カルチェラタン

連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして仆れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する。

ボディー・スペシャルII

2008年07月29日 | お出掛け
前々回と前回からシリーズでお送りしています。もう終わります。

こんばんわ。土曜の夜の中野富士見町の男。桑田(不死身、富士見町だけに)佳祐です。

前回のブログに書いたように胃カメラをやった。胃カメラが終わってすぐに胃の入口から出血していることが痛みの原因だと言われて点滴。

点滴も初めてで、もちろん針を刺されて、結局、昨日からブスブスと三カ所も注射針を刺された。ちなみに音はブスブスでも、看護婦はブスじゃなかったんだけどね。

点滴終了後、先生の診察。痛みの原因は胃の入口での出血で、どうやら大事には至らなかったようだ。薬で何とかなるらしい。というか、何とかならないと嫌だし。

それから、胃カメラ中にも先生が言ってたのが何となく聞こえたんだけど、胃の中にポリープがあった。腫瘍性ではなく、炎症性で良性らしい。

ポリープについて不安になったので納得できるまで先生に質問攻めにしたら「5万人の胃を見てきたから大丈夫だ」と言われた。やばいのは本当に色でわかるらしい。でも、学生のうちはともかく、35歳を過ぎたら定期的に胃カメラはやるべきだと言われた。

全てが終わった頃に母親が筑波到着。俺のことを心配してくれてたのか、単につくばエクスプレスに乗りたかったのかよくわからないけど、俺の胃のことは気にせず、自分の食べたいものを選んで昼食。3時間ほど長居して母親はとんぼ返りしていった。

こんなことを言うのは格好悪いけど、自分は学生だから世の中の人からは忙しいとは思われていないだろうし、自分でも忙しいとは思わないようにしていた。ストレスも感じているつもりはないし、感じているとは思わないようにしていた。何の謙虚さもなくやたら自分が忙しいやら何やらとアピールする人は嫌いだし。

でも、胃カメラが終わったときに出血の原因はストレスの可能性が高いようなことを言われて、何だか久し振りに他人から本気で同情された気分になって少し嬉しくなった。

ということで、『胃キャメラ・スペシャル』と題して長々と送りしました。ありがとうございました。とりあえず早く元に戻って豪快に御飯を食べたいです。ということでね。よろしくどーぞー。

マチルダBABY

2008年07月29日 | お出掛け
前回からシリーズでお送りしています。まだ続きます。

こんばんわ。土曜の夜の出血大制服。桑田(胃カメラから写メール)佳祐です。

前回のブログにも書いたように胃カメラをやると月曜に言われて、明けて火曜。朝から胃カメラ。

昨日の血液検査に続いて今日も注射針を刺された。胃と腸の活動を止める薬。胃カメラは比較的に痛みが少ないとされる鼻からのものを使うために鼻の穴からも麻酔薬を入れた。

内視鏡室に入って胃カメラの準備。看護婦さんに「29歳の大学院生なんですけど、この歳で胃カメラはやばいですか?」って聞いたら、「20歳前の人もこの前やりました」と返された。結論、多分2人ともやばい。

先生が入ってきて具合を聞かれて、「昨夜みそ汁を飲みました」と答えると、「それなら大丈夫じゃないの?」と言われたので、さらに「大丈夫だと嘘をついて胃カメラ止めたい気持ちでいっぱいです」と答えて内視鏡室内に笑いを起こす。桂枝雀の『緊張の緩和』だな。

準備が整って胃カメラ開始。ところが鼻からは穴の奥にある骨が邪魔で胃カメラのチューブ入らないことがわかって、鼻血ブッシュ大統領になったまま口の麻酔薬を飲み直して口から胃カメラ。

精神的にも肉体的にも世界最弱なので、最初の方は痛いのを我慢しながら目を閉じてしまって、目の前のモニターに中の様子が映っているのを全く見ていなかった。恥ずかしいけど「おえー」って何回もなってた。もうどうでも良くなってた。鼻血ブッシュだし。

途中から少し見ることができて、それでも先生が発してる単語だけはわかるけど、パニック状態になっていて、どこを指して何を言いたいのかよくわからないまま終了。どうやら、胃炎でも、寄生虫でも、胃潰瘍でもなかったようだ。

鼻からの胃カメラは喋れるらしいから、本当は寄生虫がいなかったときのために「カブト虫がいなくて良かったです」って言おうと準備していたけど、口からのものだったし、余裕もなくて言えなかった。

そんな、『笑いで金魚が救えるか』をテーマに高速バスの往来を眺めるつくばセンターより、頓珍漢のモモエがお送りしました。ということでね。よろしくどーぞー。

真夏の果実

2008年07月28日 | お出掛け
自分の中では大きなニュースが起こったので、久し振りにスペシャル版シリーズでお送りします。

こんばんわ。土曜の夜の内臓ダジャレ百連発。桑田(肺炎か胃炎かどうかは言えん)佳祐です。

週末から何かを食べると胃の辺りが痛くなる症状が出つつあって、日曜に夜食を食べたら嘔吐して、ベッドに入ってからも寝たのかどうなのかよくわからないぐらいずっと痛かった。ようやく朝方に痛みが治まって、学生であることを言い訳に昼まで寝てた。

月曜の昼に起きてから親に電話したら内科に行くよう言われて、とりあえずヨーグルトと豆腐ぐらいなら大丈夫だろうと大学の研究室で食べたら、やっぱり痛くなり、診察時間前だけど我慢できなくて掛かり付けの内科へ。

内科の先生は、大学の俺の先生みたいに態度がでかくて、言葉遣いもやや粗いが、腕は確かだと思うし、そんな態度が余計に信頼感を倍増させて、もう10年以上もお世話になってる。

内科へ行くとドアがまだ閉まっていて、前のソファーに座っていたら、老人を連れた家族が来たので椅子を譲った。席はあと2つぐらいあったけど、あほだから全て家族に譲ってしまった。胃が痛くて仕方がないので、医者の前だからどんな姿も許されるだろうと勝手に解釈して床に座ってた。

診察が始まって超音波検査やら血液検査を経て、翌日に胃内視鏡検査(胃カメラ)をやると言われた。思わず「おじいちゃんがやるものじゃ?」って聞いてしまった。半ば笑わせようとしたんだけど。先生も看護婦も笑ってたけど。インフルエンザのときもそうだったんだけど、なかなかの非常事態でも笑いを取ろうとする俺はあほだ。

それにしても、この歳で超音波検査はもちろん、胃カメラなんて無縁のものだと思っていた。大学のスポーツ愛好会でも下手くそなりに十分やれてると思ってただけに、強靭な身体だと自惚れてた。

ちなみに、先生の予想では胃炎か寄生虫で、急だから胃潰瘍よりも大きな病気は絶対にありえないそうだ。少し安心したけど、胃カメラという単語だけで十分にプライドが傷つくぐらい凹んだ。

とりあえず夜は親、友達、後輩にメールしたり電話をした。親を除いて1人ぐらい女性にメールして同情してもらいたかった。将来的にも、やっぱり家族とか恋人の存在は絶対に必要だと思った。男仲間に甘えると言っても限界があるからね。ホモになっちゃうからね。

そんな、俺の非常事態とは無関係に高速バスが往来するつくばセンターより、頓珍漢のモモエがお送りしました。ということでね。よろしくどーぞー。

鬼の四機

2008年07月27日 | スポーツ愛好会
出身県でも母校でも何でもありませんが、高校野球ではPL学園を応援しています。でも、今日の県予選決勝で負けました。基本的にPLが出ない甲子園は観ません。と見せかけて、少し観たりもします。

こんばんわ。土曜の夜の元祖・英語禁止ボーリング。桑田(地上波への挑戦)佳祐です。

土曜日、久し振りに夜の東京駅の八重洲南口で30~40分ぐらい高速バスの往来を眺めた。現実逃避したい毎日だけど今はなかなかMAXにしたいときなのかも。

深川から次々とやってくる夜行バスの車両が八重洲通りから外堀通りに入るところ、ロータリーに入って誘導員の指示に従って乗場に並ぶところ、発車するときに再び外堀通りにグァーンって曲がっていくところ、あえて言えばこの3つの瞬間が好きだ。結局のところほとんどなんだけどね。

日曜日、大学のスポーツ愛好会で一緒だった後輩のOB2人がアタック25に出た。後輩の面倒見が最悪な俺の中ではまぁまぁ仲の良い2人だったので少し誇らしいところもある。

ひとりは解答者で惜しいところまで行ってた。もうひとりは応援席でどっしり座ってた。番組の雰囲気のせいか、2人とも何だかよそよそしい表情だったのが笑えた。

知り合いや仲間がどんどん新しい世界に挑戦していくのを見るのは何だか羨ましい気持ちや悔しい気持ちになったりもする。自分がいつまでも筑波で学生をやっているからだと思う。

そんな、いつまで経っても筑波から離れることができない俺はスポ愛の夏休みの活動を仕切って6年目。この夏の活動も今日で半分が終わった。何だか今年は活動の進行がスムーズだ。1人だけ歳が大きく離れた俺が後輩たちにとっては恐怖なのか。それとも後輩たちが単に素直なのか。

夜は色んな誘惑に負けて、引き続きスポ愛の後輩とボーリング。1ゲーム目から11歳年下の後輩と張り合う自分に酔う。変なプレッシャーを与えて1ピン差で勝って逆に申し訳なく思う。

そして、2ゲーム目はボロ負け。後輩に負けてもあんまり悔しくならないほどプライドが低い自分にも酔う。

そんな、いつまでも遊んでいたい気分の国道354線より、頓珍漢のモモエがお送りしました。ということでね。よろしくどーぞー。

五位堂

2008年07月25日 | AEON
カルシウム不足だと強く叫ばれる昨今。いかがお過ごしでしょうか。プッチンプリンはプッチンしないで食べます。おかまバー頓珍漢のモモエの齋藤源サブロー・シロー・マサヒコです。

英会話のAEONでは、同じクラスに新しい人が来たんだけど、俺の隣に座って、見た目が俺よりは明るいけど一般的には暗めで、何だか疲れたときに一人で発したくなるような言葉をやや大きめに連発気味だから授業前から既に非常事態宣言を発令。

ところが先生が来た瞬間に急に明るく英語で話し出して『欧米か!』。しかも遅れてきた何人かのために椅子をずらしてスペースを空けようとしているのに『不動の四番』的に微動だにせず。

その人は女性で、基本的に俺は『地球と女性に優しく』をテーマに生きているとは言っても、「あ、この人さむいな」と思って敵対心を燃やし始める。燃やす分だけ二酸化炭素排出量も増加するから、女性だけでなく地球にも全く優しくない。

同じクラスには愛想が良くて面白い男の人がいて、その男女が授業開始後の簡単な世間話で話して盛り上がり始める。他の人は笑っていたけど、俺は全く笑わなかった。面白くないから。そういう状況も面白くないし、話の内容も面白くないと思ったから。

その女性は授業中も質問しまくってて、そういう姿勢だけなら何とも思わないけど、その前までの態度が気に入らなかったから、質問のたびに授業が止まることで余計にイライラする。

今日のテーマに沿った最後の練習をする前に、例をみんなで考えるんだけど、今日のテーマは『喜びを表現する』で、その男の人が『離婚して幸せ』という例を挙げる。

絶対に誰もが「え?」って思っただろうけど、普段から面白おかしいことを言う人だから、事が進むにつれてみんなも笑い始める。

それだけなら、いつものことなんだけど、今日は特別にイライラしていたから、逆に何でそんな変な例を作りたがるのか理解できなくなって、いよいよ俺のイライラも頂点に。

本当は前のスピーチの回でも余計な話で盛り上がりだして他の人がスピーチする時間を無くした経緯があるから、その男の人に対しても個人的には金魚注意報なんだけどね。

他に挙がった例文でもその男の人がやたらと変わったことを言おうとしていたから、「簡単な例の方がいい」と大きめの声と先生を誘導して簡単な例を作成。あえてイライラしている風を装って言ってやった。というか本気でイライラしていたんだけどね。

練習前の先生の手本で、俺が先生の相手として前に出ることになって、先生が離婚ネタを使ってきた。教科書に従えば賞賛するようなことを言ってあげるはずなんだけど、頭に来てたから「離婚は必ずしも幸せであるとは限らない」と言い返した。その女性に端を発したイライラは、その男性、続いて先生へと飛び火。

本当なら「それが一般論だと思うなよ」とか、「お前はそうやって自分の離婚を正当化しようとしているだけだ」とか言いたかったが、英語がわからないから寸止め。たまには英語ができない方が良かったりもするね。

今日は、最近みんなで撮った写真をプリントして配るつもりだったんだけど、実際に同じクラスの人とはそんなに仲がいいわけじゃないから配るときに緊張してしまう。何でこんなことでも緊張するんだろう。

それにしても最近イライラしすぎだなぁ。別に格好付けるわけではなく、どちらかと言えば自分の感情は行動で表現したいと思っていて、あんまり口には出したくないと思っていた。

でも、行動だけだとわかってもらいたい相手にわかってもらえないことも多いから、もうちょっと簡単に口に出して伝えていこうというキャンペーン中で、それで研究室で後輩を叱ってみたり何なりとしているんだけど、もしかしたら単純にカルシウム不足なんじゃないかね。毎日骨太を飲もう。ということでね。よろしくどーぞー。

松本紳助

2008年07月25日 | テレビ
英会話のAEONで、アメリカへ帰る先生を囲んで一緒に撮った写真をプリントして、みんなに配るときに物凄く緊張する俺はいったい何なんでしょう。

こんばんわ。土曜の夜の阪和ライナー堺ゆき。桑田(半笑いな酒井美紀)佳祐です。

録画しておいたドリームマッチを観た。今回は若手によるものだったけど、通常のドリームマッチのときも、繰り返し観たくなるコンビがあって、今回は後藤・河本組。でも、彼らは最優秀コンビに選ばれてたから、何か逆に彼らを何回も観たくなったって言うのが恥ずかしかったりもする。

同じ時間帯に普段やってるリンカーンのときも含めて、何となく注目してしまう瞬間というか、個人的に視聴率がMAXになる瞬間があって、それは松本と大竹が絡むときと、矢作が松本に突っ掛かるとき。

そんな、最近はJUNK SPORTSの浜ちゃんに注目している自分の部屋より、頓珍漢のモモエがお送りしました。ということでね。よろしくどーぞー。

みゆきファルコン

2008年07月24日 | 筑波大学
社会人の夏休みは少ないな。ざまぁみろ。大竹一樹です。
左足前十字靭帯断裂。三村マサカズです。

学類(学部)で同期だった友達と偶然に出会った。しかも2人。ひとりは博士課程を休学してJAICAで海外赴任していて、先週から筑波に戻ってきていたそうだ。もうひとりは他大学の大学院で博士号を取って筑波の研究所で働いているそうだ。

2人が筑波を離れている間もずっと筑波にいた俺は何だか無駄な人生を送ってきた気分だ。2人が見聞を広めてきたのに対して、俺がその間に蓄えることができたものと言われたら高速バスつくば号の変遷についての知識ぐらいだろう。

そんな、LED点灯虫にリニューアルした自転車のライトで通ってみたい真っ暗な宇宙センター裏より、頓珍漢のモモエがお送りしました。ということでね。よろしくどーぞー。

高蔵寺

2008年07月21日 | お出掛け
どちらかと言うと、阪神のレプリカユニフォームを買うのが約15年ぶりということで、他人から「そこまで阪神ファンじゃないんだね」と上から目線で言われたとき、「じゃぁ逆に『桜樹ルイ』クラスじゃないとエロは語れないのか?」と問い返したくなるタイプの頓珍漢モモエです。

夕方に筑波大学から高速バスに乗車。見切り発車的にあることに備えることを言い訳に、阪神タイガースのハイクオリティーレプリカユニフォームのホーム仕様を購入。ファンの檜山と背番号31の林のどちらのものを買おうか迷ったけど、檜山のものを購入。

本当はさらに色が変わったからヘルメットも買い替えるつもりだったけど、唯一売れ残っていたひとつが塗装に欠陥があったから店員に指摘して取り寄せてもらうことに決定。

備えることとは別に、これを着て阪神戦を観に行きたいけど、最近の阪神は強すぎるし、観客も異常に多いから何だか冷めてしまう。それにカラオケとか、高速バス鑑賞とかと一緒で、阪神を応援する姿を何の気兼ねもなく見せられるような一緒に行ける人もいないし。

ついでに大学のスポーツ愛好会で着るTシャツも購入。スポ愛用に買ったタイガースTシャツも何だかんだで8枚目。これを買うきっかけもいつも決まっている。何枚買い替えても周りからは絶対に恰好悪いって思われてるんだろうけどね。最新の2枚はMIZUNO製。

せっかくなので久し振りに永福町の大勝軒へ。たまには吉祥寺経由で井の頭線に乗ってみる。森田まさのりブームを意識して井の頭公園を通って井の頭公園駅から乗車。

吉祥寺駅から歩いて公園の手前にある『いせや』という焼鳥屋で飲んでみたい。前の飲み会の候補に挙がったけど、遠いから却下されたまま。

帰りの高速バスは新型の三菱ふそうエアロ。車内のデザインはなかなかカッコイイけど、外見は特に後ろがカッコ悪い。何で窓を逆三角形にしちゃったんだろうね。

そう言えば先週、つくばセンターでJRバス関東の新型らしきボルボアステローペとも遭遇。高速バスの車両の中ではアステローペが一番好きなんで。ということでね。よろしくどーぞー。

蟻通

2008年07月17日 | 筑波大学
自分はリーダーに向いてないけど、コント赤信号でリーダー(渡辺正行)じゃなくてもラサール石井がいるではないかと自分自身を励ましているとか、いないとか。

こんばんわ。土曜の夜のコント赤信号。桑田(待たせたな)佳祐です。

大学の研究室で1学期の打ち上げがあった。先生は参加できず、いたらいたで緊張するけど、いなかったらいなかったで面白くなかったりもする。

打ち上げの日付は、たまたま居合わせたメンバーの都合を配慮して決めたにもかかわらず、その人は他に遊びに行く用事を作ってキャンセル。さらにそのことについて何も言ってくれなかったり。

他のメンバーの一人は、年下だけど、今年から博士課程に入って既に結婚もしていて、今日は嫁さんを連れてきた。何だか気を遣わせてしまって、色々と料理やその他の食べ物と飲み物の差し入れをたくさん持ってきてくれた。

この一週間は研究室でもUSB経由でウィルスが蔓延して、研究室でその後輩が使っているPCの扱われ方が酷いと思ったから怒った。でも、嫁がいる人に対して怒ったと思うと何だか複雑だ。

打ち上げの最中に研究室での会話が少ないという話になったんだけど、研究室では共同作業の機会は少ないし、みんなが積極的に挨拶をするわけでもないし、拘束時間がなくて好きなときに行き来できるから、そんな中で会話は生まれるとも思えない。

本音を言えば研究室にそれなりの時間いる人同士の会話はある。会話がない人は、俺から見れば、明らかに研究室にいる時間が少なくて、見方によっては研究室に来るのがあまり好きではなさそうだ。

その一方で、研究室での不満というのは全て年長者である俺の責任のような気もして、ウィルスについては怒ることができたけど、本当はドタキャンした人とか、挨拶しない人に対しても注意するべきなのかもしれない。でも何をするのも自由な気もしたりするけどね。

あくまでも俺からの視点だけど、悪いこととか、やましいことをしている人には自分をやたらと正当化する人がいたりして、それは自分の逃げ道をつくるためだとは思うけど、特にルールも罰もない状況で、そうやって反論されたら何も言えなくなるし、何が正しくて、何が悪いのかがわからなくなる。

あ、まぁでも打ち上げそのものは楽しかったんで。ということでね。よろしくどーぞー。

横手

2008年07月15日 | 筑波大学
どちらかと言うと、『西の狩野、東の豊田』の東側に成り代れないということで、他人から「大したことないんだね」と上から目線で言われたとき、「そうです」と『そうです、私が変なおじさんです』風に返事するタイプの頓珍漢モモエです。

俺の先生(統計学)の研究室と、TAでお世話になっている先生(産業組織心理学)の研究室とで合同ワークショップを開催。夏休みなのに元気だね。

内容はある統計解析手法についての講義で、日本での権威者について俺が勝手に『西の狩野、東の豊田』と名付けているもの。

俺がその産業組織心理学の先生からアドバイスを受けながら修論を書いたときに、研究室全体で勉強して使った方法でもあったので、俺は臨時ティーチングアシスタント。たまには役に立つね、俺も。

ということで、ワークショップのために、社会工学が所有する大学院生用コンピュータ室でソフトウェアをインストール開始。ところが、そこにある16台のPC全てがコンピュータウィルスに感染していることが発覚。

技官さんに来てもらったんだけど、手が付けられないぐらい酷い状況らしく、とりあえずは使えそうな数台のウィルスを駆除して、ワークショップが終わったら全て再インストールすることに。

学類(学部)用コンピュータ室では勝手にソフトウェアをインストールできないようになっているらしいけど、大学院の方では禁止にはなっていても自由にやりたい放題できるようにしてあったようだ。中にはエラーやら何やらが外国語で出てくるものもあった。

俺の偏見だけど、作業をしてくれた技官さんはコンピュータに詳しい人の典型で、何が起こってるのかを言わずに黙々と作業。俺の仕事ではないから帰りたいけど、部屋から出て行きづらいから一緒に見様見真似で作業。

技官さんには日頃から物凄くお世話になっているから悪くは言いたくないけど、このコンピュータ室がこんな状態になるまで放置していたのは管理者の技官さんの責任だろう。

俺の先生は、俺がワークショップ以外で作業した時間分もTAの給料を支払ってくれるそうだが、それは先生が出すらしく、本当にこの問題が技官さんの責任なら、ここでの作業分の給料を先生が支払うのは疑問だ。でも、もらうけどね。

しかも、俺はコンピュータ室がこんな状況になっているのを知らせた上に、一緒に作業をしたにもかかわらず何も言ってもらえてないし。誰も何も言ってくれないからって自分で言うのも腹立つけど、『芸人最高の讃歌をさんまに贈る』的な扱いを受けたいものだ。

そして、コンピュータ室をウィルスまみれにした利用者の大学院生に対しても腹が立つ。そいつらのせいで俺はエッチなDVDを観るための貴重な時間を削って復旧作業を手伝う破目になってるわけだ。

そいつらがコンピュータ室でやってることなんて、俺のエッチDVD鑑賞に等しいという目線で見てやるよ、このバカ垂れウンコ。そもそもそれに等しいことしてたからこんなことになったのかもしれないし。

そんな、肩に霊が乗ってるよりもウンコが乗っている方が恐怖な筑波大学構内より、頓珍漢のモモエがお送りしました。ということでね。よろしくどーぞー。

東村山四丁目

2008年07月12日 | お出掛け
この約1ヶ月、Yahooの12星座占いでずっと7位以下です。特にこの2週間はずっと9位以下です。

こんばんわ。土曜の夜の副都心線。桑田(吹くと新鮮)佳祐です。

東京メトロ副都心線に乗ってきた。開業当初は冷ややかに見ていたけど、世間での話題性が高いから乗りたくなってきてた。

せっかくなので、これまで西武線に乗ることがほとんどなかったから、新宿線で所沢まで行って、池袋線で都心に戻り、そのまま乗り入れて副都心線へ。

当初の計画では片道でレッドアローを使って秩父まで行きたかったけど、そこまで行ってとんぼ返りはあほ過ぎると思ったので止めた。

そして、せめてスイッチバックになってる飯能まで行きたかったけど、そこまで魅力がなかったし、時間も掛かりそうなので止めた。

そんなこんなで所沢を経由して一周してくるのは決定で、手前の東村山駅前にある志村けんが植樹した木を見ようと思ったけど、途中下車が面倒になってやめた。

西武の駅にはライオンズのG.G.佐藤のポスターが貼ってあって、その目付きがなかなかカッコイイ。そもそも彼のヘルメットの汚れ具合もカッコイイ。

所沢からの池袋線は東京メトロの最新鋭車両10000系。マーフィーの法則だと、こういうときは乗りたい車両に乗れないことになってるんだけど、偶然にも乗りたかった車両に乗ることができて、逆にこういうところで運を使い果たしたくないと思ったり、思わなかったり。

練馬、小竹向原を経て副都心線に入る。もともと西武有楽町線区間と、それから小竹向原から池袋までの有楽町線と並行する区間は何年も前から作られていて、後者は13号線とか、営団新線と呼ばれていた。

当時は最終的に副都心線がつくられる計画をよく知らなかったし、新線の方は小竹向原を出ると池袋までノンストップだったから、単純に過密ダイヤの東武と西武の列車を別ルートで池袋に流し込むために無理矢理つくったものだと思っていた。

練馬から先は地下だからよくわからず、急行だったから次々と駅を通過して渋谷到着。ホームは将来的に2面4線で使われるまで真ん中2線を埋めるようになっていて、既に敷いてある真ん中2線の上から明治神宮側を見て、往来する列車を眺めたり、眺めなかったり。

副都心線で色んな苦情が問題になってるみたいだけど、こういうX字型に4線が相互乗入するパターンはほとんどないし、利用者も慣れるまでに時間が掛かるだろうし、東武も西武も多くの種別列車が複線で走るからダイヤが乱れる可能性は高いだろうし、その種別が3社4線で統一されているわけではないし、西武以外の3線はそれぞれ2種類の車両がありえるし。

なーんて今日は偉そうに語ってみました。「どうせよく知らないくせに」っていう非難はさむいから受け付けません。ということでね。よろしくどーぞー。

親愛なるゲバルト・ローザへ

2008年07月12日 | 独り言
知りたいと思ったり、憧れたりする相手が自分の手の届かない遠い存在なのは偶然の産物なのか、それとも遠い存在だから知りたいと思ったり、憧れたりするのか。いったい何がニューレフトなのか。

こんばんわ。土曜の夜のシュプレヒコール。桑田(連帯を求めて孤立を恐れず)佳祐です。

新潮社からの『東大全共闘1968-1969』という写真集を買った。駿台予備校の現役講師で、東大全共闘の代表だった山本義隆が特別寄稿しているから。それを読みたくて。もちろん他の写真も見たくて。

高校卒業後に駿台に行くことが決まって、時間割を見ていると「物理は山本先生?」と母親が聞いてきた。全共闘と山本義隆の存在を知ったのはこのときだ。

俺の両親は全共闘には参加していなかったそうだが、ちょうど高校生から大学生だった頃に周囲で学生運動が盛んに行われていたらしく、東京大学の山本義隆と日本大学の秋田明大はヒーロー的存在だったようだ。

前にも書いたけど、山本義隆は物理学を専攻する大学院生で、京都大学の湯川秀樹基礎物理学研究所へ国内留学していたそうだ。優秀で学者としての将来を嘱望されていたそうだが、全共闘に参加するために東京へ戻り、湯川秀樹が嘆いたという逸話が残っているそうだ。

駿台の講師には全共闘に参加していた人が何人かいて、中には駿台を使って講演をする人もいたし、テレビの全共闘ドキュメントの番組に出演している人もいた。それから最後の授業で『連帯を求めて孤立を恐れず…』の言葉を使って受験生の俺らにエールを送っていた人もいた。

そんな中、山本義隆が予備校生の前ではもちろん、メディアなどを通しても全共闘の話をすることはほとんどなかったようだ。鋭い目つきと白髪と髭の顔のせいで見た目が怖くて、予備校生が授業に関係ない余計なことを聞いたりできる雰囲気もなかった。

俺は、学者としての約束された将来を捨てて全共闘に参加した山本義隆が凄いなと思って、「何で予備校講師なんだろう?」とか「どんな人なんだろう?」って物凄く気になった。そして、おしゃれとは言えない服装と白髪交じりの髪と髭で堂々としている姿もやたらとかっこよく見えてた。

何でもいいから会いたくて仕方がなかったので、授業以外のときでも山本義隆が来る頃を見計らって校舎をぶらぶらして、偶然を装って会って挨拶をしていた。目つきの鋭さと挨拶をしたときの優しさのギャップが激しすぎた。

山本義隆の最後の授業で、何人かの予備校生は教科書にサインをもらっていた。俺も欲しかったけど、いつか山本義隆が授業中に「最近の学生は勉強しなくなった」と言っていたことを思い出して、サインをもらいに予備校に来ていると思われたくないからやめた。

そんなこんなで、最近になって、東大全共闘の活動をまとめた写真集に山本義隆が特別寄稿をしているということを知って、大げさな言い方だけど、長年の沈黙を破るようなことになっているんじゃないかと思ってその写真集を買ってみた。

なぜか俺の母親が持っていた『砦の上にわれらの自由を』という東大全共闘でゲバルト・ローザと呼ばれていた女子学生を題材にした本にも山本義隆の寄稿があったけど、内容が難しくて全く理解できなかった。

今回の特別寄稿も理解できないかもしれないという不安はあったけど、前に読んだものとは少し違って、今回は普通に読むことができた。

個人的な勝手な思い込みで、山本義隆は自分が全共闘で活動していたことを封印しているのではないか?と思っていたが、そんなことはなくて当時の記録を将来に残そうと東奔西走していることが特別寄稿に書かれていて、それが物凄く意外に感じられた。

俺にも正しいと信じている生き方があって、俺は山本義隆のことはほとんど何もわからないけど、俺が知る限りで勝手に解釈している山本義隆の生き方は、俺が信じているその生き方の一部と一致しているような気がして、何だかそんな自分に酔っているとか、いないとか。

そんなこんなで今日もこれまでに何度も話している話をしてしまいました。明日からは再び灘ジュンのHブログに戻しますから。ということでね。よろしくどーぞー。

マシンガンをぶっ放せ

2008年07月08日 | 独り言
どちらかと言うと、毎日のように定食屋の夢屋で食べていないということで、他人から「そこまで常連じゃないんだね」と上から目線で言われたとき、「じゃぁ逆に『桜樹ルイ』クラスじゃないとエロは語れないのか?」と問い返したくなるタイプの頓珍漢モモエです。

先週の木曜に、ほぼ週一で行ってる定食屋の夢屋で御飯を食べたんだけど、お金を払おうと席を上がった瞬間に財布にお金がほとんどないことに気づいた。

独りだったからどうしようもなくて、とりあえず店員さんに言うと、厨房にいた店のママに話が伝わって、厨房から「いつも来てくれてるからいいよ」って。言葉も言い方も優しすぎる。そもそも俺が常連だって本当に知ってくれているのか。

コンビニで買おうとしたときにお金が足りなくて「お金が足りないからどれか買うのをやめます」って言ったことは今までにも何回かあったけど、支払うべきサービスを受けてしまってからお金がなくて支払うことができなかったことは初めてだ。

不思議と恥ずかしくはなかったんだけど間抜けだし、店員は半笑いというか苦笑いだし。そんな中でママは懐が広いというか、心が広いというか、その言葉はやたらと温かいと思った。

ちなみに金曜の閉店後の夢屋へ行ってお金を払った。

そんなこんなで、長期休み恒例の行きたいところ:

大台ケ原、鉄道博物館、坂内食堂、スイス、イースター島。

乗りたい鉄道:

京浜急行2100系、南武支線と鶴見線。

開きたい会合:

たこ焼きパーティ、イエスマンの会、ビッグ対談飲み会。

偶然を装って御茶ノ水で出会いたい人:

山本義隆。

小木曽

2008年07月06日 | スポーツ愛好会
♪世間知らずだった少年時代から♪と強く叫ばれる昨今。いかがお過ごしでしょうか。プッチンプリンはプッチンしないで食べます。おかまバー頓珍漢のモモエです。

今日から大学のスポーツ愛好会では俺の仕切りのもとで夏休みの活動。今月の中旬から普段の活動で使っている学内の体育館が使えなくなるから学外に行くことが増えるし、今日の活動も既に学外の体育館だし。

そんなこんなで真面目に学外活動届を大学に提出してみたり、みなかったり。学外へ出る車出しをお願いしてみたり、みなかったり。当日の集合場所で参加者が集まってるかどうかをチェックしたり、しなかったり。

学外へ出掛けるときの集合場所では、いつも俺は隅にいるんだけど、今日は堂々と中央に仁王立ちしてやった。マイナーリーグから一転、スポ愛の主要メンバーになった気分だ。

大したことではないんだろうけど、学外で活動することになると意外とやることが増える。この歳になって後輩の前で不手際があったら恥ずかしいしいから、何となく余計に変なプレッシャーも掛かる。

スポ愛の通常の執行代は学類(学部)2年後半~3年前半にやるんだけど、俺が同じ時期にこういう仕事をやれって言われたら絶対に嫌々やってたと思う。

夏の活動の初めということで軽く挨拶をしてみたけど、俺って何かと言葉を発することに夢中になってて、本当に言いたいことが伝わってるのかよくわからないまま話が進む。

このスポ愛での仕事をやるのは6年目なんだけど、大学の研究室での活動も含めて、俺はリーダーには向いてない。何とかして克服したいのだが。

そんなことをOBの後輩に『リーダー向いてないけど、○○○は○いてる』と下ネタ交じりに愚痴ってみたら最低だと言われた。志村けんと笑福亭鶴瓶を気取れば最低が好きだから。ということでね。よろしくどーぞー。

Beyond Beautiful

2008年07月05日 | スポーツ愛好会
今日は心の中で桑田佳祐の『夏の日の少年』をエンドレスで流しまくってました。長嶋で流しましょう的な自分に酔ってました。

こんばんわ。土曜の夜の東京スポ愛。桑田(明日から米愛)佳祐です。

今夜は『忘れられたBIG WAVE』的だった東京スポ愛。大学のスポーツ愛好会のOBによる活動で、体育館はいつも総武快速から見てたところだった。

ちなみに筑波の現役スポ愛に属しながらも、東京スポ愛に魂を売った俺の個人的な活動目的は東京スポ愛を率いて筑波スポ愛を……。見てろよ、このやろー。乳首見せろコノヤロー。

それにしても、スポ愛10年目だから、何世代にも渡って顔見知りになっているわけで、それはそれで俺の財産というか、何と言うか。誰も羨ましがらないだろうから自慢にはならないけど、いつか人生を振り返ったときに必ず思い出すだろうね。全員の顔を思い出せるといいけどね。

別に現役のスポ愛のメンバーがどうこうではなくて、このOBと一緒に活動していた頃に戻ってみたいというか、どうせなら現役もOBも一堂に会して普段の活動ができたらいいなぁと思うけど、そう思うのは俺が長々と筑波に留まっているからかもね。

明日から筑波の現役スポ愛では俺の取り仕切りのもとで夏休みの活動。俺の名字を取って『米愛』って呼ばれてる。活動自体は愛されているんだろうけど、実際に本人が愛されたことはない。ということでね。よろしくどーぞー。