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帰って来た、私生道

Q太郎が真剣に考えているblogです。
旅行、想い、思い出、事件、仕事、故郷、恋愛・・・
何でも書いちゃいます。

虹ヶ浜

2005-09-24 17:49:58 | 思い出…
実は、昨日から地元に帰ってきているんです。
6時26分の新大阪発の新幹線に乗って、徳山に8時21分に着きました。
徳山から光に帰る途中、虹ヶ浜に立ち寄りました。

虹ヶ浜、大変な事になっていました。

海岸には、沢山のゴミが溜まっていて、まるで「夢の島」(ゴミの島)です。
原因は、先日の台風14号です。

虹ヶ浜の近くに流れている島田川から沢山のゴミ(流木や家庭ゴミ)が流れ出したようです。
家庭ゴミは、ボランティアが清掃(本日のニュースで知りました)し、残りのゴミ(自然ゴミ)は、重機を使って海岸に埋めるそうです。

実はそれだけじゃなかったんです。
虹ヶ浜のシンボルである「松」が倒れていました。
(確認しただけでも、3本ありました。)

幹の直径が50センチ以上あったので、樹齢50年は超えていると思います。

そんな大きな大木が台風で、倒れるなんて…

今を思えば、Q太郎が小さい頃は、もっともっと大きな「松」の大木が虹ヶ浜にはあった気がします。

「松」の大木は海岸も見えない位、覆い茂っていたような…

数十年前の台風15号と17号で、虹ヶ浜の松が倒れて国道を塞いだと言う内容のニュースを見た事があります。

ここ数十年なんだよな、松が倒れるなんて…
Q太郎がいた18歳迄は、聞いたことなかったもん。


「台風が強くなっている」

これも地球温暖化が原因なんでしょうか?


そうそう、地元の新聞に光市の“市の木”が「クロマツ」、“市の花”が「ウメ」になったようです。
市の合併によってシンボルが変わったようです。

えっ、“市の花”は「ツツジ」じゃないの?

「ウメ」って言われても、Q太郎にはピンと来ないんだけど…
多分、冠山総合公園の「ウメ」から選んだんでしょうね。

この街に、そんなに「ウメ」って、あったけ?
「ツツジ」の方が沢山あるような気がするけど…

ちなみに数十年前、地元の小学校入学の時に入学記念でもらった「ツツジ」。
Q太郎の実家で、今も元気に花を咲かせています。(スゴイヨ)


追伸:今広報で調べたら、松林転倒数は、216本だって…
   唖然です。

虹ヶ浜

2005-08-08 01:32:04 | 思い出…
虹ヶ浜

7月30日の虹ヶ浜のお話です。
虹ヶ浜で昨年から夏の間イベントを開催しています。

①渚のライトアップ。
 7月1日~8月31日(日没~23:00)







②スターライトファンタジー
 8月6日~8月13日
  ◎ナイター海水浴場
   水中照明装置と海中タワーからの照明で幻想的な海水浴場を演出!
  8月6日~8月13日 17:00~20:30
  ◎サンセットコンサート
   ★毎日夕暮れには、ステージにいろんなアーティストが登場!
   8月6日~8月13日 18:00~20:30
  ◎ウォーターカーニバル
   ★海中タワーからの噴水・レーザー・照明と音楽が織りなす幻想的なショー。
   8月6日~8月13日 20:30~20:50







③花火大会
 ◆光花火大会
  8月7日(日) 20:30~打上げ(荒天中止)







実は、7月31日に虹ヶ浜に行きました。
昼に海で泳いで、21時ぐらいにライトアップを見ました。
虹ヶ浜は、遠浅で大潮を重なると海岸から100メートル先でも子供の腰の高さの深さしかありません。
この日は、大潮ではありませんでしたが、本当に久々に虹ヶ浜で泳ぎました。
勿論、O次郎と一緒に。
O次郎は、グアムとタヒチで海を経験していますが、その日の虹ヶ浜は波が強く、O次郎は波が打寄せるのを楽しんでいました。






写真は、虹ヶ浜にある子供プールの写真です。


今夜(正確には昨日)は花火大会。大昔は室積海岸と虹ヶ浜海岸で1年置きに開催されたみたいですが、2年前から虹ヶ浜に場所が変わったようです。
(ちなみに、Q太郎がいる事はずーと室積海岸でした。)
渚のライトアップ+スターライトファンタジー+花火大会。今日の虹ヶ浜は綺麗だったろうな~。

写真は、7月31日の渚のライトアップの時です。



8月4日

2005-08-04 02:41:49 | 思い出…
Q太郎です。

8月4日は、思い出が有り過ぎて、いつもシンミリしてしまう日です。。。
(理由は、どうしても書けません。。。)

皆さんには、こんな日はありませんか?

PS.
 > ひ
  おめでとうさんです。

1993年…

2005-07-21 01:42:59 | 思い出…
1993年7月20日、広島東洋カープの津田恒美が他界しました。

享年32歳。病名は脳腫瘍でした。

Q太郎と津田との出会いは、津田が南陽工業2年の時の選抜大会でした。
中国地方の代表として、ベスト8に進みました。
勿論エースで、確かホームランも打ったはずです。

夏の山口県大会も呆気なく優勝し、甲子園に登場しました。
この時は選抜に比べてひと回り以上も大きくなっていて、三振をズバズバとったと記憶しています。
三振を取るたびに、Q太郎家では拍手喝采でした。
夏の大会は、2回戦で天理に負けましたが、Q太郎は大満足でした。


Q太郎と津田との再会は、広島市民球場でした。
学生時代にやる事の無かったQ太郎は、良く広島市民球場に足を運びました。
(当時、ここでバイトをしている同級生がいて、いつもただで入れて貰っていました(笑))
津田は高校を卒業後、社会人を経て「広島」に入団していました。

正に「炎のストッパー」でした。マウンドでは殆どストレートを投げて、高校の時と同じようにバタバタと三振を取っていました。
特に巨人相手の時には、おたけびが聞こえる位の派手なガッツポーズを覚えています。
同郷だから応援していたのではなく、単純に津田のマウンドが好きでした。

津田は、1993年に他界しました。
そしてその年、南陽工業時代の監督:坂本昌穂は光高校の監督をしていました。

Q太郎が在校当時は、「一回戦ボーイ」だった光高校が、津田の力を借りて(?)、県大会の決勝まで進みました。

決勝戦の当日、Q太郎は仕事が終わると即効家に帰り、ありったけのスポーツ番組を観ました。


光高校、優勝しちゃいました。(へっ?)


津田が他界した年に、当時の恩師の監督の高校が甲子園に出場する。
それも、今まで一回戦ボーイと言われた「光高校」が…
Q太郎の母校が…

翌日のスポーツ新聞は、光高校と津田のことで各社が記事を書いていたのを記憶しています。


甲子園、仕事をズル休みして応援に行きました。
残念ながら、校歌を歌うことは出来ませんでしたが、Q太郎は本当に本当に満足しました。

今日から、山口県では甲子園の予選が始まります。
故郷を離れて20年経ちますが、今でも故郷の熱戦が気になります。


そうそう、今年は津田の13回忌です。
あれから、13年も経つのですね。。。

カープ50年選手列伝
TOSHI’S スポーツ

故郷:③「島田川の河口」

2005-06-07 01:16:37 | 思い出…
郷第三弾は島田川の河口埠頭です。

市で一番大きな川:島田川の河口です。
と、自然にできた「砂の島」です。
虹ヶ浜が見えます自然に出来た白い浜の島


埠頭は魚釣りです。
週末になったら、よく親父と来ました。
大物は釣れませんでしたが、楽しかったと記憶しています。
埠頭ですよく親父と釣りに行きました


近くの島です。大水無瀬島と小水無瀬島といいます。
小さい時は、遠くに感じたのですが、結構近く泳いで行けそうな気がしました。
大・小水無瀬島水も透き通っていました


釣れますか?

O次郎、もう少し大きくなったら、昔のQ太郎と親父のように「魚釣り」に行こうね。
※嫌でも連れて行きます(笑)

つめ跡

2005-06-06 07:06:17 | 思い出…
パラオで沈没の旧日本軍輸送艦、遺骨収集へ調査開始
【コロール(パラオ)4日=奥村圭】太平洋戦争中、南太平洋のパラオで米軍の空襲を受けて沈没した旧日本軍の輸送艦「石廊(いろう)」内の遺骨収集を目指す厚生労働省の調査団が4日、コロール島近くで船体調査を始めた。
元乗組員の石川富松さん(87)(三重県桑名市)らが要請して実現したもので、国による沈没船での遺骨調査は、トラック諸島で行われて以来10年ぶり。パラオでは初めて。
厚労省の記録では乗組員約230人。この日の潜水調査では遺骨は見つからなかった。
石川さんは「60年も海底に放置されている仲間が哀れでならない。何としても日本に戻してやりたい」と話している。
パラオで沈没の旧日本軍輸送艦、遺骨収集へ調査開始 (読売新聞) - goo ニュース


2001年の12月にパラオに旅行に行きました。
関空からたった3時間のフライトでパラオは、楽園でした。(タヒチほどではありませんが…)
こんな近場に楽園があるのにQ太郎はびっくりしました。

空も珊瑚も綺麗でした。
パラオ政府観光局

ただ、戦争のつめ跡が今でも沢山残っていて、とても寂しい気分になった記憶があります。
(透明な海の中に、エンジンの残骸や海中に沈むゼロ戦が見ることが出来ます)

Q太郎は戦争は知りませんが、昔戦争の怖さを調べた事があります。
機会があればアップしたいと考えています。


出来れば、早く引き上げる事ができる事を祈ります。

故郷:②「島田川」

2005-05-31 01:16:22 | 思い出…
郷の第二弾は島田川です。

市内で一番大きい川になります。
天気が悪くてごめん上流の川面です。

Q太郎は、河口よりも上流が好きでした。

ここの場所は、チャリ(自転車)で60分近くの場所になります。
Q太郎の小学校と中学校は、川での遊泳は禁止されていましたが、ここまで来ると学校の目も届きませんので、堂々と泳いでいました。

多分、同じ同郷の人もここは余り知らないと思います。
Q太郎の大切な思い出の場所の一つです。

O次郎は、昨年ここで、おもいっきり水遊びを楽しみました。
その時の写真を数枚アップします。
冷たいですか?サンダルがっ!!ご機嫌、O次郎!!


ハヤ・コイ・うなぎ・ゲンゴロウ・水カマキリ・タイコウチ・カニ、毎日日が暮れるまで、取って遊んでいました。
いっぱいお魚捕れたよ(素手で(笑))でっかいゴリが2匹いるの分かりますか?


島田川の河口になります。
河口に向かっています。最高の天気でした。


どうです?
大きい河口だと思いませんか?

ここは、25年ぶりに来たと思います。

ここから先のお話は後日…

故郷:①「虹ヶ浜」

2005-05-27 01:48:50 | 思い出…
郷の第一弾は、ここだと決めていました。

虹ヶ浜です。

東側の風景西側の風景

実家からチャリ(自転車)で、10分でこの浜に着きます。
Q太郎にとって、思い出の浜です。
ここで泳ぎ・遊び・恋愛をしました。

海水浴シーズンには県内外から約80万人(Q太郎が小さい頃の話です。今は少なくなっていると思います)の人が集まるようです。
GW中だということで、閑散としていました。もったいないくらいの景色なのに…

O次郎が、海へダッシュしました(笑)


この虹ヶ浜は白砂青松の海岸線が約3kmにも渡って続き、日本の名松・100選、森林浴の森日本100選、日本の白砂青松100選、日本の渚・百選、日本の水浴場88選に選定されているんですよ。(Q太郎は良くわからないですけど(笑))

中学生の頃は、部活の帰りによくシャワー代わりに泳いだもんです。

浜には、「バカ貝」っていう貝がいたんだけど、(今でもいるのかな?)
地元では、簡単(砂の中に手を入れるだけで取れるんですよ)に取れるから、「バカ貝」と言われていると教えられました。

天気が良かったのと、ここ2日間雨が降っていなかったために、水が綺麗でした。
勿論、タヒチには負けますが・・・

水が綺麗でした。こんな虹ヶ浜を見たのは本当に久しぶりです


まだ、5月の初旬なので泳ぐことは出来なかったのが、残念です。

Q太郎が一番好きな時間は、夕方です。
特に8月の後半~9月に掛けての夕日を見るのは、Q太郎のお気に入りでした。
浜全体が、夕日の中に包まれ、一番輝いている時間だと思います。
また、写真が取れたらアップします。

駅前からの通りの松林です。いい感じでしょ!?
松林ですず~と向うに実家があります


どうですか?
気に入っていただけました?

故郷

2005-05-26 00:00:01 | 思い出…
郷を離れて20年経ちます。

故郷で生活した時間より、他の場所で生活した時間の方がいつの間にか長くなった事に最近気付きました。

Q太郎の故郷は、田舎です。
高校の時は、コンビニもファミレスもありませんでした。
遊ぶ場所も無く、毎日退屈な時間を過ごしていました。

高校を卒業して、直ぐに遠くに行きたいと考えたのは事実です。
なるべく、同級生のいない土地に行きたくて、博多を選びました。
「誰にも縛らなく、自由に生活できる」事を喜んだもんです。
高いビルや地元と異なる方言… その土地に慣れたくて、一日中歩き回ったことも度々あります。

一度飛び出してしまえば、後は同じで博多~広島~東京~大阪~東京~大阪と生活の場を転々としました。
これだけ多くの移動をすれば、当然沢山の別れがありますが、Q太郎はそれも密かに楽しんでいたのかも知れません。次に会える出会いを求めて…

どこの街もQ太郎の故郷に比べたら都会(当たり前)で、Q太郎の好奇心を満足させてくれました。
退屈で窮屈な田舎に比べると、都会は自由でQ太郎らしさを引き出してくれたのは確かです。

変だけど、地元に帰る時の方が気が重くなっていました。

「窮屈な田舎は嫌いだ」
Q太郎いつも思っていました。


高校を卒業して20年後のGWは、長い休みが取れたので、O次郎と車で帰省しました。
車で帰省した理由は、どうしても行きたい場所があったのです。

当たり前だった海岸やお寺、そして卒業した学校をどうしても回ってみたくなりました。
自分がどんな町で生まれ・どんな景色をみて・どのような空気を吸っていたのかを、成長したQ太郎の目で確認しなくてはならない使命感にかられてしまいました。
何がそうさせたのかは、Q太郎自身も分かりません。


Q太郎が育った田舎を皆さんにも見て欲しいので、しばらくの間、故郷の写真をアップします。
題して「故郷」(そのままじゃん)。

落ち無しですみません。

おばあちゃん

2005-05-04 02:29:48 | 思い出…
2年前におばあちゃんが入院したと実家から電話がありました。
Q太郎にとっては、おばあちゃんは特別な存在です。

別けあって、生後1ヶ月から3歳までおばあちゃんの所で暮らしました。
(勿論Q太郎は覚えていませんが・・・)
小さい時の写真もおばあちゃんの所で撮ったものが殆どです。

昨日、そのおばあちゃんのお見舞いに行きました。

おばあちゃん、かなり年を取っていました。
目も薄くなっていて、頭も真っ白です。
弱々しいおばあちゃんを見て、何も出来ないQ太郎が悔しくなりました。

「ぼうは、どこの子か?」、「えらく背があるな。」、「どこに住んじょるんか?」
話すことはできるけど、痴呆症があるようで、エンドレスで同じ質問されました。

 孫の中で一番可愛がってくれていたQ太郎の事を忘れていました。
 少しショックでしたが、仕様がないでしよね。12年振りの再会でしたから・・・

病院を出た後おばあちゃんの自宅に行き、おじいちゃんに線香をあげ、近くのお寺に行きました。
このお寺もQ太郎にとっては特別なお寺で小学生の時、よく行って遊んだ思い出があります。
このお寺には、国宝の大仏さん(3㍍位)がいて、毎日小さい窓から覗いて拝んでいました。

近くに山、小川、海があり、子供の頃のQ太郎にとってはこれ以上のない遊び場でした。
全く変わっていないお寺を見て少し安心しましたが、周りはお年寄りばかりです。
これから先にここに来ることも殆ど無いだろうと思い、思い出を写真に収めました。
(100枚近くは写真に収めたと思います。)

皆さんにも、見て貰いたくて、アップします。

島への入り口

橋の上からパチリ。もう一枚パチリです





おばあちゃんの家(凄い田舎でしょ(笑))

正面入り口です。何てことない写真ですがQ太郎には思い出です。

毎日、ネジを巻くのを楽しみにしていたQ太郎でした。まだ現役で動いていたのが本当に嬉しいです。





窓から海に向かっての写真です。

家の近くに咲いていた花。あぜ道に咲いていて、綺麗だったのでパチリしました。

おばあちゃん家の近くのお寺。正面かな? たぶんこっちが本堂だと思う。





大仏さんの有る離れに行く橋です。下は川になっています。

橋を正面から見ました。O次郎も写っています。親戚のおばちゃんに言われたんだけど、O次郎は小さい頃のQ太郎にそのままらしいです。少し複雑です(笑)

静かで、Q太郎にとっては心が本当に落ち着きます。





この中に大仏さんがいます。

少し光が反射して見づらいですが、大きさは3㍍近くあります。この大仏は平安時代(何年かはわからん)の建造物のようです。国の指定重要文化財にもなっています。

大仏の奥には現代のマンダラを建設中でした。写真は沢山あるけど、工事中なので一部しかアップしません。おばあちゃんの名前もこの中にあります。




もう一つ、アップします。

マンダラ全体です。完成すると壮観な景色になること間違いないでしょう。




これがおばあちゃんが建てたおじぞうさん。また来るよ。





さっきの橋を下から撮ってみました。

お寺からおばあちゃんの家に向かう道。横の川には魚がいて、小学生の時は日が暮れるまで遊んでいました。いい感じだと思いませんか?




直ぐ近くの港です。

漁船もありますね。

帰りの道でパチリ。少し曇っていたので、全体的に暗いですが、夏場は最高です。





奥の岩。Q太郎はおばあちゃんの家の印にしていました。この下は白浜になっていて夏場は泳げます。近くに湧き水があって、よく飲んでいました。

対向車も来ないので、パチリです。

漁船が見えたのでパチリです。少し小さいけど・・・ わかるかな?





遠くに橋が見えるのが分かりますか? 小学生の時は、船でこの島まで来ていました。しかし便利になったもんです。







おばあちゃんが入院していた病院は、病院というより老人ホームのようでした。
偶然にもQ太郎の同級生も2人程ここで働いているようですが、辛い仕事だと感じました。



おばあちゃん、また帰るから。元気でいて下さい。Q太郎より。