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映画・舞台の感想や俳優さん情報等。基本各種メディア込みのレ・ミゼラブル廃。近頃は「ただの日記」多し。

ジキル&ハイド/鬼狂言

2018-03-15 22:29:34 | 映画・舞台等関連情報や雑感


倫敦東部に鬼物語を生じたるその当時、同府の新富座とも称すべきライセアム座(この座主は有名なるヘンリー・アーヴィン氏にして、当座にてはシェークスピヤの時代物等を興行すること多し)に、Doctor Jekill and Mr. Hide と称する外題が現われ、偶然にも府中の大評判を得るに至れり。」〜高橋義雄「鬼狂言」


ジーキル博士とハイド氏 (光文社古典新訳文庫)
ロバート・ルイス スティーヴンスン
光文社


先日、この記事でミュージカル『ジキル&ハイド』原作『ジーキル博士とハイド氏』の日本語訳書を幾つか紹介した際に、光文社新訳文庫版の東雅夫氏による解説が非常に興味深いと書きました。
その解説に於いては、スティーヴンソンの小説のおそらく最初の戯曲化作品についても詳しく記されていますが、当時ロンドンにてその舞台をリアルタイムで観た人物の観劇記も復刻収録されているからです。上で引用したのはまさにその記事の冒頭部分。ジキル博士の英語表記は正しくは「Jekyll」、またハイドは「Hyde」ですが、上の文章の原文に従いました。とは言え「二人」の名前が「kill」「hide」の隠喩となっていることも明白ではあります。
これを書いた高橋義雄氏(1861〜1937)は、時事新報の社説記者を経て欧米に留学。帰国後は三井財閥の重役、また茶人としても名高い人物だったそうです。詳しくは Wikipedia をご覧ください。
氏がジキル&ハイドを観劇したのは、その英国留学中の1888年秋のこと。「鬼狂言」と題された文章は帰国後1890年に上梓した『英国風俗鏡』に収められているそうです。

東氏の解説によると、その戯曲化作品はトマス・ラッセル・ハリソン脚本、リチャード・マンスフィールド主演により、1887年5月に米国ボストンで初演。全米ツアー公演の後、1888年8月からロンドンで上演されたそうです。
特筆すべきは、この初の舞台化作品に於いて既にジーキル博士の恋人役の女性が登場し、また彼女がダンヴァース・カルー卿の令嬢であるという脚色がなされていたということです。これは後の映画化・映像化作品、またミュージカル『ジキル&ハイド』に於いても概ね踏襲されていますが、ハイドが執着する酒場女(ミュージカルに於けるルーシー)がいつから登場するようになったのか、最初の舞台版からそれに類する役が存在したのかは、自分には判りません。

以下、再び「鬼狂言」より引用。高橋氏はリチャード・マンスフィールドのファーストネームを終始「チャールス」と誤記していますが、それはそれとして──

舞台上にてはこのドクトル・ゼキルがミストル・ハイドに変化するその早変わりの妙なること。チャールス・マンスフィールド氏が米国俳優中に於いてその名を得たるところにして、背の低く獰猛なる鬼が、ランヨン国手の家に来たりて、本身たるドクトル・ゼキルに立ち返る時は、その獰猛なる顔に手をだに触れず、ただコップの水を呑み、屈みたる腰を立て直す間に、奇なる哉、妙なる哉、この獰猛なる鬼は、慈善温厚なるドクトル・ゼキルと変ずるは、ソモ如何なる奇術にや、見物人もほとんどこれを知ること能わず。

ジーキル博士とハイド氏を別の役者が演じるのではなく、同じ役者が演技(またはメイク)によって変貌するという演出も初の舞台化作品から始まったことだったのですね。
リチャード・マンスフィールドのWiki(英語版)には、その変貌ぶりを伝える写真も掲載されています。→こちら

ところで「鬼狂言」冒頭の文中の「鬼物語」なる言葉。これが何を指すかと言うと、先日もちょっと触れたように、同じくリアルタイムでロンドンを震撼させていた「切り裂きジャック」事件のことなのです。

チャールス・マンスフィールドが、かかる不思議なる鬼の姿をライセアム座の舞台中に現したる時は、あたかも倫敦東部に於いて怪鬼の人を殺したる時なれば、これこそドクトル・ゼキルのごとき者が、善性分離の薬を飲みて、たちまち獰猛なる鬼となり、人を殺して家に帰れば、たちまち駆鬼剤を飲みて、元の慈善温厚なる人間となるが故に、巡査の探偵厳重なるも縛につかざるものなるべしと、一時婦女子の評判となり、当時非常の喝采を得たりしは、これまた不思議の奇遇なりと云うべし。

高橋氏は、「鬼狂言」の前章「羅生門」に於いて、事件そのものについても詳述しているそうです。

ミュージカル『ジキル&ハイド』の「事件、事件」で描かれるハイド氏の連続殺人、そしてロンドン市民の恐怖とパニックには、切り裂きジャック事件の影を感じずにはいられませんが、それはまさに初の舞台化作品を観た当時の観客たちが肌で感じていたものだったのですね。
『ジーキル博士とハイド氏』原作が出版されたのは1886年。舞台『ジキル&ハイド』が、その年ではなく「1888年9月」に設定されているのも、それがまさしく切り裂きジャック事件のさなかであったから、それを連想させる意図によると思われます。

※2022年8月追記

当ブログのこの記事で取り上げた仁賀克雄氏の著作に於ても以下のごとく言及されています。

この小説が出版されたのは1886年でジャック出現の二年前のことである。したがってジャック事件をモデルにして書いたというのは誤りである。この作品はベストセラーとなりロンドン市民の印象に残っていた。しかも当時これを劇化した芝居がロンドンで上演されていた。主演のアメリカ俳優リチャード・マンスフィールドのジーキルからハイドへの早変わりの演技があまりに巧みなので、ジャックはジーキル博士のような貴紳名士が、夜になるとハイドに変身して殺人を犯しているのではないかととの想像もあった。ジャックの二重人格説である。貴卑善悪の極端な変貌という皇太子エディやガル医師=ジャック説には、この小説の影響が感じられる。」(仁賀克雄『決定版 切り裂きジャック』第15章「切り裂きジャック伝説」p.346 本文および章題の一部を算用数字に変換しました。)

フィクションが現実に影響を及ぼした一例でもありますね。(追記ここまで)

ともあれ、先日もお伝えした通り、舞台『ジキル&ハイド』から原作に興味を持ったかたには、この解説のために光文社文庫版をお奨めする次第です。わたくしは高橋義雄著『英国風俗鏡』そのものが読みたくなりました。

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