

晴れと言っても昨日より少し雲多め。寝坊して朝食も遅め。
洗濯の後、息子のクルマでお出かけしました。途中で娘も拾って向かった先は府中市美術館。トップ画像にも使ったこの展示を観るためでした。
アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで
往路で昼食は取らず美術館へ直行。日曜日だからか、意外にもけっこうお客さんが入っていました。モリスと言えば誰しもすぐ思い浮かべるような印刷物や壁紙、織物だけでなく、椅子やテーブル、ランプ、食器類等、様々なデザイン、意匠が目に飽きません。デザイン科やテキスタイル科の学生さんたちにもお奨めの内容です。
ミュージアムショップにはいつにも増して様々なグッズが並んでいましたが、買ったのは結局クリアファイルやチケットホルダーなど定番商品でした。
館内にはこういうバナーも。

ミュージアムカフェは混んでいたので寄らず、帰り道の街道沿いにある《バーミヤン》で遅めのお昼ごはんをいただきました。初めての店舗でしたが、料理の他に皆でいろいろなお茶を飲んだりして、気がついたら1時間以上過ごしていました。
食後は今日も娘の家の最寄駅前ショッピングビルへ。娘も疲れたと言うし、あまり買い物せずに帰途に着きました。娘を途中で降ろし、わたしを家まで送ってから、息子は自分の買い物をするため、また他に回りました。
その息子も1時間くらいで戻り、夕食はショッピングビルで買ったインドカレー&ビリヤニセット。ナンも付いていて、美味しくいただきました。
食後は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。「義盛、おまえに罪はない」というサブタイトルは、鎌倉殿こと実朝の叫びです。
ついに勃発する和田合戦。予定通り寝返る三浦義村。御所に攻め入ろうとする和田軍。政子や実衣たちと共に鶴岡八幡宮に避難する鎌倉殿。御所には火がかけられ、史実では大江広元や三善康信の館なども炎上、あわや鎌倉は火の海になりかけたそうです。
二日酔いで戦に出遅れた泰時。初や鶴丸(平康頼)、弟の次郎朝時らに発破をかけられ(初には水をかけられ)、ようやく向かった戦さ場では大活躍する。幼馴染み二人や弟との気の置けない関係性が良いですね。朝時が父には勘当されても兄・泰時へのコンプレックスがあっても、兄弟仲が悪いわけではないというのも救いです。朝時の言動をヒントにしたファランクスには「おおっ」と胸躍りました。
義盛に義時への怒りはあれど、「羽林」こと実朝との信頼や忠節、友情に変わりはない。そこを利用し、説得のためと称して鎌倉殿を陣頭に立たせた上で、義盛を騙し討ちにする義時。義村の号令で(これもひどい!)放たれ降り注ぐ矢の雨に倒れ、無念の死を遂げた義盛を前に「これが鎌倉殿に取り入ろうとする者の末路でござる!」と言い放つ。義盛のこの最期は、義経編で描かれなかった弁慶の立ち往生のようだと言われていました。
その後、戦場を去る義時の表情が今にも泣きそうで悲しげで……とも言われていましたが、あまり同情する気にはなれません。やってることは立派な(?)悪人ですからね。
父の所業に怒りを燃やす泰時は、ファランクス作戦は弟によるものと父へのとりなしをして、朝時に或る意味恩を売って味方に付け、新たなる鎌倉を作ることを心に期したように見えました。そして鎌倉殿こと実朝もまた——
こんな無残なことはもう沢山だ、安寧の世を築くためこれからは自ら裁可を下す、鎌倉を束ねるのに強い力が必要だと言うなら都の上皇様に頼ると、義時に向けて宣言する実朝。後鳥羽院にとっては、鎌倉殿も利用できる手駒でしかないと言うのに。義時の暗い眼差しは、その危険性がわかっていたからであろうか。
そして和田義盛の死から時を置かず、鎌倉は大地震に見舞われる——
今回は和田義盛と巴の夫婦愛にも泣かされました。義盛亡き後、その着物をまとい、木曾殿に仕える女武者であった頃の鎧を身に着けて戦場に出る巴。「我こそは忠臣和田義盛の妻、巴なるぞ!」という名乗りがカッコ良く胸打たれました。その後の彼女については、本編後の「紀行」で、出家して木曾義仲、和田義盛の菩提を弔いつつ91歳まで生きたとの伝説が紹介されます。それだけが今回ほとんど唯一の救いでした。
あと、鎌倉殿が御所に忘れてきた「亡き義朝公の髑髏」を取りに行った大江広元が、文官と思えぬ無双の剣豪っぷりを見せるシーンは、笑っていいのか素直に感嘆すれば良かったのか判断に苦しむところです。
大河の後は息子に以前録画したスペシャルトークショーを見せ、それからEテレ【古典芸能への招待】で二世吉右衛門追善公演の模様を観ましたが、大播磨と共に失われたものの大きさにため息が出るばかりです。