処にて(羅漢さんの托鉢日記)

2009-10-11 21:41:59 | 托鉢日記
二丈町とある処に、
「こんにちは、羅漢でございます」
と、門口に立つと、
「用はない!」
と、にべもない小父さんが居りました。

それでも、takさんはこりもせず、
「こんにちは、羅漢でございます」
と、とある処に出掛けておりました。

そして数年がたった秋晴れのある日(今日なんだけど)
「まごころサポートクラブのご案内で参りました」
takさんは小父さんの門口に立ちました。

「あんたもよう、根気ようがんばるね」
「はい、ありがとうございます」

「おれが死ぬときは病院だから、此処(二丈町のことらしい)ではせんよ」
(んっ、どういうこと?)
KY(空気読めない)のtakさんが一瞬戸惑っていると、
「息子はふたりとも市内におるけん、そっちに連れて行くと思うよ」と小父さん。
「そげん言わんで見てみらんですか」
「此処でするかも知れんですたい」

「二丈町発展のためにかっ」
そう言って小父さんは、はははと笑ったのでした。
おっ、笑うと可愛い。

「よか、もらっとくよ」
小父さんはパンフを受け取って家の中へひきあげました。


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志摩町、師吉(もろよし)にて

2009-10-10 22:54:06 | 托鉢日記

布袋葵(ホテイアオイ)


ホテイアオイの群落

午後、直感に従い志摩町に托鉢に出た。
正解!!(訪ねたいお客様にことごとくお会いすることが出来た)

にこにこ顔で車を走らせていると、
目の前にこの光景でありました。

会社に戻り、Tさんに教わって「ホテイアオイ」と知ったわけでした。

アクセス(一応ね)
志摩町師吉の大石から大浦団地を経て、
師吉公民館に向かう途中に大きな池が道路脇にあります。

ユウ、ガッタ、チャンス

2009-10-04 21:50:17 | 托鉢日記
久々の秋晴れである。
日曜日でもあるし、
今日は、絶好の托鉢日和だ。

このところの「まごころサポートクラブ」のパンフレットも
改良を加え、上出来。(三人寄れば文殊の知恵といったところか)

パンフを持ち、スタッフそれぞれ托鉢に出かけた。

午前中、「イオン福岡伊都ショッピングセンター」での、
“専門家による遺言・相続・後見等の無料相談会”に出かけた。
法律専門職グループ(ユアブレイン)の方による催しで、
毎月第一日曜日、御前11時~午後3時までやっている。

と言うのも、私たち葬儀社も多岐にわたっての知識が求められる時代になってきている。
そんなわけです。

今日、相談に応じてくださった行政書士さんとは一度お会いしたこともあって、
とても親切にアドバイスをしていただきました。
任意後見や、遺産相続など、教えていたきました。

昼遅く帰社すると、社長ほか、スタッフは昼飯も終え、笑談していた。
「今日は、かなり会えたよ」
「日曜日はあえるもんね~」
「昼からも行ってくるよ」
「昼はチャンスだよ」
などと話している。

「オレも昼からまわろう」
「昼もチャンスだけど、夕方もチャンスですよ」
と、“まえふり”をしておいて、
「“ユウガッタチャンス“なんてね」
おやじギャグを飛ばすと、
わたしのギャグに汚染されつつあるTさんにうけた。

午後から夕方にかけての托鉢好感触。
一件、三回忌のギフトの注文もあった。
ユウ、ガッタ、チャンス。ニン(伊東四朗かっ)

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葬儀社羅漢「まごころサポートクラブ」

2009-09-26 21:58:19 | 托鉢日記
本日午後、志摩町から二丈町へかけて托鉢に出た。
先々で彼岸花が咲いている。
今日は“彼岸明け”である。

先日、『まごころサポートクラブ』に入会いただいた、
志摩町のお客様へ会員証を届けた後、
二丈町を吉井、鹿家、一貴山と訪ねた。

数ヶ月前のテレビで葬儀の特集番組をやっていたが、
ある葬儀社もやはり、一軒一軒訪問する営業(私達羅漢ではこれを“托鉢”と称している)
をとっていたが、二百軒あたって一軒の割合で会員に入ってもらえると言っていた。
大変といえば大変なことである。

一度の訪問で契約になることは、まずまれである。
(すでに、信頼関係が出来上がっているお客様で何度かあったが)
とにかく足を運ぶ以外にない。
そして、“直感”を信じること。

今日は、今年の初盆営業で親しくなったお客様を訪ねよう。
ということで、六~七軒『まごころサポートクラブ』入会の托鉢にでたわけです。

そして、
「どんなですか?そろそろはいっとかれんですか」
「うーん・・・」
「・・・・・・」
「はいっとこうかね」

「まごころサポートクラブ」詳しくはこちらをご覧ください

初盆営業ー初盆返礼品、怒濤の二日間ー

2009-08-14 21:11:04 | 托鉢日記
8月24日、午後8時。
最後の初盆返礼品を届け終わり、帰社。

車から降りると、隣の琉球犬レオン君がやってきて、
「おじさん、あそぼ」と言ったが、
「また、明日な」とスキンシップをして、事務所へ。

早春からスタートした初盆営業も本日でどうやら終わった。

あさってから祭壇の片づけが控えてはいるが、
明日ひと息入れといて、もう一頑張りするとしよう。

初盆を迎える皆さんが、
一番頭を悩ますのが、初盆返礼品をどのくらい(金額もさることながら、数のほう)準備するかということです。
余るより(余ったら返品できる)足りなかった場合を心配されます。

そこで私たちは、お客様に安心して初盆を迎えられるよう、
万全の体制を整えます。

通常、初盆返礼品を準備する目安として、
お葬儀での会葬返礼品の約半分の数をアドバイスしています。
(お客様、地域によって違いがあり、一概にはいえませんが)

それでも余ったり、足りなかったりします。
余った場合は返礼品を引き取りますし、
足りなかった場合に備え、返礼品を価格帯ごとにストックしておきます。

さあ、そして、初盆会(はつぼんえ)を迎えるわけです。

十三日。出勤してまもなく、携帯が鳴る。
「お返しが足りない」
えっもう!

商品を配達する数を積み上げ、礼状を印刷し、のしを印刷し、紙袋を添え、
お客様のところへとんでいく。
初盆お参りの方は次から次からやってくる。
お客様もきがきではないだろうから迅速に届けなければなりません。

「ああ、助かりました」
そう言っていただくとこちらも嬉しくなります。

十三日は例年、夕方あたりから電話が鳴り出すのだが、
今年は朝から大忙し。(嬉しい悲鳴とはこのこと)
返礼品の追加依頼は十三日にほとんど集中し、十四日はさほどでもないのだが、
今日は朝から晩まで配達に追われた。

ストックしていた商品は、お客様にも迷惑かけずに、完売。


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初盆提灯、お届けにあがりました。

2009-07-08 21:38:11 | 托鉢日記
「盆提灯、10周年特別企画」の展示会も盛況のうちに終わり、
事務所は配達待ちの提灯でいっぱいです。

「配達するよ」
多忙の社長も出掛けるたびに、提灯を積み込んでいます。

「こんばんわ。先日からお世話になりました」
「提灯をお届けにあがりました」
「ああ、ご苦労さん」
「たくさんありますよ」
(よいしょっと、少々お待ちを・・)
(今日は、もうすぐ中学生かよ!)

そんなわけで、車と玄関の往復で、8点の商品を運び込んだ。
「これがセットの家紋入りの住吉です。あとで家紋ば確認してもらいます」
「間違いはなかやろ」
「なかですけど」
「これがセットの行灯」
「はい、これがい草の座布団とゴザです」
「これが、皆さんから贈られた博多長」
「これが・・・」

「結局みんなから贈ってもろうて・・
「おじさんにだまされた」
「だまされたですか」

というのも、
今を去ること1ヶ月前。
「で、どれを奨めたかとね」
「僕はこれを奨めます」
「20万でこれだけの品揃えはないですよ」
「ほんなことね」
「ほんなことですたい」

「おじさんば、信用するたい」
(かなりのおばさん(失礼!)から、おじさんとは!)
「ありがとうございます」
そんなわけで、契約成立の運びとなった。
・・・わけでした。

そして、子供さん達と展示会に来てくださって、
たくさんお買いあげくださったのでした。

「おじさんにだまされた~」と言いながら、
顔は笑っている。

「バッチリ飾ってあげますけん」
「そうしてくれんね」
「提灯な、いたらん触らんがよかろ」
「はい、祭壇を飾り付けに来たときに私たちが飾ってあげますけん」

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托鉢日記―初盆営業、前原市長糸にて―

2009-06-28 22:03:10 | 托鉢日記
暑い一日だった。
天気予報がいうには、午後から雨が来るはずだった。

「日曜日は初盆営業日だ!」
ひそかに心に期する思いがあったので、
午前中、仕掛かりの仕事を大汗かいてやりあげた。

二丈町鹿家のお客様のご注文を届けた後、
直感を信じて、長糸へ向かった。

「ごめんください」
玄関でしばらく待つとご主人が出てこられた。

「何度かお訪ねさせて頂きました羅漢でございます」
ああ、という顔をされた後、
今度は、どうぞお入り下さいという表情をなされた。
(とっさに、“なんだかいけそうな気がする~”と思った。)
(そのおやじギャグはなんとかならんとか!)

「どんなですか?」
「はい」

ご主人は、多くを語らずに即決してくださった。

伺えば、寺院は「宇美八幡宮」だと言われる。
今年は神道の祭壇を契約するぞ!
ひそかに目標を立てていたので、喜びもひとしおでした。

「宇美八幡宮は、神功皇后さまの神社でしょう」
「私も何度かお参りさせて頂きました」
そう言うと、ご主人はニッコリと笑った。

神功皇后の足跡をシリーズで投稿させて頂いたので、
神宮皇后さまがご加勢してくださったのかも知れない。

宇美八幡宮についてはこちらをご覧ください

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初盆営業、盆提灯展示会初日です。

2009-06-20 20:58:56 | 托鉢日記





本日、いよいよ盆提灯展示即売会の初日です。
昨日、”スタッフー”(固まった!!)全員で会場作り。
今年は、創業10周年を迎え、みんなリキがはいっています。

八女の高級提灯を大・・超特価にて販売!!
例年以上に品揃えも豊富です。

和室には「、特設コーナー」を設け創作、新作提灯を展示しました。

いつもは「千の風」などのBGMが流れていますが、
今日はtakさんのCDコレクションを持ち込んじゃいました。
オールデイズ、にジャズ、鳥羽一郎はさすがに遠慮しております。

「いらっしゃいませ」
スタッフそれぞれ、営業魂始動。
「ありがとうございました」

お客様も満足し、私たちも喜ぶ。
これに超したことはありません。

初盆祭壇についてはこちらをご覧下さい。


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葬儀社の日常ー佐賀の乱と江藤新平

2009-06-15 09:08:53 | 托鉢日記
司法の父といわれる江藤新平
西日本新聞には、この写真が掲載されていました






数日前の朝の事である。
「tak君、佐賀の乱が改称されるらしいよ」
佐賀市出身のT先輩が言った。
「どういう事ですか?」

「ほら、ここに書いてるよ」
T先輩は、読んでいた西日本新聞を差し出した。(6月12日の)

「へえー」
「明治政府の陰謀だったらしいよ」
「たしか、“裁判長、わたくしは・・”という言葉を残して死ぬんですよね」
「うん」
「これで無念もはれますよね」

私も少なからず、江藤新平という人物に興味を抱いていたので、
何故か胸のつかえがとれた思いがした。

佐賀出身のT先輩も感無量といった様子。

“新聞によりますと・・”(私達年配には聞き覚えのあるTV番組のフレーズ)

旧佐賀藩士族の反乱とされる「佐賀の乱」の呼称問題が、
11日の佐賀市議会一般質問で取り上げられた。
「明治政府を下野した江藤新平が首謀した乱ではなく、明治政府の陰謀だった。」
とする新学説が唱えられるようになったことが背景にあり、
議員側が「佐賀の役」や「佐賀戦争」と呼称を変更するよう主張。
市側は運動が盛り上がれば対応を検討することを表明した。
地元の運動の盛り上がりによっては、
同市が文部科学省に教科書の記述書き換えを求める可能性も出てきた。

・・・毛利敏彦・大阪市立大名誉教授(明史維新史)が2004年に
「江藤新平は明治政府への反逆者ではなく、政府の謀略の側面が強い」との研究を発表。

・・・同市の田部井洋文教育長は「深い検証が進む過程で佐賀市としての考え方を(文部省などに)
示すのはやぶさかではない」と答弁。秀島敏行市長も
「(江藤は)はめられたという印象を持っている。できるだけ名誉回復をしていきたい」と答えた。
とある。

記事横の“佐賀の乱”の解説は次の通りである。

1874(明治7)年2月、明治政府に不満を募らせた佐賀の士族の反乱。
政府が素早く軍を送って鎮圧し、江藤新平らが処刑された。
通説では、征韓論を唱えて政府を去った江藤が首謀者とされるが、
近年では大久保利通ら政府側が、政敵の江藤を陥れるためし仕組んだ謀略との学説も出ている。
最初の士族反乱とされ、3年後西南戦争が起きる引き金となった。

私が三十代前後に読んだ、司馬遼太郎さんの『歳月』という小説がある。
むろん、江藤新平を描いたものである。
たいていの場合、司馬さんの小説は読後感がよいのだが、
この小説だけは後味のわるさがあった。
罪を着せられたままの状態で終わっていて救いがない。
おまけに、屈辱的な「梟首(さらしくび)」の刑を言いわたされる。
さらに、日本の司法を作り上げた江藤新平がその司法によって(その法を曲げてまで)
裁かれる無惨さ。

教え子とも言うべき『河野敏鎌』が、
「除族(士族に対する極刑)の上、梟首(きゅうしゅ)、申しつける」と判決文を読み上げたとき、―

(以下、『歳月』の最終章、―大久保日記―を引用します)
―この意外さと災厄と屈辱に、江藤はどう行動すべきかもわからず、
なにはともあれ鬱懐(うつかい)を吐きつけねばならぬとおもい、
とっさに立ち上がろうとした。その縄尻を背後の獄吏がひいた。
江藤の不幸は、この期に及んで尻餅をついたことであった。
このため「腰を抜かした」と、のちにいわれた。
江藤はこのとっさの激情から、たったひとことだけ叫んだ。
「裁判長、私は」
ということばであった。が、獄卒の一人がそういう江藤の腕をつかみ、他の一人が背後から
くびを締め、そのままかれの自由をうばいつつ、ちからずくで退廷させてしまった。
江藤新平という日本史上稀代の雄弁家にとってその半ちぎれの片ことが、
この世間の公式の場所における最後の発言になった。

「江藤、醜態、笑止なり」
と、大久保はこの四月十三日付けの日記に書いた。江藤は死をおそれ、判決をきいて醜態を露呈した、
という意味のことを大久保は書いているのである。しかも具体的にどうしたとも書かず、
それが後世の読み手にどのような卑劣さにも想像できるよう、ごく抽象的に書いているのである。―

唯一、救いがあるとすれば、
「ただ、皇天后土(天地)のわが心知るあるのみ」と江藤新平が叫んだことだろうか。
天地だけが知っている。最大の雄弁家の最後のことばである。
私などが史実をしるよしもないが、
ただ、心情として、この新聞記事には救われた感がある。
『歳月』からも陰謀説をうかがえる。
無念の思いが晴らされるには、これほどの歳月を必要とするのだろうか。

今日は少し、おもむきの違うブログになってしまいましたが、
「葬儀社の日常」にいれさせていただきました。

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托鉢日記、初盆営業―もうひとりの“小さなお客様”―

2009-04-29 20:39:49 | 托鉢日記
本日、志摩町を托鉢。
「こんにちは」
開けはなたれている玄関から声をかけた。
「ハイ、何ですか?」
後ろから声がした。

農家の広い庭先で自転車あそびの子が三人。
声の主は一番年かさの女の子だった。

「お父さんかお母さん、おじいちゃんでもいいけど・・・いますか?」
「お父さんもお母さんもおじいちゃんも、みかんのハウスにいっています。
ひいおばあちゃんならいますけど」
「うーんどうしようかな」

「そのみかんのハウスを教えてもらえばおじさんが行ってみるけど」
「ハイ、じゃあこっちです」
「ちょっとまってて」
下の男の子ふたりに声をかけると道案内に歩き出した。

「何年生?」
「わたしのこと?」
「四年生!」
「やっぱり、そのくらいかなと思ったんだ」
「僕は一年生!!」
「わー大きいね」
「そうこの子は大きいほう」 四年生の女の子が答える。

「この道をおりて、あの中にいると思います」
「ありがとう。行ってみます」

「こんにちわー」
ビニールハウスの扉をあけ、声をかけると、「はーい」と声がした。
ハウスから出てきたのは“おかあさん”
あの子たちのお母さんだから、当然若い。

それは父(あの子達のおじいちゃん)に聞かないと、今ちょと出てますので、
そんなわけでお母さんに初盆祭壇をアピールし、カタログを託した。

「可愛い子ですね。“いなかったらまた来てくださいね”なんて言ってくれたんですよ」
お世辞ではなく、お母さんにそう言った。

「会えましたか?」
ハウスから戻ると、小さなお客様が言った。
「会えましたよ。ありがとう」
「またね、さようなら」
「さようなら」

“もうひとりの小さなお客様”は四世代家族で育った子でした。
おじいちゃんがたぶん私年代なのであろう。


托鉢日記、初盆営業―小さなお客様―はこちらです

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