ぶっちのお念仏生活

いかされていきる

歯がだいじ

2016-10-31 17:59:15 | 日記
90歳を過ぎた奥様のおたくで
お参りのご縁がありました。
重い病気も経験し、
それほど長生きはできないと思っていたけど。
歯がだいじかもしれないと
むすめさま。
食欲もおうせい。
風邪などしばらくひかない。
噛むことも
いいのかもしれません。
デイサービスなどいっているのですか?
と、たずねると、
きらいなんです。
家からでたくないのです。
って。
いろんな生き方ありますね。



加齢です

2016-10-30 22:13:39 | 日記
四十肩や五十肩
首のヘルニア、
ちょこちょこと出てくる体の不調。
おかげさまで
大きな病気はないけれど、
加齢ですって
お医者さんに言われると
どうしようもない。
と、いうお参りさきのご主人。
しかも、
寒くて寒くて。
靴下もあったかいのあればいいけど。
冷え性対策の靴下は
男性ものはないのよ。と奥様。
女性は家の中でも、動きが男性よりも
多いと思います、
男性は、動かないで、
寒い寒いって。
動けばあったまります。
加齢でも。(^^)

町内会

2016-10-29 18:58:00 | 日記
お参りさきにて、
今月に入って
同じ町内会にいる人
3人お亡くなりになった
そうです。
町内会でお葬儀があると、
どんなに忙しくても
お手伝いにいき、
町内会みんなで見送った時期もあったけど、
今は、家族親族のみの葬儀がおおい。
知らないうちに
お葬儀がおわって、
お参りしたかったのに。
と思うこともある、
新聞の黒枠にはよく
葬儀終了。とか、
今後一切の心遣いは固く御断りいたします。
など。
葬儀の形態が大きくかわっています。

冬支度

2016-10-28 22:29:12 | 日記
週末は雪になるらしいので、
冬用のスタッドレスタイヤにはきかえて
除雪機のエンジンオイルを交換して
家庭菜園を片付けて
雪が降ってきてもいいような状態に冬支度。
まだ
積もるまではいかないと思いますけど、
どうなるかわからんのが
無常の風は吹き続けています。
歯医者に行って、奥歯の土台がつきました。
大願寺様で雅楽の練習。
みなさんで息を合わせて
発表会へ向けて
猛練習?かな・・・。
ヘロヘロです。

聞かせていただく

2016-10-27 23:07:23 | 日記
「本願力に遇う」 
 本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし『高僧和讃』(註釈版五八〇頁)

おはようございます。本日はようこそお参り下さいました。私は北海道から参りました岩淵幸治と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
ただいま拝読しましたご和讃は、浄土真宗のみ教えを、お開き下さった親鸞聖人が、阿弥陀如来様のおはたらきを讃えられたお言葉です。本日は、この中の「本願力にあひぬれば・・」から「本願力に遇う」というお言葉を中心に味わわせていただきます。
本願力の本願とは、阿弥陀様の「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う」という根本の願いです。そのお心は「もしあなたのそのいのち終える時、必ず我が国のお浄土へ生れさせ、私と同じおさとりの仏として育て上げる。だからどうかこの願いを聞き受けておくれよ」とお求めになられておられます。その智慧と慈悲のおはたらきは、「一人ひとりの心に寄り添い、そのいのちを精一杯に輝かせる人生を歩ませて下さり、人間の不安や怖れなどによって変化することは決してないのですよ」と親鸞聖人は教えて下さっています。このご本願に「力」という文字がついて「本願力」となります。「力」とは「おはたらき」のことであり、「遇ふ」とは、このみ教えにであわせていただくこと、素直に信じることであると、顕されております。
阿弥陀様は、様々なことで苦悩する私を憐れんで下さり、身を引き裂くほどの痛みを感じて立ち上がって下さいました。そして果てしない年月をかけてご本願をおはたらきとして成就して下さり、完成された本願力は「南無阿弥陀仏」のお名号となって至り届いて下さって、私の口からあふれ出てきて下さるのです。思いがけず、このおみのりに出遇わせていただき、私の生き方を変えて下さった阿弥陀様のお心を聞かせていただきます。

私事で大変恐縮ですが、私には現在十七歳で養護学校の高等部に通っている娘がいます。その娘が一歳半の頃、歩き始めるのが遅く、言葉を話すことが出来ないので、病院で診てもらいましたら、発達に障がいがあることが分かりました。同じ年代の子どもさんと見比べて、「どうしてこの子は歩くことが出来ないのだろう。なぜ、言葉を話すことが出来ないのか」などと、当時は、娘の症状を受け入れられず、家族でずいぶん悩みました。
世間の目や他人の言動が気になり、時に、娘に対する心無い言葉に腹を立て、思い通りにならないことにもがき苦しみました。「娘が抱えているものをどのように受け止めたら良いのか。どこか受け入れてくれる施設はあるのか、なぜ、どうしてこうなったのか」などと、その原因を見つけたい思いで一杯でした。しかし、その原因を見つけることはできず、娘の療育を優先し、それに必要な施設のある街へと移り住みました。
不安の大きい新たな生活を送りはじめたある時、娘の通う療育施設へ行く機会がありました。その施設でしばらく、子供たちの様子をうかがっておりますと、子供たちはご両親や先生方に支えられ、みんな元気に音楽に合わせて歌をうたったり、精一杯に体を動かしておりました。その様子を見ていた私は「あったかい」ものを感じました。
その頃、私は僧侶になるご縁をいただき、家庭の中心にお仏壇をご安置し、ご本尊の阿弥陀さまをお迎えして、家族みんなでお念仏の日暮らしを大切に送らせて頂くようになりました。それ以来、時間のある時には、養護学校へ通学する娘をスクールバスが迎えに来る場所まで送迎し、笑顔で子供たちに手を振ることが生活の一部になっています。残念ながら、それに対する娘の反応は乏しく、父親としてちょっと寂しい気持ちはありますが、「そんな格好で来てほしくない」というような文句も言えずに、手をつないで歩いてくれる娘とのかかわりを日々のよろこびとしています。娘は、家庭や学校、デイサービスなど様々な人との関わりの中で育てられ、少しずつ、ゆっくりと成長していきました。
しかし問題なのは、自分自身を苦しめる私の心なのです。それは、娘と他の子供さんとの身体の症状の度合いを比べ「この子供さんの身体の症状は、娘の症状よりも軽いとか、重いとか、できるとか、できないとか、優れているとか、劣っている」などと、優劣などをつけたものの見方、いのちの値打ちに差をつけたものの見方をしていたのです。
そこから、よくよく自分の心を振り返ってみると、「比較する」ことでしか見る事のできない私のあり方は、娘可愛さゆえの悩みでもありますが、「不自由な症状を抱えた娘のいる自分がかわいそうだ」という思い、自分可愛さゆえの自己中心的な煩悩にとらわれた弱い私でありました。愚かな私が称えるお念仏生活の中、娘がある時、手を合わせ合掌したのです。その姿を見て、私はハッとさせられました。それは他でもない、私の事でありました。手を合わせることのなかった私を、お念仏を申すことなどなかった私を、阿弥陀様が手を合わせお念仏申す身に育てて下さっているものでありました。しかも、本願力は娘の上にも至り届いて下さっていて、お念仏を口にはしなくとも、聞こえていたのです。「ああ、南無阿弥陀仏は、私が称えるものであると思っていたのは誤りで、聞かせいただくものであったのだ。」と、娘の姿を通して私を目覚めさせて下さるものでありました。阿弥陀さまが私の心に寄り添ってくださっていることの喜びを聞かせて頂きながら、いのちを精一杯に輝かせた人生を歩ませて頂いております。

このことから「本願力に遇う」というお言葉のお心を伺ってみましょう。親鸞聖人は、「阿弥陀様は、煩悩ある私をそのまま、まるごと引き受けて下さり、仏さまに成ることの決まった人生を、今、共に歩んで下さるのです」とお説き下さっています。
阿弥陀様は、届かぬところのない光となって照らし、闇でしかない私の本当の姿に気付かせて下さいました。すべてのいのちが比較することのいらない平等ないのちであることを学ばせて下さいました。
このみ教えから、世間の価値観にしばられて、自分の心の不安に沈んでいくしかない私に、「すべてが如来の光に照らされた尊いいのちである」ことを聞かせていただきました。娘が生まれたことを、そのお互いの出会いを「お育てのご縁である」と、うれしいお示しをいただきました。それまでの私の人生を、悲しみも苦しみも喜びも「何一つムダなものではなかった、本願力に遇うためのものであった」と知らせていただきました。「私が称えるものだと思っていたお念仏は、お聞かせいただくものであったのだ」と明らかにして下さいました。
 人生には、様々な問題や苦難を引き受けて行かねばなりません。しかし、私の上にどのような問題が起ころうとも、このおみのりの中で「いのちの輝き」だけは決して見失うことなく、お念仏の日暮らしを大切に歩ませて頂きたいと思います。肝要は『御文章』を拝読させていただきます。