goo blog サービス終了のお知らせ 

受験生のための『世界史B』

2020/4/23 もくじのリンク切れを訂正しました。

受験生のための『世界史B』―東アジア世界[(9)新~後漢]

2013-02-20 13:45:30 | 東アジア世界(中国)
 「受験生のための『世界史B』」 もくじ
 ↑ここから各項目に入れます。


 破竹の勢いの更新ですね!
 この後の更新が危ぶまれるぐらいの勢いです! 僕の中では!

 前回は新の建国までで終わりましたね。

 [新の建国と崩壊]

 ↑はい、もうすでに崩壊していますね。

 新のトップである王莽さんは、周のころの政治を理想的だとしてそれを復活させようとしました。

 でもね、700年前の政治を復活させようったってそううまくはいかないでしょう。

 結果、各地で反乱が起き、それは赤眉の乱となって新を倒しました。

 新は10年足らずで崩れてしまったことになりますね。

 [後漢の成立]

 ここまでは、前漢→新という流れで来たわけですが、新が倒れる中で劉秀という男が漢を「復興」させ、後漢を建てます。これが25年のこと。
 劉秀は光武帝としてその初代皇帝に即位しました。
 なお、「こうぶてい」という皇帝はあと(明のころ)にも出てくるので、混同のないようにしてくださいね。
 光武帝は都を洛陽におきました。

 しかし間もなく、後漢は党錮の禁(とうこのきん)に代表される官僚や学者などの間の党派争いに苦しむことになります。
 やがて、宗教結社が主導した黄巾の乱が起こり、その鎮圧という名目で各地から荒くれ者たちが立ちあがり、かの有名な三国時代を迎えて後漢は滅亡への道をたどります。

 [三国時代]

 みなさん、『三国志』大好きですよね。
 しかし、まちがっちゃいけません、みなさんが大好きなのは『三国志演義』のほうでして、オリジナルの『三国志』は好きなはずがないです(笑)
 というのも、『三国志』は陳寿(ちんじゅ)という後代の人による歴史書(全然おもしろくないよ)で、『三国志演義』のほうは羅貫中による物語だからです(こっちのほうがおもしろい!)。
 ゲームの「三国無双」なんかはもちろん『三国志演義』にアイデアを得ていますね。

 あのゲームでも黄巾の乱やら洛陽やらが登場するでしょ!
 赤壁の戦いでの諸葛亮の奇計や長坂の戦いでの関羽や張飛の活躍は、だいたいが創作です。


 さて、三国時代は文字通り中国が三国に分かれて覇を争った時代なのですが、
 
 ① 華北~華中を支配した曹操
 ② 四川など一部を支配した劉備(りゅうび)の
 ③ 華南を支配した孫権

 に分かれます。
 このうち、やたらと英雄視されるのは蜀の劉備ですよね。
 関羽や張飛といった英雄たちを従えている劉備がヒーローで、一方魏の曹操は悪役、みたいな描き方が多いです。

 何故でしょう?

 まず、のちに曹操の子の曹丕(そうひ)は後漢から皇帝の位を譲り受けます(後漢の滅亡)。
 また、「蜀」の正式名称は「蜀漢」といいます。
 
 えーとつまり、蜀は「漢」の系譜を受け継ぐ国、という設定なのです。
 のちの歴史から見れば、漢というのは正統な中華の国。それに対して曹操(曹丕)はその漢の皇帝を廃した侵略者。
 
 そんなの、蜀のほうが誉めたたえられるに決まってるじゃねーか!

 おまけにこの蜀という国、かなり弱かったんですよね(笑)
 
 魏や呉に比べたらほんとに小さな弱小国だった。
 だから、ついついひいきにしたくなるのかも。

 [『史記』に次ぐ歴史書]

 前回、司馬遷による『史記』という歴史書が有名だ、というお話をしました。
 後漢ではこれに続いて、班固による『漢書』が著されました。

 ……あれ?
 
 班さん?

 どこかで聞いたことがありますね。

 ここで思い出せた人はすばらしい記憶力の持ち主です。

 教科書の索引の「班」のところを探してみよう!!


 [秦・漢帝国のまとめ]

 さて、ここまで東アジア世界の国家として、秦および漢を紹介してきました。

 このふたつは「秦・漢帝国」としてひとまとめに考えることができます。

 そのスタートは春秋・戦国時代の直後でした。
 動乱の時代を経て、皇帝は中央に権力を集中させる強力な国家をめざしました。
 始皇帝、武帝などがそうですね。
 儒学に支えられたこの帝国は、のちにいたるまで中国の国家観のモデルとなっていきます。もう、それこそ、20世紀に至るまで。

 また、武帝の時代に張騫らが西アジアまで旅をしたこともあって、東アジアと外部の世界は以前よりも緊密につながるようになりました。

 2世紀のころには、ローマ皇帝の大秦王安敦(だいしんおうあんとん)の使者がはるばる後漢までやってきた、という記録が残っています。
 これは誰のことかというと、五賢帝のひとり、マルクス=アウレリウス=アントニヌスのことなんですね。(!!)
 また、光武帝の時代には日本人(=倭人)が「漢委奴国王」(かんのわのなのこくのおう)という金印(金色のハンコです)をもらっているという記録もありますが、これは中学校の「歴史」でも覚えさせられたんじゃないでしょうか。

 つまり何が言いたいかというと、秦・漢帝国の時代は特に中国以外との地域の交流という面でセンター頻出である、ということですね!!!
 
 しっかり覚えとこう!

 ではでは! 

 ◎今日のポイント
 ・ 新を滅亡させたのは〇〇の乱、漢を滅亡に導いたのは△△の乱
 ・ 後漢の初代皇帝は〇〇帝、この時代の歴史書は班固の『△△』
 ・ 大秦王安敦とはローマ帝国の誰のことですかね?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿