†意識の記録† 理解のブログ

私の私の視点による私の経験の記録。私の視点で見る限り誤りのない認識で記事を書いている。一切の苦情は受け付けない。

クローン

2006-09-24 23:59:59 | Diary

テーマ:テーマはクローンだったが、途中で変わった為不明。

ここでは、ヒトクローンに関しての考察から、
生命の設計図である遺伝子を弄繰り回す事に対して警鐘を鳴らす。

尚、ヒトクローンは日本に於いては、法律で作成が禁止されている。
(ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律第三条)


クローンは、ギリシア語で「小枝の集まり」を意味する。
生物学用語としては、ウェッバーが栄養生殖によって増殖した個体集団と定義した。
本来の意味は、挿し木である。

挿し木は、古くから利用される技術で、
一種のクローン技術である。
ただ、植物でしか使えないが。

クローン技術は、今現在は極一般的に使われている。
例えば、インシュリンの生成など。

さて、そういった有用物質の生成に関しては良いとしよう。
今、ここで書こうと思っているのは、ヒトクローンに関することだ。

今日、ヒトクローンには成功していないと言われている。
勿論、成功していないと言い切る事は出来ないが。

ヒトクローンを作る事には様々な点、
特に、医療に関する点に於いて、非常に大きな可能性がある。

例えば、私が肝硬変になって、肝臓移植をしなければならなくなったとしよう。
その時、もし自分のクローンから肝臓を移植すれば、
拒絶反応は起き得ないという点が挙げられる。
これは、肝臓に限らない。
心臓でも、腎臓でも・・・眼でも大丈夫だ。
勿論、頭皮を移植する事も可能であろう。
まぁ、脳を除く、全ての器官を移植する事が可能と言える。
全ての器官が移植可能という事は、
子宮や卵巣、精巣も移植可能であるから、
何かしらの要因によって一生不妊になってしまった女性や、
無精子性の男性も救うことが出来よう。
自分のクローンを作って、自分の子供として育てることも出来るかもしれない。
それだけではない。
今現在、難病とされている多数の病気をも治せるであろう。
小児白血病ですら治せるだろう。
(何でも治せるわけではない。例えば、脊髄小脳変成症は治せないのだ・・・)

もし今、私が私のクローンを作ったとしても、
そのクローンが私と同じ姿になる事はありえない。
まぁ、当然であるが。
ヒトの姿、形は、環境的要因によって如何様にも変化しうる。
私のクローンと私の共通点は、
髪の毛の質であるとか、肌の色であるとか、瞳の色であるとか、
一重か二重か、耳垢が湿っているか乾いているか、舌を巻けるか、etc・・・
などの、遺伝的な点だけである。

一卵性双生児など、一卵性の多胎は、
自然のクローンであると言える。
その証拠に、その兄弟姉妹は非常に似ている。
そして、必ず雌雄が一致している。

ヒトクローンの問題は、
人工妊娠中絶や、男女産み分けなど、
常に議論される生命に関する様々な問題の一つである。

例えば、ヒトクローンから臓器を取り出すことは、
そのクローン個体の死を意味するであろう。
ただし、今現在研究されているのは、臓器一つだけを作ることであるから、
この点は問題ないといえる。

問題点は、今現在成功しているクローンには、
“必ず何かしらの欠陥が発見されている点”が挙げられる。
例えば、数年前に話題になった、クローンヒツジのドリーは、
細胞分裂に関係する、テロメアの長さが短い事が指摘された。
テロメアの短縮は、細胞老化を招く。
つまり、細胞分裂を行う事が出来なくなる。
という事は、その個体は寿命が短いという事だ。
実際、ドリーの寿命は、一般的なヒツジに比べて約半分だったと言われる。

再生医療は、一部実用化されている。
臓器を作り出すのも、ヒトクローンではなく、この分野での研究が盛んである。

ヒトクローンからの臓器移植に関しては、
「アイランド」という映画で描かれていたが、
生命倫理の観点から、難色を示す傾向が強いようだ。
(科学的な視点からは突っ込み所満載の映画であるが・・・。)

私の意見としては、
まだ技術が未熟であるという理由で、ヒトクローンに反対である。
ヒトクローンからの臓器移植に関しては、回答を控えたい。

「再生医療に於いて、どうしても必要な胚性幹細胞が手に入らない以上、
臓器移植が必要な患者を救う為にやむを得ず行う。」
と考えるべきなのか。
その為には、クローンを犠牲にして良いのか。

ヒトクローンは、やろうと思えば可能であると言える段階に着ている。
そして、臓器移植を待つ人々は無数に居る。
その人々のクローンを、成長促進させ、臓器を取り出すことは・・・
意外と容易な事であろう。


少し話は変わるが・・・
生命の設計図たる、遺伝子に、我々が手を出すこと。
これは、許されざる行為ではないだろうか。

今の生命は、“大いなる偶然”によって作られたのだ。
全ての生命の進化は、突然変異によって行われる。
無数の突然変異によって、今の生命圏は形作られた。
環境に適さない生命は滅び、適した生命は繁栄している。
繁栄は、細胞分裂によって、或いは雌雄の生殖によって行われるのが、
全生命の標準と言える。
ここに、人為的手段を用いて、別の方法を構築する事は、
生命のバランスを壊す事にならないだろうか。

我々は石油エネルギーの消費によって、核兵器の使用によって、
すでに、多大なる損害を地球に対して、また地球生命に対して与えているのだから。
そこへさらに致命傷を与えるかもしれないこの技術を使う事は、
倫理的な面だけでなく、我々の未来を含めて、許されない行為ではないだろうか。


科学者達は、自分達の研究が核兵器に応用された事に絶望したと言う。

我々は、核兵器を人に対して使って平気でいる国がある事を忘れているのではないか。
何処とは言わないが、我々はその国の属国と化している。
どう考えてもその国の石油利権の為の戦争なのに、賛同しているのを見れば明らかだ。
世界中が反対している戦争に賛同する、その理由が私には分からない。

それはともかく、
科学者達は、この生命の根幹に関わる技術に対して、
以前の反省を交えて、制限を加えたと言う。
この技術は、応用の仕方によっては、全生命を根絶させることも可能だからだ。

大国による軍事転用だけを恐れているのではない。
その大国に対抗する手段として、小国が使う事を恐れているのだ。
勿論、大国は所有するだろう。
そう、核兵器のように。

例えば、クローン技術を用いて、同じ遺伝子を持つ兵士を大量に作成できる。
そうすれば、何人死のうが、すぐ作れる。
又、好きに教育出来るわけだから、命令には反対しないし、死への恐怖も無い・・・そんな兵士を作成可能であろう。

帰還不能の作戦に兵士を使える日が来るかもしれないわけだ。
例えば、帰還は考えずに、火星に人類を送る事も出来るわけだ。

もしかしたら、我々は一切仕事をしなくて良い日が来るかもしれない。
仕事は、全部クローンが行って、我々は旅行やゲームで過ごせるかもしれない。
勿論、それはそれで夢のようだが、人生そんなに甘くないと思う。
楽をすれば、それだけ皺寄せが後で来るのだ。

今の人類が地球を駄目にするほど、
後の人類が苦労する。
皆、目先の利益に囚われてはならない。


どうも、話が二転三転して、私のテンションの変化が手に取るように分かる駄文になってしまった。
その点に関してはここで侘びておく。すまなかった。
ただ、これは全て現実である。
貴方一人、私一人が足掻いた所で変化は訪れないが、
貴方、私、その他大勢が足掻けば変化は必ず来るだろう。
その為には、貴方一人、私一人の足掻きが必要である。

以上

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