
朝早く起きてみたら、ミサイルは飛んで来るは、イタリアvs.ドイツの「同盟国決戦」(いつの時代の話だ)はまだ決着つかないはで、大変なことになっていました。
ワールドカップの方は、延長戦も後半ぎりぎりになってイタリアが2点を入れるという劇的な幕切れでした。
そんな風に始まった本日は、ボロミア兄上がミナス・ティリスを旅立った日、そして私の誕生日でもあります。…って去年も同じことを書いてましたね。
先日TVで放送された「旅の仲間」を見直して、「なぜボロミアが指輪を奪おうとしたか」を考えてみたら、あれってかなりの部分「アラゴルンのせい」なんじゃないかという気がしてなりませんでした。
エルロンド卿の会議では "Gondor has no king. Gondor needs no king." などと言っていたボロミアですが、やがて、とにかくゴンドールの為に王様を連れ帰らなくては、という気持ちになって、アラゴルンに「一緒にゴンドールへ帰ろう」と持ちかけるのですが、当の野伏王は何だか煮え切らず、それもボロミアを追い詰める一因になったのではないか、と思えるのです。
原作アラゴルンは、モリアでガンダルフを失うまでは、ボロミアと共にゴンドールに行くつもりだったんですよね。迷いが生じるのは、ガンダルフという指導者がいなくなって、「フロドを護る」役目も自分の肩にのしかかるようになってからだった筈です。
彼は初めから「王」であることに自覚的でした。ただ、物事には順序というものがあって、一つずつ対処して行かなくてはならず、それがボロミアの考える「順序」と異なったが為に齟齬を生じ、ボロミアを破綻させて行くこととなった…
そして彼が決定権を指輪所持者に委ねたことが、ボロミアがああいう振舞いに及ぶ最後のきっかけになった、ということだったと思いますが、映画をSEEまで観ると、アラゴルンの「ひどい言葉」がボロミアを決定的に追い詰めてしまったような描き方になっています。
その優柔不断な映画版アラゴルンも、ボロミアの死によって、彼の思いを無にしない為にも「王」であろうとした…ように、「旅の仲間」ラストの時点では思えたのですが、その後「二つの塔」「王の帰還」と進んでも、相変わらずモラトリアムで、へたれで、煮え切らない姿を見ると、つくづくボロミアが気の毒になります。
あなたは中つ国すべての人や種族の希望=エステルだったんじゃないですか?
映画は映画で好きですし、最後までクォリティを落とさず(少なくとも映像や造形の上では)完結させてくれたことについては感謝していますが、アラゴルンに関しては、やっぱり原作がいい!と言わずにいられません。
ヴィゴに恨みはないけど、そもそもの第一候補だったダニエル・デイ・ルイスがアラゴルンを演じていたらどうなっていたんだろう、と考えたりもします。もっとも彼の場合、監督と意見が合わなかったりしたら直ぐ帰ってしまいそうですね。
長期間の撮影では、アンサンブルや、如何に監督のプランに忠実かが重視されるらしいし、その点はヴィゴで良かったのでしょう。
ただ、ショーン・ビーンのボロミアやオーランド・ブルームのレゴラスなどを見ても、キャスティングや俳優さんの個性が、逆に映画のストーリイ展開自体にフィードバックされることもあるんだなあ、と思います。