おっさんのライフサイズ(classic)

- 過ぎていったこと 選ばなかった道 何もかも、覚めてしまった夢と同じ -  『この世界の片隅に』より

桜の散る、冷たい雨の日の午後

2007-04-04 22:59:29 | 個人主義
今日はシリアスに…実話です。

大好きだった親戚のおじさんに最後に会ったのがこの時期。小さい頃よく野球を観に、甲子園球場や今はない大阪球場へ自分を連れて行ってくれた。
おじさんは末期の肺ガンで、そのことは本人に告知されていなかった。余命も少ない。大学4年生で就職活動中だった自分は、会いに行く直前にそれを聞いて「会ってどんな顔をしたらいいんだろう」と思いながら病院へ。
おじさんの一人娘(自分の従姉)は結婚が決まっていて、当初はオーストラリアで大々的に挙式をあげる予定だったけど、「お父さんが生きているうちに式をあげたい」とそれらをすべてキャンセルして、小さい披露宴をあげるだけにした。自分が会いに行ったのはそれから10日足らず。突然訪問したから、身だしなみは良くなく、ヒゲは剃られていなかった。
おじさんはビックリした表情で迎えてくれた。喜んでいたのかどうかは分からない。後で聞いたけど「めったに会わない人たちが次々に来る。おかしい」とか言ってたみたいだから、自分の死期をそれで悟っていたのかも知れない。
-雨の降る春の午後。「退院したら今度はオレが甲子園に連れて行く」とか、いつものように他愛もない会話をした。病室から満開の桜が見えているけど、冷たい雨に打たれて花びらが落ちている。時間は刻々と過ぎていく。

「○○くん(オレの名前だ)は、自分の好きなことをして生きていけばいい」

別れ際にふと、おじさんがそうつぶやいた。その時の自分は就職活動をしていたこともあり、そんなに社会がうまくできていないことを身を持って知ったから「うん、頑張る」と中途半端な返事をして病室を出た。でもそれが…自分にとって、おじさんの最後の言葉だった。
次に会った時、おじさんは木の箱の中に入っていた。あれから1ヶ月と少し経ったゴールデンウィークのある日、おじさんは死んだ。64才は若すぎる。おじさんはその箱の中で微かに笑っていた。
「孫を見せられなかった」と従姉は泣いていた。自分はその従姉の披露宴に出席できなかったけど、その写真を見せてもらうと、車椅子に乗ってすごく喜んでいるおじさんの表情があり、思わず目頭が熱くなった。
おじさんとの楽しかったことは今でも覚えている。でも今日みたいに、少し寒く桜が満開になった雨の日になると、あの薄暗い病室でいるヒゲだらけのおじさんを思い出してしまう。ひとはこんな寂しい日に、死と対峙すべきではない。

自分は相変わらず、好きなことをして生きてはいないけど。
Comment (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桜にまつわる歌 2 コブクロ ... | TOP | 桜にまつわる歌 3 松たか子 ... »
最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
我もまた (皇帝企鵝)
2007-04-05 15:37:52
ヘビーなネタですな。
我も叔父さんを亡くしたときの事を思い出した。私我の場合は最後に会ったのが我の結婚式の時で、ほとんど話をしていない。それから約1年後くらいになくなった。ので、最後に話をしたことを覚えていない・・・。式で祝辞をもらったのが最後になる。
返信する

Recent Entries | 個人主義