森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

アイヌ民族

2022-06-24 08:00:25 | アイヌ民族

 

     アイヌ民族・・・北海道

  私は札幌に移住してすでに48年、サラリ-マン時代の転勤も加えますと、丁度50年

になります。関西生まれの関西育ちですから、身内のものも含めて、アイヌとは全く縁

もないものです。

 その縁のないものが、一つの資料に出合って、アイヌに興味を持ちました。いわゆる

興味半分かも知れませんが、手許にある資料から断片的になりますが、ここに紹介いた

します。

 その最初に、問題 北海道はいつから日本の領土になったのでしようか?

回答1、いわゆる「北方領土」でさえ、「我が国の固有の領土」というくらいですから、

    北海道は当然「我が国固有の領土」で、ず--っと前から日本の領土である。

回答2、明治時代以降からである。

 

 こういう問いが紙面にありました。皆さんはどちらだと思いますか?

正解は2なのです。多くの人は、昔からず--っと日本の領土と思っていたのではないでし

ようか。資料によりますと、江戸時代の学者の林子平が「三国通覧図説」で、その当時、

「「蝦夷地」と呼ばれた北海道は外国と認識されておりました。ちなみに「三国」とは、

琉球、朝鮮、蝦夷地を指しています。だから、現在の北海道函館地方で江戸時代に管理

していたのは、松前藩です。その「松前藩のアイヌへの収奪が厳しいから、アイヌはこ

のままではロシアになびいてしまう。北海道の開拓を急がないとロシア領になってしま

う」という危機感がその当時の支配者(江戸幕府)にあったのです。裏を返せば、自国の領

土になっていないものと認識していたのです。

 しかし、我が国の小・中学校の社会科の地図には、古代から日本地図の中に北海道が

掲載されていて、考えることもなく、「北海道は日本の領土の一部」と思っていました。

というより、いつから北海道が日本の領土になったかなんてことは、考えてもみなかっ

たこではないでしようか。 

 

  私が最初に北海道に一歩踏み出したのは、今から50年前の10月でした。それは、北海

道開道100年記念の祝賀会が終った直後でした。今日まで、北海道の由来とか、原住民であ

ったアイヌ民族の事は、全くといっていいほど、考えもしていなかったのです。日本の最北

端の大地でまだ未開拓地だという意識しかなかったのです。次回はアイヌ民族がどのような

扱いをされてきたかについて、述べたいと思います。0

 

 

 

 

 

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60年前の奇跡 ------テニス試合における感激と苦痛(中学時代)

2022-06-23 07:49:07 | 思うまま




    60年前の奇跡-----テニス試合における感激と苦痛(中学時代)

  正式には、今から63年前の中学校における、部活としての軟式デニスの各種試合の

結果には、感激と日々の苦痛が忘れられない、貴重な経験であった。

  この学校は、兵庫県の淡路島にある洲本市立州浜中学校である。テニスには硬式と軟

式の二種類があり、現代では、硬式テニスが主流になっている。あのプロ選手の錦織選手

は硬式テニスである。私の中学校時代には部活、クラブ活動は軟式テニスが主流だったの

である。

  私は、8歳上の兄が高校で軟式テニス(これからは、総てテニスと呼ぶ)をしていた関
係で、特に勧められたわけではないけれども自然な形で中学校に入学した直後から入部し

た。それまで、兄とは年が離れていたこともあり、一度も一緒にしたり、教えてもらった

ことはなかった。

  三年間の各種の試合において、最後の試合に奇跡が起こったのである。各種の試合と

いうのは、地元の洲本市内のもの、そして、予選を通過すれば、兵庫県の大会がある。そ

して最後の大きな大会は近畿地域大会である。つまり、兵庫県、大阪府、京都府、奈良県、

滋賀県、和歌山県の県,府6地域での予選を勝抜いた選手の試合である。全国大会は当時は

なかった。
  私は、所属している学校でも二番手という実力は卒業するまで、変えることが出来なか

った。それでも、兵庫県大会でベスト8にくらい付くことが出来た。そして、三年生の最後の

年に兵庫県大会で3位までに入れば、近畿大会に出場できるわけだが、これまでの成績ではと

ても叶わぬ実力であったのです。

  でも、何と奇跡が二度訪れることになる。まず、兵庫県での大会において、ぎりぎりの3

位になり、近畿大会に出ることが出来る結果が得られた。このことは学校の関係者や家族も誰

一人予想していなかったのです。私にとって、これがまず、一つの小さな奇跡です。そして

10月に開催された近畿大会がいよいよ迫ってきていた。

  近畿大会においては、これまで、兵庫県から選ばれた選手が良い成績を上げていた。他の

地域の実力は全く情報がなかった。試合のプログラム(組み合わせ)はベスト8まで第一シ-ドか

ら与えられていた。当然、私はシ-ドなしで相手もシ-ドされていない選手との試合が3試合続

いた。3試合続いたということは、2試合に勝利したからである。その後は、いよいよ実力のある

と言われているシード選手やそれらに勝ち進んできた選手との試合になった。

  もちろんこの中学生最大かつ最後の大会で優勝しようなどという大それた目標は全く持てな
かった。とにかく、一試合でも多くやりたいという思いであったと思う。それが、あれよあれよ
というまに、決勝戦まで行ったのである。相手は奈良県の選手である。事前に彼らの試合も観察
することはできず、その実力は白紙の状態で決勝戦に臨んだ。たとえ負けても、準優勝というこ
とで胸をはって地元に帰ることができるという気持もあっただろう。

  この決勝戦で、私は一つの作戦を考えていた、それに徹して臨んだ。それは、相手側に取り
にくい強いボ-ルを撃てばいいのですが、その実力に自信がないので、その逆に、相手の打ちや
す緩やかなボ-ルを根気よく打ち返そうと考えて、かっこは良くない姿でのテニスであったと思
う。当然に決勝戦まで勝ち進んだ相手の選手であるから、その実力は相当のものがあって、こち
らが返した緩やかなボ-ルを強く打ち返された。前半は相手の強打に太刀打ちできなく不利なカ
ウントに追い込まれてきていた。

  それが、不思議なことに、こちらが初めから緩いボ-ルに徹していると、徐々に相手がミス
をし始めた。その時の思いは、相手も中学生であり、まだ、精神的にも充実していないだろう、
チャンスボールが続くと、却って力みが出て、肩に余分な力が入り、ネットに当ったり、オ-
バ-になるなどのミスがでるものなので、それを期待した。それは誰でも解っていることであっ
ても、ミスの確率が高くなる。それが中学生としての最大の大会であるならば、よりそのことが
顕著にでてしまう。その試合の結果は、観客の予想とは裏腹な結果になった。つまり、勝って優
勝してしまった。
  決して実力で勝ったとは到底思えない試合運びであり、我ながら呆気にとられたというのが
正直な思いでありました。

  そんな奇跡的な裏では、苦痛を感じていたこともある。軟式テニスは前衛と後衛のダブルス
での試合である。つまり、私が一人で優勝したものではない。たわしは後衛であったが、前衛の
相棒がいた。この相棒とは3年間一緒だった。実はその相棒との人間関係というか、大きな窮屈
さを常に感じながらの日々の練習であり試合でありました。相棒の人は、気持ちはやさしい面も
ある半面、私がミスをすると鋭い目で睨みつけらた。気の弱い面がある私は萎縮気味の苦痛を感
じていたのです。相棒とは、同じ高校に進んだ時に、相棒を離れることになった。

  60数年たった今、改めて思うと、そのような緊張するような相棒であったのが、却って練習
に励み、ミスをしないように努めた結果であったかも知れないと思うこともある。遠くから相棒
であったK君に感謝したい、お互いに消息は分かり合えていないが今でも元気でテニスをやって
いるだろうか。私は、71歳になった日から市の体育館で週一回硬式テニスをしている。 0

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日本の家屋

2022-06-21 07:56:02 | 日本の心




       

       

       



    



                            日本の心


                    ①日本の家屋

                日本の家屋は木造である、ということですと最近は団地やマンション、それに軽量鉄骨構造や
              パネル構造の家屋が増えてきていますがねそれでもやはり、今でも日本の家屋は木造です。

                いまでは壁を立てて間仕切りする家屋が増えていますが、以前はそうではありませんでした。壁
              は少なく、間仕切りするのは紙でできた襖や障子です。それらを開け放つと奥まで見通せるような具
              合で、大変開放的な構造になってします。こんなふうですから壊れやすい、燃えやすいのです。

                 一方、欧米の家屋の基本は石造りで、堅牢です。容易なことでは壊れません。石を積み上げた
              構造ですから、当然外部とは遮断され、密閉性の高いものになっています。

                中国の家屋も木造のものもありますが、厚く土を塗り込めた壁を立てて堅牢性を確保しています。
              地域によっては煉瓦造りが基本というところもあります。密閉性は高く、日本の家屋のように開けっ
              広げではありません。

                壊れやすく開っ広げな日本の家屋は、人間同士の信頼関係がなくては成り立たない、という見方も
              あるのです。当然に欧米に比べて石が少ない、森林が多かったためにその木材を利用することが、手っ
              取り早いという理由もあるでしよう。

                我が国の建設業特に戸建ての会社や大工さんが多くおられます。一人の人が将来に渡って、一軒家

              を立てることを最優先して、大方の人はそのロ-ンの返済に追われます。そして40年50年と立って、そ

              の家を事も立に引き継げばいいのですが、そのためには可なりの資金を投じてリホ-ムしなければなり

              ませんので、いっそ建替えをされる家も少なくありません。このように一番生活に必要な住まいにどの

              世帯も大半のお金を使わざるを得ない生活環境が続いています。これを何とか、たとえ100年程度持つ家

              が建てれば、日常の生活で使うお金も随分と違ったものになるのではないだろうか。

             

              

                
       

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現代の悟りを得るには---荒修行にあらず

2022-06-19 08:22:26 | 思うまま




     現代の悟りを得るには---荒修行にあらず

  ある経営の神様といわれていた人が、「現代の修行は、難行、苦行のような荒修行
をしなくとも、通常の仕事、業務を通じて悟りを得ることができる」と言われた。特種
な僧侶とかは別にしての話である。この話を聞いて30歳手前の時に、仏門に入うかと
なんとなく感じていた時なので、多くの人々のように普通の社会人として悟りをひらけ
るのであれば、わざわざ特殊な境遇にならなくともよければそれに越したことない。

  もちろん、普通の社会人として普通程度の仕事ぶりでは悟りなどえられることはな
いだろう。どんな業務においても、その真の目的を徹底的に追及しつつ、その奥行きを
突き詰めていかねばならないだろう。たとえば、職人と呼ばれる仕事は数多くあります
が、40年、50年以上もその道一筋に精進してやって来られた方は、みんな同じこと
を言われます。「やってもやっても、この仕事、この業務の奥行が深く感じるばかりだ」
というのです。つまり、これで悟った、行きつくところまで到達したと思っている間は
まだまだ、道半ばということになりますね。

  ただ一つ、いえることは、苦しいこと、悩ましてこと、辛いことなどが発生してし
まった時に、それを引きずらないこと、持ち越さないこと、取りこししないことができ
ればある程度のレベルに到達していると考えてもいいのではないかと、思ったことがあ
る。これすら、実生活において日々発生してくる問題に対して適切に考え方を処理して
いくことは容易ではない。ついつい引きずってしまうことが多い。

  でも大切なことは大きな目標を持つべきだと若者には希望するけれども、高齢者に
大志にはそんなことは求めもしないだろう。要は出来るか出来ないかではなく、目標を
もって、到達すべきところを確実に自覚して日々を過ごすことが、我々高齢者にも求め
られていることではないだろうか。 0



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アスリ-トの嘆き---もっと苦しんでいる人達が多数いる

2022-06-17 08:16:05 | 思うまま





  アスリ-トの嘆き----もっと苦しんでいる人達が多数いる


  テレビ等の報道できになるものがある。それはアスリ-ト達がコロナでオリンピックの延期と
今後の環境が解らず、また、練習もできない等の嘆き的な報道が毎日のように目につきます。

  たしかに彼ら、彼女たちにとっては折角手に入れたオリンピックなのだから、悩み苦しむ思い
はわかります。しかし、全国には、失業して収入が激減してしまった、その上コロナの恐怖が迫り
つつあると、生きていくのが大変苦しい人たちが大勢おられます。その方々があのアスリ-トの嘆
き報道を見ていたら、どんな思いになるだろうか。苦しさに輪をかけてしまう人たちもいることだ
ろう。

  誰に対しても苦しんでいる人に思いやりと理解をすることは大切なことです。でも、恵まれた
立場である筈のアスリ-トの嘆きを報道するのは、よほど控え気味にすべきだと思うのです。
アスリ-トの中には、国民に対して自分の立場をわきまえて、苦しんでおられる国民の皆様の励み
に少しでもなればという報道もあります。

  あまり暗い報道ばかりでは却って、国民を暗くしてしまう要素の一つになりますが、この新型
コロナ禍の時代においては、一番苦しんでいる国民の皆さんの立場をよくわきまえて報道してもら
いたいと思っています。  0



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