みなさん
こんにちは
しばられ地蔵なんですけどね
まず、下記を
あらすじ
むかし、ある村の外れにお地蔵様が立ってござった。ある時、反物の入った大きな風呂敷包みを担いだ小僧が通りかかり、お地蔵様の前まで来ると木陰で昼寝を始めたそうな。
しばらくして小僧が目をさましてみると、風呂敷包みが無くなっておった。風呂敷包みはどこにも見当たらず、やがて小僧は大きな声で泣き始めた。その声を聞きつけて、村人が大勢集まって来た。そうして、その内、お役人達も駆け付けた。
お役人が小僧に「反物が無くなった時周りに誰かいなかったか?」と尋ねると、小僧は「誰もおらんかったが、あのお地蔵様だけは傍におった。」と答えたそうな。お役人は「それならば、犯人はお地蔵様じゃ!」とお地蔵様に縄をかけ、縛り上げてしもうた。
こうして、小僧とお地蔵様はお白州に引き出され、裁判を受けることになった。村の人々も興味深々で集まり、お白州の周りは黒山の人だかりになった。じゃが、お役人がお地蔵様をどんなに厳しく追及しても、お地蔵様は一言もしゃべりはしなかった。
何を聞いてもお地蔵様が答えないので、とうとうお役人はお地蔵様を牢屋に放り込んでしもうたそうな。それを見ていた村人達は、お地蔵様が口をきく訳がないと大笑いした。するとお役人は「裁判を見て笑ったり、野次を飛ばしたりするとは、不届き千万!罰として一人一反ずつ反物を持ってこい!」と怒ったそうじゃ。
村人達は仕方なく一人一反ずつ反物を持ってきて、お白州には反物が山のように集まった。そうして、お役人はその集まった反物の中から、盗まれた小僧の反物を探しださせたのじゃった。お役人のなかなかの名判断なのじゃった。
お地蔵様はというと、反物が盗まれるのを黙って見ているとは不届き千万、罰としてそのままにしておけということで、しばらくの間、縛られたままじゃった。こういう訳で、このお地蔵様は村人から縛られ地蔵と呼ばれたそうじゃ。
と、日本昔話にあります
行ってみました、南蔵院
昔は境内だったであろう場所も住宅街に
この道は参道だったんだろうな
民家になんかなってる
郁子(ムベ)でしょうか?
では、入りましょう
なかなか広い
平安時代、9世紀、に歌人の在原業平が隅田川で川遊びをしていたら船が転覆し溺死者も出た
業平は法華経の写経とともに業平塚として被害者を安置したのがもとで、
14世紀になって建立されたのがこのお寺
業平山南蔵院についてざっくり言ってみました