生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける(高僧和讃、註釈版579頁)
おはようございます。本日はようこそお参りくださいました。「なもあみだぶつ」のおはたらきを褒め讃えられた親鸞さまの読まれたお歌の、「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」というお言葉を中心に10分ほどお話しさせていただきます。お念仏を仰ぐ生活の中で、多くの人とのつながりから、阿弥陀如来さまの誓われた願いによって出来上がっている救いの船に、今、みんな乗せていただいているよろこびを味わわせていただけます。
私はここ福住寺様に勤めさせていただき15年ほどになります。平成15年から京都の中央仏教学院というお念仏のみ教えを学ぶ学校にて、通信教育で3年間学びました。そこで多くの人とのであいがありました。お寺に関係する人や、仏教を学びたい人など、その立場は様々です。現在では会員140名ほどの同窓会として、会の活動をお知らせする会報作りや、札幌別院を会場にし、講義と試験を行うスクーリングのお手伝いなどを主に行っております。
当時、札幌別院にて月2回行われていたお経の練習会で、北海道一、小さい村の道北の音威子府村から、そちらのお寺の住職の奥様、坊守様がお越しになられて、一緒に学ばせていただきました。毎月毎月行われるお経の練習会でご一緒させていただき、遠方よりお念仏のみ教えを大事に学びにこられる、その姿勢に頭が下がる思いでありました。そのつながりから。先月の6月15,16日には、そのお寺で行われる報恩講法要でのご法話を依頼され、仲間数人と共にお参りさせていただきありがたいご縁を頂戴しました。お念仏を通して、同じ道を歩ませていただく仲間が大切だなあ。そういうつながりが私を育てて下さっているなあ、と思わせて下さいます。
平成18年頃には通信教育を無事に終えたことによって、雅楽を学ぶことを本格的にはじめました。札幌雅友会という、お西のお寺さんで構成される団体、それと並行して、札幌雅楽同好会という、お寺にかかわる方、他の宗教の方、一般の方など、様々な立場は関係なく、学べる団体にも属しました。こちら福住寺様では平成24年より雅楽練習会「雅讃クラブ」も始まり、春と秋の永代経法要では演奏をしています。その他、雅楽好きなメンバー数人で、白石区民センターを借りての練習にも励んでいます。気が付いてみたら、現在では、3日に一回くらい雅楽のお稽古をしている私でありました。多くの出会いが私を育てて下さっているのです。
私は僧侶にならせていただいた当初から、お経を読むこともお話をすることも仏さまのはたらきを褒め讃えることに変わりはないけれど、難しい言葉をわかりやすい言葉で伝えるご法話はとても大事なことであると思っていました。ですから京都西本願寺の近くにあります布教使を養成する伝道院で法話の勉強に行くご縁をいただきました。約5年間、試験を受けては不合格を繰り返しました。なぜ、どうして。という思いや、このまま続けることに意味はあるのかなど、思うこともありました。「合格はまだですか」などと、期待される声が聞こえてくるプレッシャーなどもありました。そういう中であっても、あきらめることはありませんでした。その結果、うれしいことに、昨年5月にお認めをいただきました。約5年間学ばせていただいたことで、そこに集う「なもあみだぶつ」を伝えたいという熱い気持ちを持たれたたくさんの先生方や仲間との出会いが私にあきらめない力をくれたのではないかと思いました。また、長く学ばせていただいたことが今の自分にとってプラスになっていることを感じさせてくれます。
こうして昨年、布教使としての歩みに、少し心に余裕ができましたので、雅楽の演奏の中で舞う、舞楽を学び始めました。お念仏のみ教えにであえたよろこびを舞楽という舞で表現しようという私の勝手な気持ちもあって、蘭陵王という舞を毎日のように練習しました。先月6月23日には追分町にあるお東さんのお寺、法養寺様にて親鸞聖人750回御恩忌と開創120年の記念法要が開催され、札幌雅楽同好会のメンバーによる演奏会で舞楽も初披露させていただきました。
そして、6月末には勧学寮真宗講座という浄土真宗のみ教えを学ぶ講座に神戸別院様へ出向きました。難しい学びではありますが、学びが生きている。おみのりを伝えることに自信がもてるのです。私は本を読んでも、なかなか頭に残りません。しかし、生の声を聞かせていただくことは、この先生がこう言っていた。とか、不思議と頭に残ることがあるのです。み教えを聞かせていただく大切さに気付かされます。
このように充実した6月は報恩講法要でのお話と、舞楽のお披露目、そして真宗講座での学び、それらが無事に終わって、ホッと安心しているところです。そして今度は、心にまた少し余裕ができましたので、また違う舞楽を1年ほどかけて学ぼうかと思っているところでございます。
僧侶になる前は、人生は孤独だ。と思っていたのかもしれません。そんな私に「なんまんだぶつ」が届いてきて下さって、孤独であって孤独じゃない、ひとりであってひとりじゃないよ。と知らせてくださったのです。皆様方との出会いもそうです。日々のお参りなど、多くの人とのつながりの中、こうして「なもあみだぶつ」を大切に歩まれている方との人間関係信頼関係が私を育てていただいている。この世のいのち終えていかれた方々とのつながりもある。悲しみ苦しみよろこび、あれもこれも全てが阿弥陀様からのお育てのご縁でありました。と味わわせて下さるのです。今ある現状に胡坐をかくことなく、満足することなく、お念仏の学びを大切に安心の世界、お浄土への人生を歩ませていただけます。
親鸞さまのよまれたお歌を味わってみますと。「なもあみだぶつ」を聞かせていただく人生は、もうすでの弥陀弘誓の船に乗せていただいているのです。生まれる苦しみ、年を重ねていく悲しみ、病気の不安、苦悩あるこの身、このままの私を阿弥陀様の大きなお船に、みんな乗せていただいている今であることのよろこびを聞かせていただけます。肝要は御文章にて
おはようございます。本日はようこそお参りくださいました。「なもあみだぶつ」のおはたらきを褒め讃えられた親鸞さまの読まれたお歌の、「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」というお言葉を中心に10分ほどお話しさせていただきます。お念仏を仰ぐ生活の中で、多くの人とのつながりから、阿弥陀如来さまの誓われた願いによって出来上がっている救いの船に、今、みんな乗せていただいているよろこびを味わわせていただけます。
私はここ福住寺様に勤めさせていただき15年ほどになります。平成15年から京都の中央仏教学院というお念仏のみ教えを学ぶ学校にて、通信教育で3年間学びました。そこで多くの人とのであいがありました。お寺に関係する人や、仏教を学びたい人など、その立場は様々です。現在では会員140名ほどの同窓会として、会の活動をお知らせする会報作りや、札幌別院を会場にし、講義と試験を行うスクーリングのお手伝いなどを主に行っております。
当時、札幌別院にて月2回行われていたお経の練習会で、北海道一、小さい村の道北の音威子府村から、そちらのお寺の住職の奥様、坊守様がお越しになられて、一緒に学ばせていただきました。毎月毎月行われるお経の練習会でご一緒させていただき、遠方よりお念仏のみ教えを大事に学びにこられる、その姿勢に頭が下がる思いでありました。そのつながりから。先月の6月15,16日には、そのお寺で行われる報恩講法要でのご法話を依頼され、仲間数人と共にお参りさせていただきありがたいご縁を頂戴しました。お念仏を通して、同じ道を歩ませていただく仲間が大切だなあ。そういうつながりが私を育てて下さっているなあ、と思わせて下さいます。
平成18年頃には通信教育を無事に終えたことによって、雅楽を学ぶことを本格的にはじめました。札幌雅友会という、お西のお寺さんで構成される団体、それと並行して、札幌雅楽同好会という、お寺にかかわる方、他の宗教の方、一般の方など、様々な立場は関係なく、学べる団体にも属しました。こちら福住寺様では平成24年より雅楽練習会「雅讃クラブ」も始まり、春と秋の永代経法要では演奏をしています。その他、雅楽好きなメンバー数人で、白石区民センターを借りての練習にも励んでいます。気が付いてみたら、現在では、3日に一回くらい雅楽のお稽古をしている私でありました。多くの出会いが私を育てて下さっているのです。
私は僧侶にならせていただいた当初から、お経を読むこともお話をすることも仏さまのはたらきを褒め讃えることに変わりはないけれど、難しい言葉をわかりやすい言葉で伝えるご法話はとても大事なことであると思っていました。ですから京都西本願寺の近くにあります布教使を養成する伝道院で法話の勉強に行くご縁をいただきました。約5年間、試験を受けては不合格を繰り返しました。なぜ、どうして。という思いや、このまま続けることに意味はあるのかなど、思うこともありました。「合格はまだですか」などと、期待される声が聞こえてくるプレッシャーなどもありました。そういう中であっても、あきらめることはありませんでした。その結果、うれしいことに、昨年5月にお認めをいただきました。約5年間学ばせていただいたことで、そこに集う「なもあみだぶつ」を伝えたいという熱い気持ちを持たれたたくさんの先生方や仲間との出会いが私にあきらめない力をくれたのではないかと思いました。また、長く学ばせていただいたことが今の自分にとってプラスになっていることを感じさせてくれます。
こうして昨年、布教使としての歩みに、少し心に余裕ができましたので、雅楽の演奏の中で舞う、舞楽を学び始めました。お念仏のみ教えにであえたよろこびを舞楽という舞で表現しようという私の勝手な気持ちもあって、蘭陵王という舞を毎日のように練習しました。先月6月23日には追分町にあるお東さんのお寺、法養寺様にて親鸞聖人750回御恩忌と開創120年の記念法要が開催され、札幌雅楽同好会のメンバーによる演奏会で舞楽も初披露させていただきました。
そして、6月末には勧学寮真宗講座という浄土真宗のみ教えを学ぶ講座に神戸別院様へ出向きました。難しい学びではありますが、学びが生きている。おみのりを伝えることに自信がもてるのです。私は本を読んでも、なかなか頭に残りません。しかし、生の声を聞かせていただくことは、この先生がこう言っていた。とか、不思議と頭に残ることがあるのです。み教えを聞かせていただく大切さに気付かされます。
このように充実した6月は報恩講法要でのお話と、舞楽のお披露目、そして真宗講座での学び、それらが無事に終わって、ホッと安心しているところです。そして今度は、心にまた少し余裕ができましたので、また違う舞楽を1年ほどかけて学ぼうかと思っているところでございます。
僧侶になる前は、人生は孤独だ。と思っていたのかもしれません。そんな私に「なんまんだぶつ」が届いてきて下さって、孤独であって孤独じゃない、ひとりであってひとりじゃないよ。と知らせてくださったのです。皆様方との出会いもそうです。日々のお参りなど、多くの人とのつながりの中、こうして「なもあみだぶつ」を大切に歩まれている方との人間関係信頼関係が私を育てていただいている。この世のいのち終えていかれた方々とのつながりもある。悲しみ苦しみよろこび、あれもこれも全てが阿弥陀様からのお育てのご縁でありました。と味わわせて下さるのです。今ある現状に胡坐をかくことなく、満足することなく、お念仏の学びを大切に安心の世界、お浄土への人生を歩ませていただけます。
親鸞さまのよまれたお歌を味わってみますと。「なもあみだぶつ」を聞かせていただく人生は、もうすでの弥陀弘誓の船に乗せていただいているのです。生まれる苦しみ、年を重ねていく悲しみ、病気の不安、苦悩あるこの身、このままの私を阿弥陀様の大きなお船に、みんな乗せていただいている今であることのよろこびを聞かせていただけます。肝要は御文章にて