パリは遠くになっちゃって

忘備録的ですがレアな情報も時々。

千駄ヶ谷 鳩森神社

2020-04-07 07:08:00 | 国内各地
おはようございます

千駄ヶ谷、鳩森神社です
ハチ公バスから見えた大きな神社はこちら




なんとなく神社の左手の道を行くと

あらま!ここかいな




そう、当時中学生だった藤井七段が将棋を指していた将棋会館

どこから出前取るのかな?あの饂飩とった定食屋は店畳んじゃったらしいけど、どこにあったかな?
などと歩いていたら





鳩森神社裏手の庚申塚
草鞋を奉納するには、近くの床屋か美容院で買うようです



床屋、美容院と言うことも昔は色街であったからかと

享保八年に作られたこの庚申塚は、千駄ヶ谷三丁目の方々により長い間守られて来ました。
塚には、祀られる猿田彦神の御神徳を得られるよう草鞋の奉納も行われています。


と、鳩森神社のfacebook にあります

猿田彦はお祭りの時、神輿や御成などを先導する天狗のお面、案内人



コロナ疲れの中、榎稲荷

2020-04-06 06:43:00 | 国内各地
おはようございます

不要不急の外出は自粛

不動産屋はいつもの通りやってますよ
物件も動いてますよ

だから、何か対策はしてるの?
自覚がないだけじゃありませんか?
百貨店まで休んでるんですよ?
あなたたちの業界が動き回って拡散してるんじゃありませんか?

不要不急、その意味がはっきりしません
今新居を見つけなければならない、転勤の人、地元以外に就職をした人、家族が増えて家が手狭になった人
どこまでが不要不急がわかりませんね

はっきり指針を示さない行政が悪いのかな?

先日の原宿から千駄ヶ谷の続き

階段を登るとお稲荷さん

千駄ヶ谷から原宿に向かうときに大きな神社が見えたのでその裏側の出入り口かと思ったら違いました 

>> 江戸時代、今でいう風俗産業に従事していた方たちの信仰を集めたとのことです。

だそうです

確かに40年ほど前には菊水旅館と言うのがあって、田舎の子だった私は修学旅行生用の旅館だと思っていました
でも、永井荷風の つゆのあとさき に出てくる待合が後にいわゆる連れ込み宿に変わっていったものだったようです

当時、待合のシステムは女給が客と待合の部屋に入る
そこで値段交渉などして、その金額をその場でまず受け取る
その現金を待合の女将さんに全額渡す
その後、部屋に戻り一本つけてもらいますか?など言って燗の日本酒に小皿の佃煮など女将さんに頼み一杯やり、と言うのがあって
帰る時に女将さんから自分の取り分を受け取る

と言うものだったようで、現代の連れ込みとは違うCFでした

今は菊水旅館もなく、はっきりとはわかりませんが、東京体育館の裏がわ辺りだったと思います

ま、そんな街でしたから、榎稲荷の昔は納得できました







階段は登らなかったんですね、いつもどおりw