アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

初めての韓国

2020年11月03日 | 旅行
初めての韓国

1990年代の初め、初めて韓国を訪れた。愛媛工場に転勤して初めて設計・建設した工場を、韓国にも建設するとの話が持ち上がり、初めての海外出張が韓国だった。

東京のメンバーと合流して金浦空港に降り立ったあと、高速鉄道で南下し、駅から車で現地に向かった。通り過ぎる村の景色には、既視感を覚えた。数十年前の日本の田舎もこんな感じだった。

到着した現地の工場で、新しい工場の配置等を打ち合わせた後、レストランで骨付きカルビとキムチの豪華な昼食。若いアガシ(お姉さん)がカルビをハサミで切り分けて焼いてくれる。たれに付け込んだカルビは、初めての美味しさ、つい食べ過ぎ、おまけに付け出しの生ニンニクを肉と一緒に多量に食べたため、その夜は見事に下痢をしてしまった。

何回も韓国を往復した後、正式に工場建設も決まり、誰かが建設の監視役に駐在するとの話が持ち上がった。その時までに、ハングルの読み方は覚えたが、まだ幼稚園生並みのたどたどしさ。一緒に仕事をしていたIさんは、カラオケで韓国の歌に表示されるハングルの字幕をスラスラと読めるほど上達していたので、彼に駐在はお任せして、私は英語が通じるシンガポールのプロジェクトに参加することになった。

シンガポール駐在時、韓国の仕事で付き合いのあった先方の会社の担当者が、シンガポールに訪ねてきたので、食事を一緒に取った。彼が、「今度、インドネシアの合弁会社に副社長として赴任することになりました。ジャカルタに来られる機会があったら、ぜひご連絡ください。街をご案内します。」と言って、ジャカルタに帰っていった。

多分に社交辞令もあったと思うが、暇を持て余していたシンガポール駐在なので、翌年本当に彼に連絡して、インドネシア旅行に出かけた。治安のよくないジャカルタ市内を、運転手付きの車で案内してもらった。

当時は、韓国人が反日教育を受けていることなど知らず、また先方のメンバーも皆友好的だったので、仕事上の問題は全くなかった。

現在、政治的に韓国との仲は冷え込んでおり、韓国人がどのような種族か理解できたが、当時は、韓国に対する無知は幸いだったのかもしれない。今同じ仕事を担当することになったら、かなり強いフィルターの眼鏡をかけて彼らに対応するだろう。

(追記)
もといたブログが閉止されたので、引っ越してきました。






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