アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

イタリアでイースター休暇(2/2)

2020年06月26日 | 旅行
ピサの斜塔
15 April 2001

(ピサ)

ピサはフローレンスの隣町、電車で1時間の所にある。翌朝、駅前でミネラルウォーターを買って電車に乗った。K君のカバンの中には昨夜ホテルの部屋においてあった大きな菓子パンを入れて、昼飯代わりになるかもしれない。たぶん、イースターのお祝いで各部屋に配ったのだろう。

車窓から遠くに見えるアルプスはまだ雪をかぶっており、昨日と違って晴れ上がった空の下に、のどかな田舎の風景がひろがっている。昨日、美術館の横を流れていたアルノ川に沿って電車が走り、ピサのすぐ先で海に出る。

ピサの駅前はのどかな田舎町で閑散としている。駅前でバス停を探してウロウロしていると、トントンと肩をたたく人がいる。見ると一人のおじいさんがイタリア語で話しかけてくる。「ここじゃない。あそこの停留所で3番のバスに乗りなさい。」と言っている様で、身振り、手振りでだいたいわかるからすごいものだ。

「グラッチェ」とお礼を言うと、「チャオ」と言って立ち去った。切符売り場で切符を買い、言われたバス停で待っていると、小型のポンコツ車を運転して、またあのおじいさんがやって来た。(ひょっとして乗せて行ってくれるのかな?)と期待していると、バスの表示板を指して「アー、アー」といっている。あー、やっとわかった。A(アー)のバスに乗ってもいいと言っている。まったく面倒見のいいおじいさんだ。

そのAのバスに乗ると、ものの5分も経たないうちにDuomo(大聖堂)に着いた。一番奥に、あの有名な塔が傾いて立っている。残念ながら、現在修復作業中で、上にのぼることは出来ない。中央をワイヤーで引っ張り、傾きと反対側の地中の土を抜き取り、傾きを少し元に戻すらしい。こんなんで本当に効果があるんだろうか。



帰りは歩いて駅まで帰ってきたが、途中街を横断しているアルノ川を渡ったが、街の大きさといい、川沿いの家並みといい、フローレンスとそっくりなのに、ここは、塔が傾かなければ単なる鐘楼、何の変哲もない田舎町。かたやルネッサンスの発祥の地。違いはフローレンスには大富豪メディチ家がいたことだけか。イタリアの歴史を調べてみるのも面白そうだ。

駅前まで戻ると、K君が中国語で話しかけられてドギマギしている。相手も気がついたのか、今度は英語でピサの斜塔までどう行けばいいか聞いてきた。「ここを真直ぐ行けば、30分で行けますよ。」 K君は、どうも中国人と見られたらしい。


(ダビデ像)

ピサから帰ったその足でアカデミア美術館に向かった。ここでも入場待ちの行列を作っていたが、30分で入ることが出来た。中には、中学校時代、美術の時間にスケッチしたこたがあるダビデ像の全身像がある。左の肩に何を持っているのかわからなかったが、あとで物語を調べると、豪傑ゴリアテを倒した石と石投げ紐らしい。4.1mの立像の全身がきわめてリアルだ。彼は包茎だったのか?(変な所につい目がいってしまう。)


一口メモ(イタリアの電車)

ミラノの駅も、フローレンスの駅も、まるで終着駅のように見える。同じフロア-に20近い番線が並び、空港と同じように電光掲示板が出発時間(予定、遅れ)と番線を表示してあり、どの番線から出発するか直前までわからない。アナウンスは、時々到着時間の遅れを放送するだけなので、乗客は辛抱強く、自分の列車が何番線から出るか表示を待っている。表示されたら、いっせいにその電車に向かって動き出す。日本のような階段の登り降りが必要ないので動きやすい。

我々の乗る特急列車ユーロスターは、ローマ発ミラノ行き。フローレンスは途中駅だが、頭から駅に滑り込み、尻から出発する。昔の山登り列車のスイッチバック方式のようなものだ。列車の座席はコンパートメントで向かい合わせのため、日本の新幹線のように方向が変わる度に座席の方向を直す必要はない。

切符は自動改札で、ゲートはない。乗る前に近くの黄色い小さな改札機で日付と時間を印刷するだけ。切符の有効期間が長いので、もし車内改札で日付・時間の印刷がないのが見つかれば、キセルとみなされるらしい。しかし、我々の切符が一度もチェックされなかったところをみると、結構無賃乗車があるのかも知れない。


ふたたびミラノへ
16-19 April 2001

長いイースター休暇を終えて、またミラノに帰ってきた。フローレンスから3時間、ベニスと線で結ぶとちょうど正三角形になる。今回は予定どおり会議を終え、最後の夜は初めてミラノの中心街のDuomoに出かけた。会議をした会社の近くの地下鉄駅から約15分。初めての街で、バスや地下鉄に乗るのは何となく冒険心がくすぐられて楽しい。



ミラノの地下鉄はいたってシンプルだ。3本しかないし、ドアも自動なので、パリで手動で開けるとは知らずあわてて降りたような失敗をすることもない。タクシーで40000リラ(約2500円)かかった中央駅からホテルまで、1500リラ(約90円)で行けるし、街の名所どこにでも同じ値段で行くことができる。ただ、郊外電車と同じく、全くアナウンスがないので、降りる駅は車内の路線図で確認しておかないと乗り越す危険がある。到着駅、次の駅、ついでに携帯電話よりうるさい「携帯電話はまわりのご迷惑ですから…」と言う、過剰なまでのアナウンスに慣れている日本人には、その静けさが不安になる。

Duomoはイタリアのあらゆる街にある。その街で最も立派な教会をDuomoと呼ぶ様だ。それにしてもミラノのDuomoは豪華だ。500年余りかけて建設されたらしいが、一人の設計者によるものでもなく、様々な人々が仕事を引き継ぎながら建設したと言う。しかし、キリスト教とは何だろう。何が人々をここまで駆り立てるのか。無神論者の自分には、狂気としか思えない。

その夜は、最後のディナーをDuomo近くのレストランでとることにした。たまたま持っていた観光地図に紹介されていたから。やっと探し当てたレストランは、入り口がいかにも高級そうで、少し躊躇したが、「ええい、どうせ会社の出張費で落とせ!」と2人で乗りこんだところ、思わず笑ってしまった。中はほとんど日本人。まだ夜も浅いので、テーブルは空席が多かったが、一組のイタリア人以外は4組のカップルと10人余りのわか奥さんのツアー全て日本人。皆、どうも情報源が同じらしい。おまけに日本語メニューまで出てきた。

例によって、前菜から始まって、2時間程度のフルコース、すっかりイタリア式の夕食になじんでしまった。

翌朝、「最後の晩餐」を見ようと朝一番でサンタ・マリア・デレ・グラッチエ教会に向かった。予約が必要なのだ。ホテルで予約を頼むと、この季節は、直接教会に行って予約する必要があるとのこと。仕方なく、早起きし、地下鉄を乗り継いでやって来た。「今見れる?」と取り合えず受付の女性に尋ねたら「今予約したら4時に見れますよ。」飛行機の出発時間は2時半だ。すごすごと引き上げることになった。

仕方がない。9時になるのを待って、Duomoの屋根までエレベータで上がり、街の景色をながめてから帰ることにした。




(帰国)

ミラノの上空が天候不良で搭乗が遅れた。まわりは、日本人の団体客で一杯だ。老人が多く、皆一様に楽しそうだ。「失礼ですが、ヨーロッパ一周の帰りですか?」と尋ねてみた。「いえ~そんな。島巡りをしてきたんですよ。マルタとシチリア、そしてミラノです。島はよかったですよ。」と、楽しかった旅行を話したくて仕方がない様子。いろいろ聞いて、時間つぶしをすることができた。(将来歳をとっても、こんな楽しい旅行ができるだけの元気があるだろうか。)

搭乗してからも、天候待ちで更に出発が遅れ、翌日、約2時間遅れで無事関西空港に帰りついた。


一口メモ(イタリアの女性)

イタリアの女性はファッショナブルだ。特にパンツルックがいい。パンティラインを見せない後姿を、ぜひ日本の女性も見習ってほしい。

しかし、地下鉄で観察すると、美人が少ない。鼻が高く、シャープな顔つきは、皆同じような顔に見える。鋭い目つきに、「ごめんなさい。」と言いたくなる。
こんなとき、日本人を見ると、その穏やかな顔つきにホット気がゆるむ。

(おわり)


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