「受験生のための『世界史B』」 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
あけましておめでとうございます!
もうすぐセンター試験。今から慌ててもしょうがないので、落ち着いて、今までやってきたことを見直しましょう。
[武帝]
前漢のクライマックスは、紀元前2世紀後半、武帝のときでした。
実は、彼は前述した「郷挙里選」の制度を整えた皇帝でもあります。前回はあんまりよくない制度みたいな書き方をしてしまいましたが(笑)
前漢において武帝が果たした役割は非常に大きいです。
ここでは、外交と内政に分けて武帝の活躍を見ていきましょう。
①外交
外交といっても、ほとんど戦争です。笑
武帝の目下の攻撃目標は、漢の北方に展開する匈奴。おなじみの「蛮族」ですね。
彼らを討伐する際、武帝が送った武将は衛青(えいせい)、そして霍去病(かくきょへい)。7回に及ぶ遠征で活躍しました。
このふたりは教科書でも太字ではないと思うのですが、これとは別に、何といっても有名かつ数奇な人生を歩んだのが張騫(ちょうけん)でしょう。
当時、匈奴とは別に、中央アジアのあたり(今のモンゴル)に、大月氏という遊牧民がいました。
位置的には、匈奴を東西に挟む形で漢と大月氏がいた、という感じです。
この地理的な状況を見て、武帝は思ったわけですね。
「これは、大月氏と組めば匈奴を挟み撃ちできる……!」
そこで、大月氏と同盟を組むために派遣されたのが張騫でした。
ところが!
途中で匈奴に捕まってしまいます。
で、
10年間抑留されます。
しかし、
なんとか脱出。
大月氏のもとに赴きますが、
「なんかもうめんどくさいからいいや」と同盟を断られます。
そして、
帰る途中また匈奴に捕まります。
で、やっと帰国。
とんでもない無駄足ですね。時間の無駄も甚だしい。
……と、いうふうに考えがちなんですが、実は、張騫の派遣によって西域(中央アジア周辺)の事情が漢に判明し、そのおかげで東西の交流が活発化した、という、まあ、結果オーライ(?)的な効果が得られました。
よかったね、張さん。
そんな張さんの活躍もあり、武帝は支配をどんどん広げます。
そのときに各地に設置したのが、「郡」。
ここはマイナーなところですが実はセンター頻出だったりするのでしっかり覚えてほしいんですが、
中国南部~ベトナムでは南越(なんえつ)を滅ぼして南海郡を設置。
朝鮮半島では衛氏朝鮮(えいしちょうせん)を滅ぼして楽浪郡(らくろうぐん)を設置。
というふうに、地方にもその統治を広げました。
②内政
さて、軍事面ではかなりがんばった武帝なんですが、軍隊をたくさん動かすと困ることがありますね。
お金がなくなるんです。
そこで武帝は財政面でも独特な政策を打ち出します。
それが、
均輸法
平準法
塩・鉄・酒の専売
です。
均輸法とは、各地の特産物を税として強制的に納めさせて、それを不足地に転売するもの。
平準法とは、簡単に言えば再分配システムですね。各地の余ったモノを政府が購入して、不況のときにそれを売り出し、儲けたお金を貧しい地域に分配する、というもの。
塩・鉄・酒の専売、これはちょっと難しいですね。この3つは当時の民衆にとっては必需品(酒……?)。民間にこれを販売させると、必需品であるためになくては困りますので、どんなに高くても民衆は買っちゃいますから、業者が価格を引き上げてボロ儲けするかもしれません。それを防ぐために、塩・鉄・酒を売ることができるのは政府だけ、と決めたわけです。しかし実際には、逆に国が専売制度で儲けるためにやった、ということらしいですね。
以上、武帝の行った政策を外交と内政に分けて見てきました。
武帝亡き後、漢(前漢)はすぐに衰退してしまいます。
やっぱ、ひとりの皇帝が強くったってしょうがないですねぇ。
◎今日のまとめ◎
・匈奴討伐のために武帝が派遣した将軍を3人、覚えておこう
・張騫の西域派遣の意義は?
・武帝が行った財政難打開策も3つあります
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あけましておめでとうございます!
もうすぐセンター試験。今から慌ててもしょうがないので、落ち着いて、今までやってきたことを見直しましょう。
[武帝]
前漢のクライマックスは、紀元前2世紀後半、武帝のときでした。
実は、彼は前述した「郷挙里選」の制度を整えた皇帝でもあります。前回はあんまりよくない制度みたいな書き方をしてしまいましたが(笑)
前漢において武帝が果たした役割は非常に大きいです。
ここでは、外交と内政に分けて武帝の活躍を見ていきましょう。
①外交
外交といっても、ほとんど戦争です。笑
武帝の目下の攻撃目標は、漢の北方に展開する匈奴。おなじみの「蛮族」ですね。
彼らを討伐する際、武帝が送った武将は衛青(えいせい)、そして霍去病(かくきょへい)。7回に及ぶ遠征で活躍しました。
このふたりは教科書でも太字ではないと思うのですが、これとは別に、何といっても有名かつ数奇な人生を歩んだのが張騫(ちょうけん)でしょう。
当時、匈奴とは別に、中央アジアのあたり(今のモンゴル)に、大月氏という遊牧民がいました。
位置的には、匈奴を東西に挟む形で漢と大月氏がいた、という感じです。
この地理的な状況を見て、武帝は思ったわけですね。
「これは、大月氏と組めば匈奴を挟み撃ちできる……!」
そこで、大月氏と同盟を組むために派遣されたのが張騫でした。
ところが!
途中で匈奴に捕まってしまいます。
で、
10年間抑留されます。
しかし、
なんとか脱出。
大月氏のもとに赴きますが、
「なんかもうめんどくさいからいいや」と同盟を断られます。
そして、
帰る途中また匈奴に捕まります。
で、やっと帰国。
とんでもない無駄足ですね。時間の無駄も甚だしい。
……と、いうふうに考えがちなんですが、実は、張騫の派遣によって西域(中央アジア周辺)の事情が漢に判明し、そのおかげで東西の交流が活発化した、という、まあ、結果オーライ(?)的な効果が得られました。
よかったね、張さん。
そんな張さんの活躍もあり、武帝は支配をどんどん広げます。
そのときに各地に設置したのが、「郡」。
ここはマイナーなところですが実はセンター頻出だったりするのでしっかり覚えてほしいんですが、
中国南部~ベトナムでは南越(なんえつ)を滅ぼして南海郡を設置。
朝鮮半島では衛氏朝鮮(えいしちょうせん)を滅ぼして楽浪郡(らくろうぐん)を設置。
というふうに、地方にもその統治を広げました。
②内政
さて、軍事面ではかなりがんばった武帝なんですが、軍隊をたくさん動かすと困ることがありますね。
お金がなくなるんです。
そこで武帝は財政面でも独特な政策を打ち出します。
それが、
均輸法
平準法
塩・鉄・酒の専売
です。
均輸法とは、各地の特産物を税として強制的に納めさせて、それを不足地に転売するもの。
平準法とは、簡単に言えば再分配システムですね。各地の余ったモノを政府が購入して、不況のときにそれを売り出し、儲けたお金を貧しい地域に分配する、というもの。
塩・鉄・酒の専売、これはちょっと難しいですね。この3つは当時の民衆にとっては必需品(酒……?)。民間にこれを販売させると、必需品であるためになくては困りますので、どんなに高くても民衆は買っちゃいますから、業者が価格を引き上げてボロ儲けするかもしれません。それを防ぐために、塩・鉄・酒を売ることができるのは政府だけ、と決めたわけです。しかし実際には、逆に国が専売制度で儲けるためにやった、ということらしいですね。
以上、武帝の行った政策を外交と内政に分けて見てきました。
武帝亡き後、漢(前漢)はすぐに衰退してしまいます。
やっぱ、ひとりの皇帝が強くったってしょうがないですねぇ。
◎今日のまとめ◎
・匈奴討伐のために武帝が派遣した将軍を3人、覚えておこう
・張騫の西域派遣の意義は?
・武帝が行った財政難打開策も3つあります
はじめまして、
私は高2の受験生なのですが…
全然覚えられなくて;
資料なんかを暗記しても、情報がいまいち繋がってないからしっくりせず、悶々としていましたw
そんな時初めて貴サイトを発見して…!
すごく面白くて止まりませんでした!笑
そしてきちんと覚えるべき箇所も提示してくれていて、とても覚えやすいです!
段々と世界史への抵抗もなくなってきたような…←笑
続けるの大変だと思いますが、、、更新楽しみにしています(*´ω`*)
頑張って下さい*
もうセンターも終わってしまいましたね。
このブログを初めて3年が経ちますが、ほんとうに牛の歩みで、読んでくださっているみなさんをいら立たせてしまっていると思います。
しぃさんのように、世界史に対してニガテ感覚をもつ人が少しでも減ればいいなぁと思います。
細々とですが更新して参ります。
よろしくお願いします。
「貴サイト」ってなんかおもしろいですね。笑