おっさんのライフサイズ(classic)

- 過ぎていったこと 選ばなかった道 何もかも、覚めてしまった夢と同じ -  『この世界の片隅に』より

”○○ちゃん”

2007-04-30 22:12:05 | 個人主義
昨日、実家で法事があった。亡き祖母の25回忌。
親戚の方が遠方から来られたりして、めったに会うことのない人たちと数年ぶりに会うことになった。理由はどうであれ、たくさん知人が集まるのは自分は少しうれしい。
自分は親戚の昔から"○○ちゃん(名前)"と呼ばれている。今でもそうだ。しかし多感な高校生になった自分は、「高校生なのに"ちゃん"で呼ばれたくない」と嫌悪感を覚えてしまうようになり、そのひとたちを敬遠するようになってしまった。でも変わらないその呼ばれ方をするのは、今となっては何となくだけど、心地よい気がする。
一通りのあいさつが終わり、お坊さんの読経が終わると、近所の寺にある、我が家の墓参りに行く。年配の方が乗る『自動車移動組』と、われわれ家族中心の『徒歩移動組』があったけど、当然のように『徒歩組』へと入る。正月に初詣に行ったときもそうだったけど、"近くなら歩く"が、我が家の昔からの習性でもあるようだ。
いつもは通らない道。「この溝にいたカメを捕まえにきた」とか「連れの家がきれいにリフォームされている」とか、初詣の時と同じようにいろいろなことを思いながら、小学校時代に登校していた、車がやっと一台通れるくらいの細い道を歩く。"○○ちゃん"はこんな道を通っていました。墓に着いたら線香をあげて手を合わせる。
家に帰ってから(もちろん徒歩で)、仕出し屋から取った膳を食べる。その時にも"○○ちゃん"という呼び名は大人気で、途絶えることがなかった。その食事を終えると、法事はおしまい。
外でひとりひとりを「おばちゃん体に気をつけて長生きして」という風に見送る。でも逆に、ほとんどの人に「"○○ちゃん"も体、壊さないように」と言われた…図星。最近、仕事がとっても忙しく、体調を崩しかけていたので…どっかに出てたんかな?空を見て、一度だけため息をついた。

"○○ちゃん"は…もうちょっと頑張らないと。
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2 Comments

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いつまでたっても (皇帝企鵝)
2007-05-01 17:20:46
我思う、オジ・オバにとってみればいつまでたっても“ちゃん”付けのポジション。
これはどこの一族で同じだよ!
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さきほどはどーも。 (おっさん)
2007-05-06 00:39:01
そうなんやろなぁ…と思った。
自分達からしたらその人たちは記憶とともに変わっていくけど、
その"ジジ・ババ達"からすれば、オレ等はいつまでも小さいままなんやろなぁ…と思った。

次は来月ですよ!!!
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