おっさんのライフサイズ(classic)

- 過ぎていったこと 選ばなかった道 何もかも、覚めてしまった夢と同じ -  『この世界の片隅に』より

あの頃、とくべつだった場所

2007-01-04 16:26:54 | 個人主義
前回も書いたけど、自分は正月行事に関しては少し懐疑的なところがある。ここはそれを抜きにして、元日に近所の神社に初詣へ行ってきた話を書く。
ここ数日、睡眠不足で体調も優れてなかったし、しかも徒歩だというからあまり乗る気じゃなかったけど、家族みんなが「行く」といっていたから渋々ついていった。そこは小学生の夏休みにラジオ体操をやったり、"社"の中で地区の子供会の催しを企画したりした場所。正月への不可解な思い(少なくとも自分にとっては)を封印して、ここは気持ちを切り替えて、いろいろその頃のことを思い出しながら歩く。
約3年前、子供が産まれた時にここの神社へお宮参りに車で来たけど、歩いていったのは小学校の時以来。車では見えない景色―ぼんやりとした街の輪郭―が見えてくる。「ここのおばあちゃんによくお菓子をもらった」とか「幼稚園のとき、ここの溝に自転車ごと落ち込んだ」とか「この家で飼っていた犬が怖くて、門の前を走って通り過ぎた」とか…。すべてが変わっているものとまったく変わらないもの。そして今から変わろうとしているもの。あの頃の自分は間違いなく、このあたりを走っていた。
少し感傷的になっているうちに神社に到着。お参りする前に境内を歩いてみる。予想通りといっては何だけど、神社は信じられないくらいまったく変わっていない。相変わらず少し錆びれた遊具、子供の頃は大きく見えたイチョウの木、見えないところにはしっかりとついているクモの巣…。記帳を見ると、たくさんの同級生や先輩、それに近所に住む、小学校6年の時の担任が来ていた。先生とも、もう15年以上会っていない。
空には雲ひとつない。自分に特別な願い事もなく、さい銭を入れてただ手を合わせた。これからは一年に一度でもいいから、せめて正月だけはここまで歩いてこよう。
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2 Comments

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変わらない (鯉人)
2007-01-04 19:03:55
俺も4年前に生まれ故郷に帰って仕事を始めた。変わらないと実感したのは近所の神社や寺院、そして一番ビックリしたのは約20年前によく通った駄菓子屋のおばちゃん。全然老けていない。当然若返ってもないが…。ただ販売しているものが駄菓子屋から消火器に代わっていたのに淋しさを感じた…。
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Unknown (おっさん)
2007-01-07 10:18:31
鯉人くんの街には二回ほど行ったけど、いい意味で歴史の残っている街だな…と思った(競馬場はなくなってしまったけど)。
ただ、どこの小さな地方の街もそうだけど、地元以外の資本で郊外に大きなショッピングモールができたりして(自分の街ならフジグラン、鯉人くんの街ならゆめタウンかな?)、少しずつ街を変えていってるのには複雑な心境です。
そのぶん街は便利になるけど、残さなければいけないものが消えたり変わったり…こういうのって難しいですね。
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