ぶっちのお念仏生活

いかされていきる

なんまんだぶつのおはなし

2018-05-31 22:41:29 | 日記
⑤ 6月16日ご満座 
如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり

私を念仏者としてお育て下さっている南無阿弥陀仏が、今、私の上にどのようにはたらいて下さっているのかを常照寺報恩講にあたりまして、親鸞さまのお作になられた日本語ので読まれた和讃。このお歌の中の、苦悩の有情を「すてずして」の捨てないというお言葉を中心にまとめのお話をさせていただきます。

南無阿弥陀仏の必ず助けると誓われている本願は、私のいのちを決して捨てない見捨てない。と知らせてくれます。それだけでもうれしいことです。捨てないという言葉を難しい言葉で言いますと、摂取不捨。おさめとってすてない。ということです。この言葉に親鸞さまはもう少し意味をつけられました。「もののにぐるをおわえとるなり」と教えて下さいます。もののにぐる、逃げるものを追いかけて、つかまえて決して離さない。私には何の条件も付けずに、そのまま必ず助けるとはたらいて下さっています。

お寺の本堂や、ご自宅のお仏壇などの中心に、信仰の対象としてのご本尊の南無阿弥陀仏という仏さまをご安置して、その周りをきれいにお飾りし、お経を読むことや、ご法話をするということは仏さまの救いのはたらきを褒め讃えることです。それと同時にそのみ教えを聞かせていただき「なんまんだぶつ」のお念仏をとなえて「ありがとうございます、おかげさまでございます、もったいないことでございます」と、そのご恩に感謝しお礼を申すことでもあるのです。
阿弥陀様が「救わずにはおかない」と願いはたらいて下さっていても、そのおはたらきを聞き受けることのない人生は、私の慶びにも力にもなりません。阿弥陀様の「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う」という「南無阿弥陀仏」のおはたらきをそのまま、計らうことなくお聞かせ頂くことが、今ここでの救いにあずかっているということ、摂取不捨、おさめとってすてないということなのです。

お念仏のみ教えを聞かせていただきよろこばせていただくことには、同じ道を歩ませいただいているお同行、仲間が大切だと思うのです。報恩講にお参りに来られた皆様方のことでもあります。私はふとした時に、この道で本当にいいのだろうか、間違いないのだろうかと思うことがあるのです。そんな時、み教えを大切に歩まれる他の人にも学ばせていただくことで、「ああ、やはりこの道で間違いない」と思わせていただくことがある。それが、自分の力にもなりますし励みにもなるのです。私は、中央仏教学院という京都にある仏教を学ぶ専門の学校で通信教育を3年間学ばせていただきました。ここ常照寺様のご住職さま、坊守さまも同じ学校でお念仏のみ教えを学ばれ、それをご縁として同窓会の会員としてであわせていただいた仲間が大勢いるのです。特に坊守さまとは、今から15年ほど前になるでしょうか。毎月一回、札幌別院さんで行われていた、お経の練習会にご一緒させていただいた思い出があります。私は札幌近郊の江別市にある自宅から札幌別院まで通うのはそれほど距離や時間はかかりませんけど、音威子府から札幌市まで通われた坊守様には、なんまんだぶつのみ教えを大切に学ばせていただく姿勢に頭が下がる思いでございました。現在の会員さんは道内外合わせて140人ほどです。それぞれの生活様式は様々な環境にありながら仏教に興味をもって学び、お念仏のみ教えにであい、なんまんだぶつを仰ぎ、大切にお浄土への道を歩まれていらっしゃいます。

いまから十年以上前、お寺の法座が行われるたびに、毎回毎回、本堂の後ろの席の同じ場所に座るおばあちゃん二人がいました。名前はハルヱさんとテルさんです。お寺で知り合われたお二人は、ご法座では必ず決まった場所の同じ席に二人並んで座っていました。お互いに連絡を取りあい、お念仏のみ教えを大切にそのよろこびをわかち合うような関係に育てられたお二人でした。
そのお二人それぞれのお宅にお参りに行くたびに、丁寧なご挨拶をしてくださいます。お念仏をよろこばれたお姿、見ただけでお仏壇を大切されている様子、仏様を仰がれたお念仏生活を送られている姿勢に私も一緒にお育てを賜りました。
数年前ハルヱさんは先立たれました。残されたテルさんはとても寂しい様子でありました。それでも、ハルヱさんから学ばせてもらったとお互いに喜び合いました。テルさんはご高齢で身寄りも少なく一人暮らし。自宅へお参りにうかがうと、身体の衰えからか、横になっていることが多くなり、思い通りにならない体、もしかしてこの世のいのちが尽きるのはそれほど遠くない時期なのかもしれず苦悩を目の当たりにされているように見受けておりました。
そのような中でもお念仏を大切に歩まれているテルさんと「家の中で何か困ったことはないですか」などとお聞きしたり、生老病死の苦悩に関して何の役にも立つことできない私は「何にもできなくてごめんなさいね」というと、テルさんは「往き先は決まっているから」と、笑顔でおっしゃったのです。その時私は「わあすごい。浄土真宗ってやっぱり素晴らしい教えだな」と思いました。

自己中心の心から離れられずに、自分自身をも苦しめてしまう心は、衰えていく我が身、自分の力ではどうすることもできないものに出会い、苦悩していく。そんな罪悪深重の弱い私が、煩悩あるままこの身このまま救われていく道が今もうすでにご用意くださっている。
テルさんはこのみ教えを大切に聞き受け、先だったハルヱさんからも学び、どうなっていくいのちなのかを知らされ、生死の問題の解決が済まされているからこそ「いのちの往き先の心配は無用である」と笑顔で言えたのではないでしょうか。
今、一人で生活することはできなくなりましたテルさんは現在入院中です。時々病院へ行き、顔を見に行きますがしんどい様子です。テルさんは「病室の天井ばかりを見ているけど、そう簡単なものではないですね、いつまでこのままの状態でいくのか」とおっしゃっていました。ハルヱさんテルさんにであわせてもらって有難いことでした。今でもお二方の生き方から、念仏者として育てていただいていることの喜び感謝の気持ちを伝えさせていただきました。
なもあみだぶつを聞かせていただき、お浄土という阿弥陀様の用意してくださっている人生の方向が決まっているという安心は、どんなことがあっても変わらない。その支えは、日々移り変わっていく自分の体、いずれ死というものが近づいている悲しさ、苦しみをも見つめながら生きていける。力を与えてくれるのではないでしょうか。

最近では、4月21日、母親の兄が84歳で亡くなって、葬儀に実家のある共和町まで行ってきました。肺炎から容体が急変したとの連絡を受けて、前日の夜に倶知安町の病院へ行きました。病室のベッドで人工呼吸器をつけて一息一息、一生懸命に息をしている姿に「誰かこのいのち何とかしてほしい、助けてほしい」という、叔父の心の叫びみたいなものを感じました。しかしながら、かけつけた家族親族みんな、なんにもしてあげることはできないのです。翌日息を引き取った連絡を受け、お通夜と葬儀に参詣することができました。私は農業を離れて17年ほどなります。母親の兄も農業をしていましたので、懐かしい人達と再会させてもらいました。
そして先だった叔父にはとても悲しい事実があることを聞かされました。叔父の子供は現在、娘一人なのですがもう一人、小さい頃に亡くなった息子がいました。農機具で作業をしているときに、叔父が機械と発動機をつなぐベルトをまたいで作業をしていた。それを見ていた幼い息子がそれを真似してしまって、機械に巻き込まれて亡くなってしまった。そういう悲しい経験をしていると聞かされました。
どれほどのつらく悲しい出来事であったことでしょう。生前、私のことを息子のようにかわいがってくれた、心配してくれていたのです。
お通夜の夜は、親せきのみんなで話す機会があり、ある親戚の叔父さんは、「実家と行き来できるようになって本当によかったな、よくまた、行き来できるようになったな」と言われ「なんで僧侶になったんだ、これからどうするんだ」などと質問してきました。私は、障害を抱えた娘が生まれてきたことがきっかけとなって、いのちを考える機会が与えられた。なんまんだぶつのみ教えにであわせてもらって、何を聞かせてもらったのかというと、自分の思い通りにはならないのが人生である。ということを知らせてもらいました。決して自分の力では解決できないものがあることに気付かせてもらいました。娘の障がいを、人と比べて、悲しいこと苦しいこと自分の人生にはマイナスのことであるとしか思えなかった私に、お念仏のみ教えが届いてきて下さって、お前の思い通りにはならないのが人生なんだよ。と教えてくれた。聞かせて下さったのです。それによって、私の心はグッと軽くなったのです。
それは、いのちの値打ちに差をつけて見る、それだけではなくて、あらゆるものを比較してみることで、悲しんだりよろこんだり苦しんだりする。それは時に、他の人を傷つけることにつながっているのです。そんなドロドロした煩悩にまみれている私を常に心配してくれて、絶対にみすてないと、寄り添い、支えて下さる尊いお方がいることを知らせてくださったのです。
いのちの値打ちに差をつけることのないなんまんだぶつ様は、すべてのいのちを平等に見てくれる。ああ、そうであった。娘のいのちも私のいのちも共になんまんだぶつの光に照らされていた。苦悩あるまま仏さまのあたたかいぬくもりに包まれている事実に気付かされたのです。
「これからどうするんだ」と叔父さんに質問されても、そんなのわかりません、自分の人生がこの先どうなっていくのか、そんなことはさっぱりわかりません。全てのものは移り変わっていくという無常、常ならずの教えですから、この先どんな人生を歩むのかは想像つきません。どうなるのかわかりませんが、私の人生がどのように変わったとしても、絶対に変わることのない阿弥陀様の、あなたを捨てないというおはたらきに護られ導かれ支えられていることを胸に生きていくことに変わることはない。娘が生まれてきたこと、娘のいのちを通じて、絶対に変わることのないはたらきがあることに、それほど大きく大切な存在にであわせていただいたのです。というと、そのおじさんはお酒も手伝ってか声にだしてオンオン泣いていました。もう夜中の2時だから寝るよと言いながら10人くらい雑魚寝で寝ましたけど、もう、いびきがすごくて大変でした。
そのおじさんは、亡くなった叔父の連れ合いの妹の旦那さんで、この葬儀で私とははじめて会いました。私のことを、僧侶さん僧侶さんというのです。お寺さんかお坊さんと言われることは多いですが、僧侶さんと言われるのは初めてで、ちょっと新鮮でした。
朝のお勤めをしてくれという要望もあり、翌朝早朝6時前にみんなで正信偈六首引きを精一杯お勤めしました。お勤めのしおりを配りましたら、そのおじさん上手にお称えするのです。ほんとうに初めてお経を読んだのですか、というくらいに、私のお勤めするのをよろこんでくれていました。

私たちはいろんなつながりの中に生かされております。自分ひとりで歩む人生だったら、本当にこの道でいいのか、という不安があります。しかし、み教えを大切に歩むひととのつながりが私に力をくださいます。今日はこうして常照寺様の御門との皆様方にもご縁をいただきました。また、日々のお参りの生活の中でご門徒様とのつながりもあります。なもあみだぶつを大切にして先立って逝かれた方々がいます。また、数か月に1度、勧学寮真宗講座という勉強会に関西まで行かせてもらっています。講師の先生から集中的に浄土真宗のみ教えの勉強をさせていただいております。そういう中でも、そこに集ってくる先生や仲間が私に力を下さるのです。お念仏のみ教えを仰ぎ、大切に歩まれている人との交流が、この道でよかったね、思い通りにはならん人生ではあるけれど、阿弥陀様から願われていることをよろこばせていただき、苦悩は大きいけれど間違いないね。と喜びあえるお同行様が私に元気をくれるのです。お同行様との語らいは悲しいことは半分以下に、よろこびは倍以上になるのではないでしょうか。なんまんだぶつを知らずにいのち終えていくのはもったいないことでございます。
皆様と共によろこびを深めていければうれしいことでございます。

おてんとさんがみているよ、と大人たちがこのように言って子供たちに悪いことをはしないようにたしなめました。お日様はいつでもあなたを見ていますよ、悪いことはやめましょうね。と促していたのです。人が見ていないからと言って、悪いことをすると、お日様はお見通し。間違ったことや恥ずかしいことはしてはいけない。ごみをむやみに散らかさないとか、困った人がいれば手を差し伸べるなど、お天道様が見ているから身を律しようと考えるのです。
阿弥陀様のおはたらきは、逃げる私を追いかけ捕まえて離さない、捨てないと抱きしめて下さっているのです。母親がお腹の中で赤ちゃんを育むと同じように、やさしくあたたかく包み込み、大きな安心の中で生かされているのです。
現在、私の実家では農業をしてくれている両親と甥っ子家族がいるので、僧侶として日々のお念仏生活を大切に歩ませていただけています。私たちには両親が必ずいます。祖父母も必ずいます。多くのいのちのつながりに生かされてあるこのいのち。私は両親や祖父母叔父叔母などに大きな心配をかけ通しであります。条件なしに心配してくれる親心は、そのまんま阿弥陀様の親心へと転換してくださいます。心配かけた。申し訳なかった。ごめんなさい。有り難う。と、すべての事柄がなんまんだぶつにつながり、おかげさまよかったね、ありがとうと、この人生を豊かに歩ませて下さるのです。
                                  
このことから、悲しみも苦しみも喜びも、すべてが阿弥陀如来様からのお育てであった。苦悩の人生ではあるけれど、時に病気を得ていかねばならないけれど、また、年老いていくことの悲しみ苦しみはあり、今までできていたことができなくなっていく寂しさは大きくなっていくけれど、阿弥陀様から賜ったお育ての真っ最中。育ち盛りの身であったとよろこばせていただけます。年を取ることはそれほど悪いことではありません。
親鸞さまのご生涯を通じてそのご苦労に報いる道、親鸞さまや多くのご先祖様、先立たれた方々、身近な方々のご恩に感謝申し上げ、なんまんだぶつとともにお浄土への道を歩ませていただいているよろこびを音威子府常照寺様報恩講にてお聞かせいただきました。2日間本当にありがとうございました。
なんまんだぶつ だいじょうぶだよ なんまんだぶつ ひとりじゃないよ
 肝要は御文章にて