「受験生のための『世界史B』」 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
ご無沙汰しております。
イエス、オールウェイズご無沙汰。
[前回まで]
正統派(?)キリスト教に改宗したメロヴィング家のクローヴィスはフランク王国を立派に育て上げる。
しかし、宮宰カール=マルテルの活躍などによって実権は次第にカロリング家に移っていくのであった……!
[カロリング朝のはじまり]
さて、前回大活躍したカール=マルテルには子どもがいました。
その名もピピン。
このピピンじゃないですよ(元ネタわかる人はどれくらいいるんだろうか)。
マルテルさん亡き後、メロヴィング家の衰退を経て、ピピンは代わりにカロリング朝フランク王国を開きます。
その際にピピンを助ける重要な役目を果たしたのが……
教皇でした。
キリスト教世界を牛耳るローマ教皇(めちゃくちゃ偉い)が、何故フランク王国などという野蛮人の烏合の衆に歩み寄るようになったのでしょうか?
その背景には、こんな事情がありましたとさ……(ここから回想シーン)。
[ローマ教皇がフランク王国に乗っかったワケ]
時代は遡って、ローマ帝国末期。
当時、力をもっていた教会は全世界で5つでした。
・ローマ
・アンティオキア
・イェルサレム
・アレクサンドリア
そして
・コンスタンティノープル
です。
これらをまとめて五本山といいます(センター頻出!)。
この中で最も勢力があったのがローマ教会と、コンスタンティノープル教会。
おわかりかと思いますが、ローマは西ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルは東ローマ(ビザンツ)帝国の首都でしたよね。
476年、西ローマ帝国が滅亡した以降、ローマ教会とコン教会(略)は独自の路線を取るようになり、対立するようになります。
特にローマ教会については、
・グレゴリウス1世によるゲルマン人への布教
・ベネディクトゥスによる修道院運動(@モンテ=カシノ)
などによって支持者を広げ、ローマ教会のトップであるローマ教皇はどんどん偉くなります。
同じころ、イスラム教の侵入によってローマ教会とコン教会の間に新たな問題が浮上しました。
その問題とは、偶像崇拝。
これによって互いの対立は深まり、ローマ教会はビザンツ帝国に対抗するための保護者を探さざるを得ない状況になりました。
そこでフラッと現れたのがフランク王国だったわけですね。
偶像崇拝については別の項で解説します!
[ローマ教会とフランク王国の蜜月]
教皇「かわいいやつだなあ、よしよし……ピピンくん、きみにフランク王国の王位継承を認めよう」
ピピン「え!? ほんとに!? わぁい、教皇サマが認めてくれるんだったら僕安心だよ! ほんとはむかしっから王様になりたいと思ってたんだ!」
教皇「うむ、その代わりにお互いの絆をより深めていこうな」
ピピン「うん、ありがとう! あ、今回のお礼をしなくっちゃね! まずは手始めに……イタリアのランゴバルドとかいう野郎どもをぶっとばしてくる!」
……こうしてピピンはランゴバルド王国を攻め、奪ったラヴェンナ地方を教皇に差し出しました。
これが、ピピンの寄進。
教皇はこのラヴェンナを教皇領とし、自らの基盤としました。この土地については、どの国にも属しません。
[カール大帝の活躍]
3代に渡るローマ教会とカロリング朝のラブラブっぷりは、3人目であるカール大帝(シャルルマーニュ)の時代に絶頂を迎えます。
カール大帝は、
ランゴバルド王国を潰滅し、
当時スペインにいたイスラーム教徒と一戦交え、
アヴァール人とかいうよくわからんやつらを撃退しました。
彼は西ヨーロッパの大部分をフランク王国をもって統一(このとき、地方の行政官を「伯」として統治させました)。
当時の教皇レオ3世は歓喜、大満足。
「この国にならローマ教会を任せられる……!」
レオ3世は800年のクリスマス、カール大帝に、
ローマ皇帝の冠を授けます。
そして宣言しました。
「西ローマ帝国がここに復活したのだ!」
おかしなハナシです。
だって、西ローマ帝国をかつて滅ぼしたのは「野蛮な」ゲルマン人でしたよね?
そのゲルマン人が建てたフランク王国が西ローマ帝国を継ぐんですか?
どう考えてもローマの正統な血統ではないですよねぇ。
まあ要するに教皇さんは、ビザンツ帝国に対抗するためならどんなやつでもよかったんですね、強ければ。
でもひとまずは、こうしてビザンツ帝国とまともにわたりあえるだけの十分な力は得られました(教皇が)。
これをもって、教皇とフランク王国による西ヨーロッパ世界が成立したのです。
しかし皮肉なことに、レオ3世が「西ローマ帝国復活したよ!」といくら言っても、歴史上この国は今後も「フランク王国」と呼ばれ続けることになります。。。笑
次回は東ヨーロッパ世界です!
◎今日のポイント◎
・キリスト教会五本山を覚えよう
・「ピピンの寄進」とは何か?
・「西ローマ帝国の復活」とは何か?
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ご無沙汰しております。
イエス、オールウェイズご無沙汰。
[前回まで]
正統派(?)キリスト教に改宗したメロヴィング家のクローヴィスはフランク王国を立派に育て上げる。
しかし、宮宰カール=マルテルの活躍などによって実権は次第にカロリング家に移っていくのであった……!
[カロリング朝のはじまり]
さて、前回大活躍したカール=マルテルには子どもがいました。
その名もピピン。
このピピンじゃないですよ(元ネタわかる人はどれくらいいるんだろうか)。
マルテルさん亡き後、メロヴィング家の衰退を経て、ピピンは代わりにカロリング朝フランク王国を開きます。
その際にピピンを助ける重要な役目を果たしたのが……
教皇でした。
キリスト教世界を牛耳るローマ教皇(めちゃくちゃ偉い)が、何故フランク王国などという野蛮人の烏合の衆に歩み寄るようになったのでしょうか?
その背景には、こんな事情がありましたとさ……(ここから回想シーン)。
[ローマ教皇がフランク王国に乗っかったワケ]
時代は遡って、ローマ帝国末期。
当時、力をもっていた教会は全世界で5つでした。
・ローマ
・アンティオキア
・イェルサレム
・アレクサンドリア
そして
・コンスタンティノープル
です。
これらをまとめて五本山といいます(センター頻出!)。
この中で最も勢力があったのがローマ教会と、コンスタンティノープル教会。
おわかりかと思いますが、ローマは西ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルは東ローマ(ビザンツ)帝国の首都でしたよね。
476年、西ローマ帝国が滅亡した以降、ローマ教会とコン教会(略)は独自の路線を取るようになり、対立するようになります。
特にローマ教会については、
・グレゴリウス1世によるゲルマン人への布教
・ベネディクトゥスによる修道院運動(@モンテ=カシノ)
などによって支持者を広げ、ローマ教会のトップであるローマ教皇はどんどん偉くなります。
同じころ、イスラム教の侵入によってローマ教会とコン教会の間に新たな問題が浮上しました。
その問題とは、偶像崇拝。
これによって互いの対立は深まり、ローマ教会はビザンツ帝国に対抗するための保護者を探さざるを得ない状況になりました。
そこでフラッと現れたのがフランク王国だったわけですね。
偶像崇拝については別の項で解説します!
[ローマ教会とフランク王国の蜜月]
教皇「かわいいやつだなあ、よしよし……ピピンくん、きみにフランク王国の王位継承を認めよう」
ピピン「え!? ほんとに!? わぁい、教皇サマが認めてくれるんだったら僕安心だよ! ほんとはむかしっから王様になりたいと思ってたんだ!」
教皇「うむ、その代わりにお互いの絆をより深めていこうな」
ピピン「うん、ありがとう! あ、今回のお礼をしなくっちゃね! まずは手始めに……イタリアのランゴバルドとかいう野郎どもをぶっとばしてくる!」
……こうしてピピンはランゴバルド王国を攻め、奪ったラヴェンナ地方を教皇に差し出しました。
これが、ピピンの寄進。
教皇はこのラヴェンナを教皇領とし、自らの基盤としました。この土地については、どの国にも属しません。
[カール大帝の活躍]
3代に渡るローマ教会とカロリング朝のラブラブっぷりは、3人目であるカール大帝(シャルルマーニュ)の時代に絶頂を迎えます。
カール大帝は、
ランゴバルド王国を潰滅し、
当時スペインにいたイスラーム教徒と一戦交え、
アヴァール人とかいうよくわからんやつらを撃退しました。
彼は西ヨーロッパの大部分をフランク王国をもって統一(このとき、地方の行政官を「伯」として統治させました)。
当時の教皇レオ3世は歓喜、大満足。
「この国にならローマ教会を任せられる……!」
レオ3世は800年のクリスマス、カール大帝に、
ローマ皇帝の冠を授けます。
そして宣言しました。
「西ローマ帝国がここに復活したのだ!」
おかしなハナシです。
だって、西ローマ帝国をかつて滅ぼしたのは「野蛮な」ゲルマン人でしたよね?
そのゲルマン人が建てたフランク王国が西ローマ帝国を継ぐんですか?
どう考えてもローマの正統な血統ではないですよねぇ。
まあ要するに教皇さんは、ビザンツ帝国に対抗するためならどんなやつでもよかったんですね、強ければ。
でもひとまずは、こうしてビザンツ帝国とまともにわたりあえるだけの十分な力は得られました(教皇が)。
これをもって、教皇とフランク王国による西ヨーロッパ世界が成立したのです。
しかし皮肉なことに、レオ3世が「西ローマ帝国復活したよ!」といくら言っても、歴史上この国は今後も「フランク王国」と呼ばれ続けることになります。。。笑
次回は東ヨーロッパ世界です!
◎今日のポイント◎
・キリスト教会五本山を覚えよう
・「ピピンの寄進」とは何か?
・「西ローマ帝国の復活」とは何か?
いきなりコメントさせてもらいました;;
今受験生の高校生です。
世界史で東南アジアについて調べてたらこのサイトがヒットしまして、読ませていただきました。
話し言葉も多々入っており読みやすいです。
これからも活用させていただこうと思っているのですが、、、
私は理系で世界史はセンターしかいらないんですが、これは二次レベルまではいってるんでしょうか?
どれくらいやればいいんでしょうか。。。?
どうぞご助言お願いいます><
コメントありがとうございます!
東南アジアのところは難しいですよね~
あの部分自分でも記事書いたかどうか記憶がないですね!!←
基本的にこのブログはセンターレベルです。
センター試験で問われるのが個別の事項(人名とか事件とか)の暗記であるのに対して、二次試験で問われるのはそういった歴史的事実の背景に潜む歴史の流れだとか思想だとかを理解できているか、ということだと思います。
もちろん、センターレベルの内容が暗記できていればセンター試験では点数が取れるのですが、ただただ暗記する作業では勉強もつまんないですし、多分効率が悪いですよね?
そこで、このブログではセンターレベルの内容を中心にしているのはもちろん、そういった事項を学習する際に手助けとなるようなそのときの歴史の「裏」事情だとか世界情勢だとか、結果的に二次試験レベルになるような内容も時折登場させております。
ちなみに、センターでよく出る事項は必ず色つき(青とか赤)で紹介していますが、そうでもない内容(つまり二次で問われるようなこと)は太字にとどめてあります。
ご参考になりましたでしょうか!
参考になりました!!!
昨日から最初から見始めてハンニバルの所まで来ました。確認テストもしましたよ^^
今日は体調不良で(ほんとに)学校を休んしまったため朝とか結構見てました(笑)
私は中国史が好きなので世界史を選択したのですが、ヨーロッパになると背景がいまいちつかめず戦争の名前を聞いてはあたふたしてたんです;;
でも、このブログを見てほんとに頭に入りやすくなってきました。背景とかもわかりやすいですし突っ込みも笑いながら覚えていってます^^
今までの勉強はなんだったのか・・
あ、ひとつ質問したいのですが、センターで「そんなん知るかー」見たいな選択肢を見かけます;(全く知らなかったり)
あれはどう対処したらいいのでしょうか??
このブログの最初のほうは大学生なりたてのころに書いたやつばっかなのでホント黒歴史で読み返すのも恥ずかしいので読まないでください←
ヨーロッパの戦争はぶっちゃけ難しいですね。
百年戦争やら三十年戦争やら普仏戦争やら。
僕は近現代ヨーロッパ史を専攻してるので、そのへんならしゃべることいっぱいあるんですがまだブログがそこまで行っていないという笑
センターにはですねー、教科書に書いてあることしか出ません。
ので、「そんなん知るかー」は許されないのが現実なんですね(「教科書に書いてあることぐらいわかるでしょ?」というスタンス)。
ですが、そんな教科書に書いてあること全部覚えられるわけないので、基本的には優先度の高い、頻出とされることから覚えていくわけです。
きっとくじこさんが「そんなん知るかー」と思ってしまうような問題は優先度の低い、あまり頻出でない事項だと思われますので、そういった問題はその都度覚えるか、捨てる、もしくは消去法でがんばる、しかないですね。
わからなかった選択肢を後で用語集なんかで確認して、太字にも赤字にもなっていなければそれは覚えなくていいですし、もし赤字になっていれば覚えないとまずい、ってことですね(笑)
いやいや、とてもわかりやすいですよ!!自信をお持ちになってください!
正味中国らへんしかわかんなかったりなので、近代史も是非みたいですっ!!!!!
用語集で①とかのものまで出てきたりしてたので「ここまででるの・・」とか思ってしまったり結構難しいとか思ってたんですが・・・
あ、もうひとつ!さっき質問し忘れました!
○世紀、明は・・・とかで問題文に書かれていて、世紀の下にアンダーラインが引かれています。
私、、、世紀がわかんないんです。。
○世紀に起こったことをしたから選べ、とかが全くできないんです。。同時期にヨーロッパでは・・・とかがもうわかりません><。
世紀ってどういう基準でし切られているんですか?
高校生!!!!!!!!!!
世紀区分がわからんのかいっっっっっっっっ!!!!!
……いえ、取り乱しました……。
くじこさんが悪いのではないです、それをあなたに教えてあげなかった中学生時代の先生を恨んでください。。。
いいですか、3つのヒントを出すので、「世紀」とは何か考えてみてください。
① 20世紀……1901年~2000年
② 19世紀……1801年~1900年
③ 2世紀……101年~200年
どうですか?
同じように、21世紀、18世紀などがそれぞれ西暦何年~何年にあたるのか考えてみてください。
ちなみに、
紀元前1世紀……紀元前1年~紀元前100年
ですね。
「19世紀後半など後半はどこから、とかはあいまいで、65~からがまあ後半ですね。世紀によって後半ってのはかなり違ってくるので・・・」
と言った人がいまして・・(先生)
世紀によって違うの!?、という疑問が出てきまして・・・
さっきの文ほんとちょっとおかしいですね・・;;
ほんとにすみません;
世紀 がわからないのではなく、世紀の中の仕切りがわかりません、といいたかったのです・・・
というよりほんとに前の文がおかしいです!すごくはずかしいです・・・
なお、私の学校は進学校で、中高一貫のため、世界史は中学生では習っておりません。。さらに、高1の時の先生がちゃんと聞いていても何を言ってるのかさっぱりな方でした・・・(私のクラス含め2クラスだけ)正味、高2から勉強している、と言っても過言ではなく・・・
高1の先生がいつの間にか進めた授業の範囲の続きから進んだため最初(前半)が全くだったのです・・・
なんかいいわけですね;;
でも、確かに○世紀に起こったことを選べ、はなかなかできないです。;;;;;;;
風邪はよくなりましたでしょうか。
ああ、もちろんそうですよね(笑)
すみません、見くびってました←
ちなみに世紀区分については中学校の「社会」で一応取り扱う内容ということになってます。僕も最近塾で教えた覚えがありますので!
さて、前半がどうの、後半がどうのというお話で先生によくわからないことを言われた、ということですが。
いったいどういうつもりでそんなことを口走ってしまったのか、その先生にお尋ねしたい気分ですね。
「前半」とは「前後二つに分けた前のほうの半分」です。
サッカーの試合が90分なら「前半」は最初の45分ですし、「後半」はそこから差し引いた残りの45分です。
「世紀」は100年単位ですから、100-50=50で前半と後半はそれぞれ50年ずつになります。
こんなことは当然ですよね。
英語の論文でも、「前半」は"the first half century"と表現されますから、この尺度は東西共通といってよいかと思います。
もし本当に「世紀によって後半ってのはかなり違ってくる」のだとすると、世紀ごとに「前半」「後半」を覚えなければならないことになります。
果たしてセンター作問者委員会や歴史学者の大半はそう考えているのでしょうか?
……と、その先生に訊いてみてはどうですか。笑
世紀ついでで、受験の際に役立つテクニックをひとつ!
もちろん「世紀」というのは年代を単純に区切っただけのものですから、特に何か重要な意義があるわけではないです。
ただ、中にはとても特徴のある、「~世紀といえばコレ」というような場合も存在します。
たとえば、
2世紀……ローマ(帝政)の全盛期。中国の後漢との交流。
13世紀……モンゴルの世紀。モンゴル帝国が過去の歴史上最も多くの領土を獲得。
18世紀……革命の世紀。フランス革命(1789年)の勃発、アメリカ独立宣言(1776年)の起草。
19世紀……欧米列強による植民地争奪戦の激化(アヘン戦争など)。
20世紀……二つの世界大戦と冷戦。
といった感じです。
大まかなハナシなので、実際に回答に役立つかはわかりませんが、「~世紀」と言われたときに「あ、こんな時代だな」と即座にわかれば、そういった当時の時代の流れに明らかにそぐわない選択肢は除外できますよね(たとえば、「13世紀」とあるのに「モンゴルが衰退した」というような記述はヘンですよね)。
最近は「同時代世界史」と言って、ひとつの時代を取り上げていろんな地域を同時に見させる、という内容が流行っていますので、このように「世紀」「時代」という感覚で世界史をざっと見ることはけっこう大事なのでは、と思います。
長文失礼!
風邪、なんとか治ってきました;
学校行ってみたら、風邪で結構休んでました;すごく流行っているみたいです。
その後半が世紀によって違う、と言った先生は今どこにいるのやら・・・;;;65年あたりまでは前半って見るんだよ、と言われて「へ?!」となった記憶が焼きついたままどこかに行ってしまわれました・・汗
私は一応性格上理解しないと次になかなか進めなくて・・・「後半!」ときたら、「ええええっと・・・・」となっていたのでございます;
テクニックの話、ありがとうございます!!!
確かに最近模試でも同時期にここでは~ とうい問題が増えてきてるように思いました。また、何世紀、と言われて、「なんだっけ・・何が起こってるんだっけ。。」とよく悩んでいたんです;(テスト中に)
世紀ごとのまとめが必要かもしれません・・
ほんとにたくさんのご指導ありがとうございます><!
最近は「グローバルヒストリー」ってのが歴史学会でも流行りですからねー。
大まかに世紀ごとのまとめをするのはいいことだと思いますよ。
指導っていうほど大したことじゃないです(笑)
来年になればくじこさんも僕と同じ大学生なわけですし。
勉強がんばって!